the uncompleted legend
THE KEY

─ 幕間  征服者(コンキスタドール) ─

時は少しだけさかのぼり、紅刃の剣を持つフェンネル・バレリー物語。 

2222HIT 鈴埜さまに捧ぐ

──ハッ!

夜闇の中に鋭い息吹が鳴った。
と同時に銀色の輝きが閃く。

──ッギィィン

耳障りな鋼鉄の音。
そして微かに聞こえた着地の音。
しかし暗闇の戦いは続く。
下から斜めに、そして左から一線。
無駄のない優美な剣が空気を、対峙の相手を、取り巻く邪気を斬り裂いてゆく。
見えない剣速。
勝負は瞬決。

肉が断たれる音はやけにスマートで、悲鳴と逃走のうなりは恨みがましく森の奥へと消えていった。剣の主は常人ではない。
しかし。

「──チッ」

彼の相手は人間ですらなかった。

「油断、か」

彼は対峙していた魔物に深くえぐられた左腕を、不快そうに見下ろした。
鈍い疼きが身体を巡りはじめ、彼は手にした剣の切っ先を下へと降ろす。

「ザマァねぇなぁ」

彼は自嘲気味に苦笑いを浮かべながら、滴る鮮血もそのままに、さわさわと不気味に風が流れる森を踏み分けた。
歩いて3歩。明かりひとつない森の中、大木を背にして座り込む。
彼はすでに魔物が近くにいないことを確認し、堪えきれなくなった傷の痛みに思わず柳眉をひそめた。


街を歩けば必ず警備兵に捕まり職務質問されるという、驚くべきほどに拗ねた黒曜の双眸。
不屈の性格を何のアレンジもなく表したかのような黒のツンツンヘア。学校指定の漆黒ローブで包んだその身は長身で、20をとうに過ぎている端正な顔には誰もを巻き込む不思議な風格。

それがチェンバース会長・フェンネル=バレリー。
彼のヴァンパイアのように紳士すぎた仮面の奥には、誰も抗えぬ紅蓮の修羅がいる。


「痛ッてぇなぁ……ったく」

止血を試みて、彼は不覚にも悲鳴をあげた。
普段は決して漏らさない言葉。
つまらないプライドだと思われるかもしれないが、彼は人前で弱音を吐くことが大嫌いだった。
彼だって能天気な楽天家ではないのだから、胸中では物事は常に悪い方へと向かって巡る。
だが彼は絶対それを口にしたりはしない。強いとか、弱いとか、そういう問題ではない。
あの男──メディシスタのシャロン=ストーンには負けられないという意地、「フェンネル=バレリー」という誇りを何があっても捨てないという決意。
そして人の上に立つ『チェンバース会長』という身であるということ。
すべての要素を踏まえ、彼は──自身の理想であることを求め続けているだけ。

その理想が時に己を傷つけ、崩壊させるものであることを彼は知っている。
しかし彼は──崩壊するまで突っ走る覚悟。


と。

「魔境でお仕事とは、規則違反ではありませんか? フェンネル会長」

背後で唐突に声がした。
闇に紛れて全てを見ていた、彼の悲鳴さえも聞いていた声。
腕を押さえ未だ止血をしていた彼は、思わずうめく。
死神に出会ったかのように絶望的な嘆息。

「レベッカ」

クスクスと笑い声を隠そうともせず、彼女は闇の中から現れた。

「その上あなたが怪我とは。一体何と戦っていらっしゃったんです?」


ダークブラウンの豊かな髪とダークレッドのローブ。
闇の森に音もなく潜んでいたその女の名はレベッカ=ジェラルディ。
肩書きはメディシスタ生徒会風紀委員長。
立場的にはフェンネルと敵対している。
『暴走魔導師』と名高い彼女は、その名に恥じず神出鬼没なトラブルメーカー。
誰も彼女が考えていることなんて予想できないし、彼女は……そう、「女心」よりも不可思議な「役者」だと噂されていた。

「なんでお前がこんなところにいるんだ?」

彼──フェンネルはとりあえず訊いた。

「レポートを徹夜で仕上げる途中だったんです。資料を運んでいたら、会長がこの森に入っていくのを見ましたので」

レベッカがごく自然にそう言い、そこで一端息を止めた。
足元に、そして森の奥へと続いている血痕を見やり、小さく肩をすくめる。

「『魔境』に入り、魔物を追う。メディシスタ、チェンバース、双方の生徒会で禁止されている行為ですねぇ」

言っている内容とは裏腹に、彼女の言葉の中に咎めの色はない。
むしろナゼか楽しそうなくらいだ。
3冊ほどの本を小脇にかかえ、右手には銀色の錫杖を手にし、にまーっと笑って突っ立っている。

「……フェンネル会長、その剣は?」

彼女の言葉はいつも突然。

「剣?」

彼は問われて、右手に持った銀刃をすっと振ってみた。
何の変哲もない、その辺の鍛冶屋でも武器屋でも手に入りそうな代物である。
大層な銘があるわけでもなし、大金をはたくモノでもなし。

「剣がどうかしたか?」

「いつもは紅刃の剣を使っていらっしゃるでしょう?」

フェンネルの好敵手、あるいは悪友、『シャロン=ストーン・メディシスタ会長』がふと洩らしたことがあった。『レベッカ=ジェラルディ、あの魔導師は世界のすべてを知っているような言葉を選ぶ』、と。
しかし彼はこうも言っていた。『あいつはただ単に心底世界をバカにしてるだけかもしれん』。

「コンキスタドール
(征服者)

フェンネルは無意識につぶやいた。

「はい?」

「あの紅刃の剣の銘だ」

「征服者……?」

彼女が道化のようにおどけて口の端を吊り上げた。
そしてそのままの表情で人差し指をぴっと立てる。

「それはあの『コンキスタドール
(征服者)』のことですか?」

「あの『コンキスタドール
(征服者)』、だ」

「ははぁ……あれはバレリー家に隠されていたんですね? 王都があんなにも血眼になって探していた『魔剣』」

フェンネルは立ち上がり魔境に背を向けて、くすくすと笑い声をたてているレベッカの横を通り過ぎる。魔境での訓練は邪魔が入った時点でもう終わり。学校へ帰るのだ。

「バレリー家はそう大した名門じゃあねぇ。だからこそあの魔剣が代々伝わっていたんじゃねぇかと俺は思うがな」

「家を存続させるための切り札
(ジョーカー)ってわけですか」

レベッカは足音も微かに、影の如くフェンネルの後ろを付いてきている。

「お前はあの魔剣の話をどれくらい知ってんだ?」

「そんなには。──『征服者
(コンキスタドール)』は年月が経つにつれて強くなる……それは、主であるべき使用者の魔力・気力・生命力、あらゆる力を剣が己のモノにしてゆくから。剣はやがて使用者を死に至らしめ、その剣士の力すべてを征服する……それゆえに付けられた銘が『征服者(コンキスタドール)』──。これが私の知っている話です」
 
フェンネルは前を向いたまま軽くうなずいた。

「恐ろしい剣さ。あれはもう数十人以上の剣士を殺している。俺の親父もあれに殺された。あの剣が紅刃なのは、主の血さえも我が物にしてゆくから、だそうだしな」

王都が即刻処分の危険ランク特Aに指定した魔剣「征服者
(コンキスタドール)」。
それは対峙した相手が危険だというわけではなかった。
いや、確かに危険ではあるのだが、それにもましてその剣は使い手にとって極度の危険をもたらすのである。

主を殺す剣。

それが『コンキスタドール
(征服者)』。
バレリー家が王都から隠し伝えてきた紅刃の魔剣。


「でもフェンネル会長、あなたはアレを愛剣と言って肌身離さず使っていたじゃありませんか。今更怖くなったんですか?」

「まさか」

フフン、とフェンネルは鼻にかけた笑いを漏らす。
それは虚勢でも何でもなく、レベッカの問いそのものが愚問だったということ。

「剣士になろうと志した時から死ぬのなんか怖かねぇ。あの魔剣を継承した時から俺の最期くらい覚悟してるさ。征服されてやるつもりなんざサラサラねぇがな」

いつの間にか森を抜けていた。
うっそうと茂っていた森の中にあっては気がつかなかったが、空には赤く不気味に輝く月。
魔境の森に響く奇怪な獣鳴。
足元はひんやりした風になびく草原。
薄暗がりの前方には学校の城壁と巨大な門。

恐ろしいほどに絵になる光景。

「俺は魔剣になんざに負けるような男にはなりたかねぇ」

フェンネルはわざと大きな声を出した。

「だが、魔剣なんざ使わなくとも強い剣士でありてぇ。──レベッカ」

「はい?」

「ただの銀剣でもお前の防御を突破できるくらいのな」

「……私だって黙って待っていやしませんよ?」

そう言う彼女の顔は、夜にあって凛とした冷たさをたたえている。
その瞳にあるのは季節外れの霜。
校内一の防御魔術を誇る魔導師、レベッカ。
シャロンも、フェンネルも、彼女に負けたことはないにしろ、勝ったこともなかった。

ふと、以前彼女が誰にともなく言っていたことを思い出す。

『生きることとは守ること。気がついていない人が多いだろうけど、みんな何かを守るために生きているのよ。守っているのは自分だったり、他人だったり、物だったり、信頼や名誉っていう不定形なものだったり。でも滑稽よね。私たち魔導師は、自分の守りたいもの全てを自分だけの力で守り通せるようになろうと日々奮闘してるのよ? ひとりの力なんてたかが知れてる、自分だけでどうにかしようなんて傲慢も甚だしいって言うのにね。……まぁその代表が私なんだけどねぇ』

防御魔導師。そう名付けられた彼女は、苦々しくそうのたまっていたのである。


「レベッカ」

「はい?」

「お前は何を守っている?」

「…………」

問われた彼女の顔色は全く変わらない。
その質問自体すでに予想済みだったのか、それともフェンネルが思うほど大した質問ではなかったのか。どちらにしろ、全く動かない笑顔のまま彼女はオウム返しをしてきた。

「フェンネル会長は何を守っているんです?」

 城門の外に月明かりの中ふたり佇む男女。二流恋愛小説にでもよくでてきそうな場面ではある。
しかし近づいてみれば、そのふたりはロマンチックな言葉の片鱗さえ口にせず、互いを探りあうような薄気味悪い笑顔で対峙している。

「──知らねぇな」

彼の言葉は実に明白だった。

「俺はそういうややこしいことは考えねぇ。腕を薙がれようが血を奪われようが、俺はたださらに上を目指すだけだ」

言って、彼は腰の短剣を取り出し、手にした長剣の刃を撫でこする。
銀色に輝く刃を、惜しげもなく削ってゆく。

「どんなに地獄を見ようと、どんなにボロボロでみじめな姿をさらそうと、だ。勝って負けて、勝って負けて、勝って、俺は生きてる限り上を目指す。よく言うよな──勝者はその時点で敗北が決している──。だがな、俺はそうなつもりはねぇぜ?」

「フェンネル会長」

初めてレベッカが表情を変えた。
手品の種明かしをされた観客のように、目を丸くしている。そして少し非難がましく、

「『コンキスタドール
(征服者)』」

つぶやいた。

「こうやってバレリー家は何代にも渡って、王都から魔剣を隠し続けてきたのさ」

銀色の剣。その銀光は偽りの塗装。剥がれ落ちたその下には、禍々しいほどの紅。
悪夢のような輝き。
その剣は紛れもなく、魔剣『征服者
(コンキスタドール)』。

「紅刃のままで学校外には出さねぇし、家の外にも出さねぇよ」

魔剣に殺される前に、自分がこの剣を征服しなくてはならない。
その方法も分からないうえ、それで命が助かるかどうかの保障もない。
だが──彼はもうすでに継承したのだ。
ウダウダ理屈を並べているよりは、真正面から魔剣と闘っている方がはるかに潔い。
はるかに「フェンネル=バレリー」流である。


「毎夜、魔境に入って魔物相手にその剣を手なずけていたんですね?」

「毎夜?」

「シャロン会長が言っていました。近頃、チェンバースの生徒会室は夜になると空いているって。いつもなら図書館の本を山の如く積み上げて密かに勉強しまくっているフェンネルがいるのにって」

──あんのアホ。

「生傷も絶えないようですし、ね」

レベッカが笑って脇の本を抱え直した。
彼女は、ナゼか再びだらだらと血が流れ始めたフェンネルの左腕を指さし、

「腕の怪我、放っておいたら化膿しちゃいますよ。来てください、手当てくらいなら普通にしてあげますから」

彼の返事も聞かずにくるりとターンした。

「あ? ……あぁ」

少々間抜けた返事になったのは仕方ない。
そんな言葉が彼女の口から出てくるとは思いもしなかったのだ。

──あの女が手当てだと? 冗談じゃねぇ、殺される。

しばし呆然としていた彼は、振り返りもせずにさっさと門をくぐって行ってしまうレベッカの背中に向かって呼びかける。

「レベッカ、お前、酒は飲めるクチか?」

「少しは」

彼女は遠く、振り返りもせず。

「シャロンを叩き起こせ、これから宴会をやる。全部オレのおごりだ。隠しておいたとっておきのワインを開けてやるぞ!」

その言葉で、やっと彼女は振り向いた。

──満面の笑み。

「…………」

不吉な予感を感じて一歩下がったフェンネルだがもう遅い。
彼女の声はまるで死の宣告。

「レポート、手伝ってくださいね?」


きっとおそらくたぶん。彼女は始めから、そういうつもりだったのだろう。




◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇





剣に殺されるなら本望。
父親はそう言って死んだ。
その言葉が果たして尊敬すべきものだったのかは分からない。
だが、父がそれを望んだのなら、それでいいと──フェンネルはそう思っていた。
親戚一同が声をそろえてそんな剣は早く王都に処分させてしまえと喚く中、彼は魔剣を継いだ。ただひとつ、更なる上を目指すために。


彼は前を歩くレベッカを追いながら、自らの魔剣に手を這わす。

──やっぱオレにゃ理詰めは似合わねぇ。オレは闘う。命を賭けててめぇと闘うぜ?


我が染血の愛剣 『征服者(コンキスタドール)
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