- 「この棟、メディシスタ南棟の地下にだけ教師はこもらない。……何でか分かるか?」
「……別に守る者がいるってこと?」
「フン」
どうやら正解だったようだ。
つまらなそうにシャロンが前を向き、闇の深淵へと階段を下りてゆく。
メディシスタ南棟、一階実験室04と05の間。そこにはレベッカでさえ知らなかった隠し扉があった。おそらく教師の中でも在任長い者と……歴代の会長くらいしか知らないのであろう。
まるで地下牢へとでも続いているかのような湿っぽい階段。ぐるぐると螺旋状に下へと降りてゆく。
「この下には初代の会長がいる。まだメディシスタ・チェンバースと生徒会が割れていなかった頃の会長が、な」
彼はぼそりと言ってきた。
「──初代?」
「初代会長、ヴェルト・メーア。彼女がいる」
「……そう」
レベッカはうなずき、黙る。
──どのくらいのお婆ちゃんなのかしら
しばらくの間、カツンカツンというふたつの靴音だけが暗闇に響いた。
「……それで、彼女は何のためにいるの?」
「──能動的にいるわけじゃない。呪われたのさ」
「呪われた? 誰に?」
「おっと、ここから階段が急になる。コケるなよ」
「…………」
目と眉を寄せたままのレベッカは、彼に手をひかれるまま足元も見ない。
彼女が始めに作り出した小さな光球だけがふたりを照らす頼り。
「誰に呪われたのって聞いてるでしょ」
──ち、話を元に戻しやがった
そんなシャロンの気配だが、レベッカはしつこく食い下がった。
「ねえ、誰に呪われたの?」
「彼女曰く、魔境に、だそうだ」
今日何度目かのシャロンの嘆息。
ずいぶん幸せが逃げていったことだろう。
「魔境に呪われたってことは、彼女、魔境に入ったことがあるのかしら?」
「さぁな」
と、レベッカは唐突に話の先を変えた。
「……呪われたってことはもしかして彼女、年とってないの?」
「まぁな」
確かに普通に年をとっていたんじゃ、初代の会長など到底生きてはいないだろう。
どんなに優秀な魔導師でさえ、千年以上生きるのは至難の技だ。
というかそこまできたらもう魔物の域だが──レーテル魔導学校の歴史はそれ以上に長く厚い。
「ねぇ、彼女、綺麗な人?」
「はぁ?」
「会長さん、綺麗?」
「うー……ん。ま、ウチの学校にいる誰よりも綺麗だとは思うが」
「アスト=ミスペルやマグダレーナ=ミリオンよりも?」
「よりも」
「ふーん」
怪訝な顔をしてきたシャロンだったが、レベッカは平素な顔。
関心はすでに逸れていて、今度はひきずっていたローブをつまみあげながらぶつぶつ言う。
「あ``〜〜、ローブの裾が真っ黒! シャロン、あなたいつもここを通ってたんでしょ? どうして掃除くらいしないの!? もー、ローブのクリーニングって高いのよ?」
「掃除なんてしてる暇あると思うか? いっつもお前がオレの仕事増やしてるんだろうが」
「全部ネーベルとハイネス先輩に押し付けてるくせに」
「分け合っていると言え。お前のために何枚始末書と企画書と訂正書と会計報告書を書いたと思ってるんだ!?」
「企画書と訂正書くらい、言われれば書くのに」
「……じゃあそういう時に生徒会室に姿を現してほしいもんだな? お前、あそこを都合のいいコーヒーメーカーだと思ってるだろう」
「賞味期限切れのお菓子をいつまでも放置しておく腐敗体質は改善すべきだと思っているわ」
- 「だんだん理屈っぽく誤魔化すところがハイネスに似てきたな」
「そぉ?」
彼女は軽く笑って錫杖を握り直した。
これが無いと何もできないというわけではないが、ないとちょっとばかり手元が涼しいのだ。
あった方が安心する。特にこんな状況では……
──また違った殺気が下にあるのよね
見れば、シャロンの顔も少しだけ引きつっているようにも見える。
変わりないと言えば、変わりないのだが。
レベッカが学校内で感じていた霧のような殺気とは違い、下からの殺気はハッキリしている。
標的のない、破壊のための殺気。
魔境のような、殺気。
一体この学校はいくつ危険を抱え込めば気が済むのだろう。
「ここだ」
思案に入っていたレベッカに降りかかるシャロンの声。
「──ん?」
「だから、ここだよ。棟の最深部。通称“守りの間”」
「ふうん」
顔をあげた彼女の前には、お世辞にも美しいとは言い難い扉があった。
下の方などはちょっとばかり腐りかけている。
こういう時には厳かな、大理石っぽい重厚な扉が目の前になければならないというのは、偏見だろうか。
到底太陽の光などあたらない、校内でプールの次に湿度が高そうな場所。
レベッカは思わずカビ臭さに咳き込みそうになった。
「ヴェル、起きているか?」
横に立っているシャロンがいきなり扉の向こうに呼びかける。
ずかずか中に入っていこうという意志はないらしい。
「君にお客なんだが」
<……シャロン?>
例えるなら一本の銀糸。
聞こえてきたのはそんな声だった。
それも簡単には切れない、鋼のような銀糸。
「君にお客を会わせたい奴がいる。ウチの風紀委員長だ」
「メディシスタ3年、レベッカ=ジェラルディと申します」
彼女はバカバカしいほど慇懃に、扉へとお辞儀した。
<……風紀委員長風情がわたくしに何用ですか>
───歓迎はされていないようねぇ
「さぁ」
<さぁ?>
「レベッカ!」
咎めるようなシャロンの視線と声音。
しかし彼女は平然としたまま言い返す。
「だって私はここに何があるのか知らないし、彼女に何を求めていいのか分からないもの」
<では帰りなさい。シャロン、部下は選びなさいな>
──残念。私は会長に選ばれたんじゃなく会員に選ばれたのよ
ささやかに反論しながら笑う。
「ではひとつだけ。あなたは何かを感じていますか?」
レベッカは刺すような視線を扉へと向けて──無論中は見えないが、
<感じる?何を感じろと言うのです?>
返ってきた言葉に高い笑声を上げた。
「剣士シャロン=ストーンが何も感じないのと同様、あなたも何も感じていらっしゃらない? この校内の薄気味悪い殺気に、ふたりとも気がついていないのね。私にだけしか分からないのね。さすが私。只者じゃあないとは思っていたけど。……では質問を変えます。この扉の中には何があるんです? ここは魔境の匂いがする。魔境の殺気がある。ここには一体何を隠しているんです?」
「レベッカ」
「魔境がざわめき、王都が動き、そして不可解な生徒の失踪。極めつけは校内にわだかまる霧のような殺気。そしてこの中。……私には何も分からない! 全て分からない! 私から質問することはできない! ──私には分からないことが多すぎるのです。知っている分だけ答えをください」
<…………>
「…………」
シャロンがあからさまに眉をひそめている。
きっと地上に帰ったらこっぴどく叱られるに違いない。
──と思ったが、彼女の言葉を継いだのは彼だった。
「ヴェル、こいつは自分で言うだけあって只者じゃあない。色んな意味でな」
ジロリと上からにらみつけてくることは忘れていなかったが。
「こいつはおそらく──世界の分岐点なんだ。こいつは“始まりの鍵”を持ってる。少なくとも“始まりの鍵”だと疑いあるモノを持ってる」
「これは始まりの鍵よ」
はさんだレベッカの言葉は黙殺された。
「君がずっと探していた鍵を、こいつは持ってるんだ」
<“始まりの鍵”……私がずっと探し求めていた伝説。私に残された最後の希望>
「ヴェルト・メーア会長。これだけは教えてください。“始まりの鍵”をもってすれば王都や魔境を叩きのめせるのか否か、それだけでもいいから教えてくださいな!」
──早まった……
叫んですぐレベッカは後悔。
あまりにも分からないことが多すぎると、なんでもいいから確実な答えが欲しくなる。
確実な保障が欲しくなる。
そんなものは存在しないと分かっているのに。
<騎士セーリャ=クルーズ、魔王レジェーラ=フェレスト、彼らと共に史上の三強と歌われた魔導師ブラッド=カリナン。忠実なる王都の守護神であった彼女は……“始まりの鍵”を王都の敵とみなしていたそうです。そう、あの人もまた伝説を信じていた>
月光のような声が少しずつはっきりと聞こえるようになる。
扉が、開く。
淀んだ空気が、流れる。
<私は“始まりの鍵”をこう考えます。……全てを可能にする鍵である、と>
扉が開いた。
シャロンが無表情に顔をそむけ、レベッカは目の前の光景に唖然とする。
そこは彼女の想像を越えた空間だった。
真正面に造られた祭壇。
その中央壁に埋もれたひとりの女。
肩までが石となり、その上だけが生身の人間。プラチナブロンドの美しい人。
生物学的にどう生きているのかは分からない。
しかし彼女の青い瞳はしっかりとレベッカを捕らえている。
<はじめまして、レベッカ=ジェラルディ>
だが──レベッカが驚愕したのはヴェルト・メーアの姿に、ではない。
「シャロン、これは……」
彼女の声に、シャロンはただ頭を振るだけ。
「これは一体全体どういうことなのよ」
そこは、メディシスタ南棟の地下は、すでに魔境と化していた。
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