the uncompleted legend
THE KEY

第四章 それぞれの悪夢 2

「どういうことなんでしょう」

二度目に発したレベッカの声は極めて事務的だったと言える。


強固な石積みの地下。
さほど広いというわけでもないけれど、普通の召喚ならば軽く行なえるだけの空間。
そして祭壇でこちらを見下ろしているヴェルト・メーア。
白い薄布をまとい、巫女のように表情のない顔をして黙している。

「あなたはここの守護者ではなかったのですか?」

──あなたは魔境からここを守る者ではなかったのですか

石を割り、壁をつたい、触手を伸ばしているのは紛れもなく魔境の植物。何もない広間のはずのそこは、うっそうとした小さな森。
切り取られた遺跡のような祭壇。忘れ去られた奥地に沈む、聖なる祭壇。
魔境に突破された結界。
レーテルは目に見えぬ地下から、魔境になりつつ……ある。


<魔境はもう、わたくしの手には負えなくなってきたのです>

「それじゃあ」

「……学校はすでに、魔境の侵食を受けている。先生達の手にも負えていない。北棟、東棟、西棟、どこの地下もこんな状態だ」

淡々としたシャロン。
ついレベッカは怒鳴り声を上げた。

「どうして黙っていたの! フェンネル会長は知っているの!? ハイネス先輩は!? ネーベルは!? マグダレーナは!?」

「フェンネルは知っている。他は誰も知らない」

「あなた達って大っ嫌い」

レベッカは憮然と口を曲げた。マズイものでも口にしたかのように顔をしかめる。

「アレとオレを一緒にするな」

「味方を出し抜くのはあなた達ふたりの十八番でしょ」

「…………」

<今年の魔境は異常です>

「まるで私がこの鍵を目覚めさせる時を待っていたようですね?」

渋い顔をしたままのシャロンをギロッとひとにらみし、レベッカはヴェルト・メーアに向き直った。
彼女は確かにシャロンが言った通り、この学校の誰よりも美しい。背負っているモノがそうさせるのか、彼女の生きた年月が思慮の美を与えたのか、どちらにしろその美しさは揺ぎ無かった。
人はきっと、彼女のような者を聖女と呼び、神々しいと言うのだ。
もしも彼女が完全な人間の身体のままであったら、の話だが。

「あなたのその姿、石化の呪。それが魔境の呪いですか?」

レベッカは感情を押し殺し、平坦な声を出した。微塵の動揺も伝わらなかったと願いたい。

<そうです>

返ってくるヴェルト・メーアの声にも抑揚はなかった。

<わたくしは昔、タッグを組んでいた副会長と魔境に挑みました。それが良しとされる時代でしたからね……。しかし彼は途中で死を被り、わたくしも魔境の呪いを受けたのです。自我消滅せずに帰って来たことが果たして良かったのかどうか……今もってわたくしには分かりません。それからわたくしは、果てしなき時間を生きねばならない、異形の者と成り果てました。学校はこれを栄誉なのか失態なのか判断がつかず、全てをなかったことにしてわたくしをここに幽閉したのです。この高い魔導の能力を買って守護者に>

「学校はいつでも秘密主義。変わらないものね」

レベッカは鼻で笑った。

<変わらない?>

補足するようにシャロンが低い声で告げる。

「生徒の失踪について、学校は生徒会にすら何の説明もしない。あらゆる情報をシャットダウンしている。だからオレやフェンネルは無能無策を王都に露呈してしまった」

<王都はいつでも用意周到。王都はいつでもレーテルを潰すチャンスをうかがっている。それが自らを危険にさらす“反乱”の時期であろうと。王都は自らを守るよりもココを潰したがるはずです。昔から彼らは、何が大切なのかを分かっていない……>

レベッカはヴェルト・メーアの月並みなぼやきを遮り、結論だけを急いだ。

「あなたはこの“始まりの鍵”を、あらゆる可能性の鍵だと言いました。それは、王都を退けることも、魔境を踏みにじることも可能だと言う事と思っていいんですね?」

彼女は、ヴェルト・メーア会長はどうも動じなさすぎる。
悟りすぎている。
彼女は『死』への憧れが強すぎて、危機を危機とも思っていない。
現実を現実とも思っていない。
彼女の口からはすべてが神話のように語られているのだ。

「この鍵が指し示す魔境の中心。何かあると思っていいのですね?」

自身の言葉には苛立ちが散りばめられている。
焦りだけが自分の内にある。
だが──この場合焦らない方がおかしくはないだろうか?

<分かりません>

「分からない?」

レベッカは目を細め、明らかな失望の声を上げた。

<それが“始まりの鍵”だからです。かのブラッド=カリナンはその鍵が王都を滅ぼすものと恐れました。が、その鍵にあるのは全て可能性。結論はまだ、ありません>

「じゃあどうして君はその鍵を欲しがった?」

いきなり口を開いたのはシャロンだった。

「どうして何も分からない鍵を欲しがった?」

「何も分からないからに決まっているでしょ」

レベッカは唇をとがらせてシャロンを見上げる。

「何も分からないから賭けてみたい。そういうことよ」

言って彼女は小首を傾げた。

「あなたは何を欲しているんです?」

<この永遠なる時間から逃れ得るものなら逃れたい。わたくしの願いはただそれだけです。もうわたくしには耐えられません。わたくしに会いにきた幾人もの会長たちが、皆次々とわたくしを置いて逝ってしまいました。これ以上人々の死を見続けてゆくことはできないのです、私には>

彼女は深く息を吸い、そして吐いた。

<わたくしは自身、強いつもりでいました。しかし……思うよりも弱い人間でしたね。愛する者、慕う者、尊敬する者、教授した者、談笑した者。彼らの死にはわたくしの心が耐えられない、もう>

「オレは死なない」

響いた声はやけにはっきりしていた。
危険な局面で命令を下す、そんな時のシャロンの声だった。
きっぱりとして、迷いのない、声。

しかし、

「何バカなこと言ってんの、死ぬに決まってるでしょ」

レベッカは彼の正義の一言を粉砕した。

「会長。あなたがいくら強くたって時間には逆らえないのよ。分かる? あなたも私もそのうちおじいちゃんやおばあちゃんになるの。それはどうしようもないことなのよ。いかなる魔術をもってしても、未だ死には逆らえない。逆らおうとすればそれなりの代償が要る。今まで死に挑戦してきた幾多の魔導師の顛末(
てんまつ)、知らないわけじゃないでしょうに」

「──死には逆らえないと?」

「そうよ」

──おそらくあなたが考えているひとつの方法を除いては、ね。

「あなたが魔物になる以外、死には逆らえないわ」

それは危険な賭けだ。魔境に呪われ魔物になったとして、永遠の命を得たとして、果たしてそこに自我が残っているかどうかは分からない。
この男の強固な精神力ならばどうにかなるかもしれないが、それは単なる推測にしかすぎない。

「……としても、私が生きている間はそんな無責任な真似はさせないからね」

「はん」

彼はフェンネル会長そっくりのソックリの顔つきでこちらを見下ろしてくる。

「おまえにオレが止められるのか?」

レベッカは全く同じ顔を返してやった。

「止められるか、ですって? ……止めるのよ。そりゃもちろん私だけじゃあなたを止めるなんて不可能でしょうね。私なんて防御以外にはナンの取り得もない崖っぷち魔導師だもの。でも、私とハイネス先輩とネーベル。それにマグダレーナやフェンネル会長が加わったら、いかにあなたでも困るんじゃない?」

私の軍団は不滅よ、とでも付け加えたくなる。

「…………」

「あなたがどうしても魔物になるって言い張るんなら私は……、私達は、魔境を全部焼き払ってあげるわ」

本気だった。
いくら不可能だという理論を突きつけられようとも、本気だった。
シャロンの紫眼が意志を隠したまましばし彼女を見、そして閉じる。

「……そうか」

あきらめたとは思えない。
しかし彼には、それ以上議論する気はなさそうだった。
仕方なくレベッカは祭壇に向き直る。

「始まりの鍵に関する知識を全て教えてください。私が知らない、焼き払われた文献だってあったはずです。古代文字はまともに読めないですしね、私……」

必修ではあるのだが、彼女は「言語」が苦手だった。

<始まりの鍵は“終焉の棺”の鍵にして、生きとし生けるものに与えられし運命の選択。幻視の城、その棺を守る。螺旋の世界、その鍵を内に隠す。すべての決定はそこにある>

「それは?」

<かのブラッド=カリナンが書き記したものです。どこまで本当なのかは分かりませんが……彼女も自身伝説を掘り探っていたようです>

「幻視の城?」

レベッカは口の中で繰り返し、傍らのシャロンを見上げる。

「聞いたことある? そんなお城」

「いいや。そんな異名のある城はないと思うが」

「そうよね。この前“飛び出せ全国城めぐりサバイバルレース”やったものね」

<…………。わたくしもそんな城に心あたりはありません。城の場所さえ分かっていないというのに、そこに棺があると伝わっているのも不思議ですけど>

──伝説なんてそんなもんよ

最初から最後までつじつま合って完結していたら、それは伝説でもなんでもない。
それは物語であり、時として史実となる。
つじつまが合わないからこそ史実にはならず、そして完結していないからこそ、人々は夢を見るのだ。

探し求めるのだ。

伝説はあくまでも伝説。本当か嘘かは分からない。
伝説を追う人々は皆、その真偽を心の内で悩みながら道を行く。
……そういうものだ。

<レベッカ=ジェラルディ。わたくしの知識はこれだけです。しかしわたくしが悠久を生き思うには──戯言と聞き流して結構です──始まりの鍵と終焉の棺は、世界の悪戯によって造られ、それは言うなれば世界が人間に与えた唯一の絶対なる武器。もしあなたが鍵を使うことができたら……あなたは世界というものの内側を、見ることが出来るかもしれません>

「そんなことどうでもいいわ」

レベッカはうつむき加減に吐き捨て、

「私は、私の小さな世界を守れればそれでいいのです。大きなことは望まない。魔境を退けることができ、王都がレーテルをあきらめればそれでよいのです。できれば、不信任もなければいいですね」
 
低く言った。

「私は英雄にはなりたくない。そもそも英雄ってガラじゃありませんしね。……その補佐って方がカッコいい位置だと思いません?」

その言葉は本音か嘘か。
それは誰にも分からない。
彼女は一端口元を引き締め、そして今度は炎のような笑みを見せた。

「私は──鍵を持っている者の責任として、すべての悪夢を退けてみせましょう。裏側から、すべて」

ふわりとお辞儀をした彼女の顔は、天使であり、悪魔。
その声音は決して外れない矢のように。

「ヴェルト・メーア、貴女の悪夢も。シャロンの悪夢も。そしてレーテルの悪夢も」

<レベッカ=ジェラルディ>

「──ですが」

レベッカはヴェルト・メーアの声を完全に押し留めて、ゆっくりと言い放つ。

「シャロン会長は譲れませんよ、ヴェルト・メーア会長。彼はまだ、メディシスタにもレーテルにも、必要な人間です」

<…………>

祭壇の聖女は複雑そうな顔をしてレベッカを見返していた。
眉間にはシワ。だが口元は悲しく。
構わずレベッカはローブをひるがえし、祭壇を後にする。

「それでは夜遅く失礼しました。シャロン、ヴェルト・メーア。お邪魔をして申し訳ありませんでしたね。私はもう帰って寝ることにします。どうぞ、あなた方も安らかなる眠りを──」


炎の中でゆらめく十字のように、鞘の中で静かに抜刀を待つ刀身のように。
憂いを帯び、そして闘志を秘めた彼女の声がメディシスタの地下に響き渡る。

彼女の遠ざかる靴音と共に。
彼女の不敵な笑みと共に。





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