- 「……そりゃあまぁ、嫌ですけど」
ネーベルの返す言葉にも覇気がなかった。
レベッカもいささか茫然自失気味にただその男を見やる。
しかし相変らずレオリオ閣下は、こちらを見たままヤル気なく煙草をふかし続けていた。
煙草。それは言ってみれば薬草の塊なので害はないし、不快でもない。むしろ香草のおかげで部屋の空気が格調高くもなっている。
だが彼は、……いささか度が過ぎていた。テーブルの灰皿には、すでに10本以上の短くなった煙草が積まれている。
「……君達、お名前は?立っていたら疲れるでしょう、座りなさい」
『はい』
完全に立場が逆転しているが、レベッカでさえも毒気を抜かれていた。
まさに、未知との遭遇。
「えぇと、私は3年のネーベル=ケルトリア。メディシスタ生徒会の副会長をしています。専門は魔導です」
「同じく3年のレベッカ=ジェラルディ。風紀委員長で、専門は防御魔導です」
「防御?」
「はい」
一瞬レオリオ閣下は興味ありげな顔をしたが、それもほんの束の間。
冷涼な目が宛もなく空間を彷徨い、まるで書面を丸暗記しているような滑らかさで事の説明をしゃべり始める。
「僕がここにきた理由はさっきも言ったとおり。生徒の失踪に対して、学校も生徒会も何一つ有効な策を提示できないでいるね。おまけに捜査だってやっているのかいないのか。親からの苦情が王都にも届くようになって、王都も動かざるを得なくなった。けれど王都は昔からこの学校を支配下に置きたいと願ってきたから、むしろ好都合。こちらの提示は経営権か自治権かどちらかを王都に委譲すること。君達に選択権はあるが、拒否権はない。以上。……分かったかい?」
内容は大したことないはずなのだが、変わらぬスローな調子なものだから物凄く仰々しい。
レベッカは少しばかり肩が痛くなるのを感じながら、嘆息。
「分かりました。ですが、拒否権がないとはどういうことですか?」
レオリオ閣下はしばし虚空を見つめ、再び煙草を口にする。
そして数瞬、やんわり目を閉じてふうぅっと大きく煙を吐き出す。
「君達に拒否はできないってことだよ」
──当たり前のことでしょう。そんなことまでいちいちしゃべらせないでくれ。
あぁ面倒臭い。
そんなレオリオ閣下の雰囲気。
「そうじゃなくってですねぇ、どうして拒否できないのか理由をお聞かせくださいぃ」
「私が来たからだよ」
それは即答だった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
<いいのですか?>
「何が」
<行かなくて>
「構わない。レベッカがいればなんとかなるだろう」
<…………>
透き通るような声は沈黙した。
彼女の視線は、その傍らで剣を抱いたまま考え込むように座っている男に向けられる。
石の祭壇に背を預け、凍れる紫眼を薄く閉じている男。
底のない闇のロングスーツは微動だにせず、微笑をたたえた口だけが開く。
「あいつの前に立ちはだかろうとするヤツは、必ずあいつに蹴散らされるさ」
<…………>
「辞表はもらってもまだあれはオレの手で止まっている。事務を通ってはいない。明日くらいには出してやってもいいが……だからあいつはまだ生徒会の仕事をせにゃならん」
<あなたは何をしようと言うの?>
「ヴェルト・メーア。あんたはまだオレに隠していることがある。違うか? あるのなら、教えてくれないか? その代償としてオレの命をやろう。あんたと共に永遠を生きよう」
この男は、そんなことを平気でさらりと言う輩だった。
彼の動きのない目がヴェルト・メーアを捕らえ、答えを待っている。
彼の方が彼女よりずっと年下であるのにもかかわらず、いつだって彼には彼女を圧する奇妙な余裕がある。
揺れを表に見せないポーカーフェイス。
諦めているわけではない。
悟っているわけでもない。
彼には──真正面からすべてを受け止める度量があるのだ。
何物にも変えがたい、天性の度量と鍛錬の精神が。
少なくとも、ヴェルト・メーアはそう思っていた。
彼は、彼女が今まで出会ってきた誰よりも正真正銘の剣士。
そして何より──幸か不幸か、彼には重石がある。
手綱をしっかり握っていなければ危険な参事官が……。
<あの娘は言いました。会長は譲れない、と。あなたが私と運命を共にしようとするなら、魔境さえも焼き払って阻止する、と>
「本気だろうな。あいつがやると言ったら、現実になる。どんなアホらしい企画でも、どんなバカらしい挑戦でも、だ。……魔境だって焼き払えるかもしれん」
<…………>
「だがあいつはオレに勝てない」
男の声に抑揚はない。いつもと同じ、静かで凛としている。
<…………>
彼女は彼の中に修羅を見た。
あの魔導師、レベッカ=ジェラルディと同じ修羅を。
地獄の火炎の如き意志。
研ぎ澄まされた怜悧な意志。
低い声は小さな魔境に響き、そして闇へとすぐ消える。
「あいつはオレに勝てない。それは……あいつ自身よく分かってるさ」
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「はぁ」
ネーベルの返答はあまりにも気が抜けていた。
だが他に何と言うべきだっただろうか。
──私が来たからだよ……って、だから何だっていうのよッ!
レベッカは胸中で毒づきながら背筋を正した。
「それは、ここの魔導師全員を相手になさる覚悟がおありということですか?」
「お望みなら」
「…………」
宝石のような双眸がレベッカを見据えてくる。
感情の一片もない瞳。
こちらが固まっているのにも構わず、彼はマイペースに紫煙を吐く。
ほんっとーに、この学校のことなどどうでもよさそうである。
レベッカは意識的にきっぱり言った。
「私の一存では決めかねます」
と、レオリオ閣下の口が瞬時に動いた。
「自治権を取るか、経営権を取るか、決めかねる? 生徒会の貴女が何を言ってるの。この場合貴女はためらいなく自治権を取るべきでしょうが」
──どーしてコイツに説教されなきゃなんないワケ?
正直者なレベッカは微妙に眉をゆがめた。
香草の煙までがうっとおしくなってくる。
ボケた顔して、恐い目をして、こちらをナメているとしか思えない。
おまけに彼はもっとナメたことを言ってきた。
「僕に提案があるんだけど」
「提案、ですかぁ?」
「失踪事件を君達が解決したら、この話はなかったことにしよう」
「…………」
「どうしてです?」
レベッカはあからさまに怪訝な顔。……というより胡散臭げな顔。
「どうして──って?」
「閣下は王命でここに来た。この学校をのっとるために、ね。それなのにどうしてそんな提案をするんです? さっきの選択肢はふたつだったはずです。失礼ですが、あなたにそんな権限は……」
「権限はないさ」
レベッカは思わず視線を外した。
イーサ=レオリオ。
ただの王都調停官であるその男の視線に、彼女はひるんだのだ。
シャロンのそれにも耐えてきた彼女が。
彼の視線は、深すぎた。
「僕にとってココを潰すなんてことは、遊びのうちにも入らないよ。今日のうちにだってすべてを終らすことはできる。けれどねぇ、僕は試してみたいんだよね」
相変らずスローテンポなしゃべりだが、その目は明らかにレベッカの胸元、あの白いスカーフを見ていた。きっと、更にその奥を。
──何故
「君は、私たちが人々の流れに逆うことって、できると思うかい?」
「人々の流れ?」
「言い換えれば、“世間”だよ。世の中の流れほど恐ろしいものはない。どれほど強い者であっても、それには抗えない」
「確かに過去歴史を振り返れば、人の波は王をも葬ります。しかし……」
「誰も抗えない。どれだけ反抗しても、そしてもし成功したとしても、必ずいつか人々の波に迎合せざるを得なくなる。君達の会長も同じだと思うけどねぇ」
「シャロン=ストーン?」
レベッカはわずかに顔をしかめる。
「彼が──」
「彼は素晴らしい剣士だよ、確かにね。ストーン家の名に恥じない立派な剣士さ。だけど、彼はそこから抜け出せない。彼は否が応でも王都の剣士団に入らなくちゃならないだろう。この世で唯一絶対の言葉、王の勅命がくだる。きっとね。この学校を賭けてもいい」
「学校はまだあなたの物ではありません、閣下」
「構わないよ、すぐにそうなる」
言い捨てて、彼は短くなった煙草を灰皿に押し付けた。
そしてすぐに胸元から新たな一本を取り出して火を点ける。
「勅命が下った時、彼は逆らえると思うかい? もし逆らったとして、その後どうする?ストーン家はどうなる? 彼はこの世界のどこで生きてゆく?」
紫煙の向こうのレオリオ閣下は無表情。
言葉の調子も無味乾燥。
レベッカは燃える煙草の火を見つめ、低くつぶやいた。
「あの人はどこででも生きていける」
「無理だよ」
「無理ではありません。あの人はもうその事に気がついています。自分が、家にも王都にも囲われている存在であることを知っています。今彼が求めているのは剣の腕だけじゃない、世界を相手にする力です」
「そんなものは、ないよ」
「“ある”ことに保障はある。けれど“ない”ことに保障はないでしょう。いつだって“ある”という影がつきまとう」
長い前髪の奥、レオリオ閣下の切れ長の目がすっと細まった。
宝石の瞳が宙を彷徨い、
「そうだね」
うず高く吸殻が積まれた灰皿に落ちる。
「だから──」
彼は、もう息をするのさえ面倒だという調子のため息をつき、
「君達が証明してくれれば、人の流れに抗えるのだと証明してくれれば、僕は負けを認めよう」
彼はぽんぽんっと煙草の灰を灰皿に落し、もう一度その視線を上げる。
鋭い、そして意志の灯った視線。
優雅な、試すような視線。
「レベッカ=ジェラルディ。君は全てを完結させられるかい?」
その視線は彼女を見、そして白いスカーフの裏を射抜く。
「えぇ、きっと」
応えたレベッカは厳しい笑み。
「大団円にしてみせます」
「そう。じゃあ良い演技を。鍵の魔導師」
──何故。
レベッカは苦虫を噛み潰したまま席を立った。
レオリオ閣下に背を向けて、白いスカーフごと“始まりの鍵”を握り締める。
苛立たしげな彼女の舌打ちは、彼に聞こえただろうか。
──何故この男は“鍵”のことを知っているのよ?
そしてその在処まで、どうしてこの男が知っているのよ!?
<あの人は私を許さない……!>
あきらめた紫眼の男さえも去り、誰もいなくなった地下。
押さえられた嗚咽が小さく響いた。
あふれる泉の如く、終らない呪文の如く。
<あの人は私を許さない>
<あの人は世界を許さない……!!>
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