- フェンネル=バレリーは生徒会室のテーブルに足を乗せ、右手に紙束、左手にカフェオレを持って不機嫌に眉を寄せていた。
今日は下宿で寝ている予定だったし、同級の友人にもそう告げてある。
だが事態が事態。学校がすでに魔境の侵食を受けていることは極秘事項で、その事は教師やシャロンしか知らない。
そんな中呑気に寝ていられるほど、彼も堕ちた男ではなかった。
「マグダレーナ」
「はい?」
振り返った彼女は、フェンネルの行儀悪さにため息をつく。
家柄の違いというものであろうか、マグダレーナはこの素行の荒い会長がどうにも気に入らなかった。上品さがないわけではないのだが……彼のやり方にどうしても納得できないし、ついてゆく気にもなれない。
誇らしく思うのは、彼がシャロンと互角に渡り合っている時、彼が公の場に立っている時くらいのもの。
だがフェンネルの視線は紙束に向けられていて、そんな彼女のことなど気にも留めていない。
「この報告書はハイネスのものだと言ったよな?」
「言いましたわ。デート一回でもらいましたの」
「ふ〜ん」
彼は彼女の美しさもまるっきり無視状態。それもまた彼女の神経を逆撫でしていた。
「それで、この書類はシャロンにも渡ってるのか?」
「いいえ。たぶんまだ。今朝出来あがったのをわたくしがハイネス様から写しをいただき、彼はそのまま4学年の警備指導に行かれたはずですから、シャロン会長にお渡しする時間はなかったと」
「なるほどねェ」
フェンネルはようやく鋭い目を書面から離した。
可愛いというより美人と言った方がしっくりくる部下を見、カフェオレを飲み干し、足をテーブルから下ろす。
「マグダレーナ、お前はこれを見て何も思わねぇか?」
「え?」
フェンネルは書類をテーブルに置き、ぺしぺしと一点を叩く。
「これはハイネスが聞き集めた行方不明者リストだろう? 有に20人は超えている。王都がぎゃあぎゃあ騒いでくんのも無理ねぇな。……で、だ。俺は3年のことはよく分からねぇが、このレビアとマルティナって4年がいるだろう? それからこの5年のジェイス先輩とイルミナ先輩、ラックウェイ先輩。この五人の共通点は、全員召喚術の成績上位者ってことなんだよな」
「でしたらフェンネル会長も」
「俺ぁ召喚はダメだ。机上の論理ならともかく、実技は魔導のようにゃいかねぇ。召喚ばっかりは血の問題がかなりあるな」
「血筋ってことですの?」
「そうだ」
フェンネルは、考え込むマグダレーナのおでこをぴしぴしと指ではじいた。
「このリストの3年に、それっぽい奴はいねぇか?」
「名前の上がっている生徒全員、成績上位者ですわ。血筋でない人も混じってはいますが」
「突発的天才肌も混じってるってことか」
失踪者の共通項が召喚士。
この学校の成績上位者ともなれば、その実力はかなりのものに値する。
おまけに失踪者は血筋ではなく完全に成績によっている。しかも実技の成績とまで限定つきで。
-
- 「こりゃ誘拐だな」
フェンネルは口を引き結び、その目を険しくした。
黒曜の炎が宿る斜めの双眸。
「しかも学校関係者が犯人に違いねぇ」
そうでなければ召喚士など血筋で選ぶはずである。成績上位にいなくとも、高名な家柄の生徒はかなりいるのだから。
「気にいらねぇな。召喚士ばっかり集めて何しやがる……」
「召喚の最上は聖天か堕天。しかしそれでもハイネス様クラスになればお一人で召喚出来るのですから、何か新しい魔獣でも召喚するつもりでしょうか」
机上試験の内容ならばフェンネル=バレリーに敵う者はいない。
だが彼も所詮は剣士。
召喚の奥底までは分からないのだ。
「子ども騙しの物語でなら聞いたことあるがなァ。何故かコリウス教師やデュランタ教師が目の仇にしていた“始まりの鍵”の伝説。お前も知ってるだろ?」
マグダレーナが自信なさげにうなづいてきた。
要するに、よく知らないということだろう。
「この世には、世界が創ったといわれる二つの物がある。それは“終焉の棺”と“始まりの鍵”。このふたつが出会った時、何かが起こり、人々は唯一運命に対抗する術を与えられる。これが伝説の概要だが……」
フェンネルは読み漁った数々の古書(無論古代文字で書かれたものも多い)を思い出す。
必要であろうとなかろうと、彼はかなりの数を読んできた。
戦場においては、あらゆる可能性に対するには、知識はあればあるほどいい。
それが彼の持論。
「その伝説の中に出てくるらしいのが幻視の城。らしいってのは……断定した記述がねぇからだ。どれもこれもこの伝説は曖昧で、話としちゃ三流以下だな。どっかのバカにしてみりゃ追いかけがいのある夢物語なんだろうがなァ」
フェンネルは、現在どっかのバカが憔悴しきりであるとも知らず、ニヤリと笑む。
そして講義でもするかの如くにテーブルをコツコツと指で叩いた。
「俺の理論でいくと、だ。幻視の城ってのは実体のない城。つまり、召喚獣と同じ類のモンだと分類される」
「召喚獣と同じ?」
「召喚獣ってのは、召喚されるまでその場所には実体がねぇ。そうだよな? 召喚されて始めて、奴等は場所に実体を得る。幻視の城も同じじゃねぇかと思うんだよ、オレはな。もしこの伝説が本当なら、実体のねぇ城は召喚することによって現れる」
「まさか」
「そして可能性はもうひとつ」
フェンネルはマグダレーナの結論を待たずに続けた。
──なんだか大変なことになってきちまったなァ
「ハイネスがちらっと言っていたのを思い出した。召喚ってのは、実体のねぇものを呼び出すだけじゃねぇ、魔境の魔物をも呼び出せる。つまり、」
彼は我ながらバカげた思い付きだと思いながらも言葉をつないだ。
「大昔のあの戦い。魔導師ブラッド=カリナン、騎士セーリャ=クルーズ、魔王レジェーラ=フェレスト……かの三強の戦い。もしこの誰かが勝っていたとして……そう、例えばレジェーラが勝っていたとして、奴が未だ魔境にいるのなら召喚できねぇことはねぇってことだ。奴は魔境の魔物だからな」
「…………」
──何のために?
「けれどそんなこと、あるはずが!」
「ねぇとは言えねぇよな?」
彼の低い押し殺した声に、マグダレーナが口を閉ざした。
ぴんと張った空気が頬に痛い。
「マグダレーナ」
「はい」
「こんな風にあれこれ並べてみたが、今やるべきなのは推理じゃねぇ。生徒を守ることだ」
「はい」
フェンネルは小さく唇を噛み、息をつく。
マグダレーナからは外されたその視線は、これから起こるだろう全ての未来を威嚇し、牽制し、突き刺している。彼には負ける気などこれっぽっちもなかった。
「召喚成績上位者の残り全員講堂に集めろ。スヴェル副会長とお前と、それからおそらくメディシスタのネーベル副会長も手が空いているだろう、手を貸してもらって講堂を守れ」
「え?」
「これ以上被害者をだすわけにはいかねぇんだよ! 分かったらさっさとやれ!」
つい語気を荒げたフェンネルに、負けじとマグダレーナも声を張り上げてきた。
「そんなことおっしゃいますけど、会長! あなたにそんな権限はないのですわ! 生徒の行動の自由を奪うことなんて許されていないんですのよ!? どんな場合においても!!」
彼女の声は頭にキンキン響く。
特有の鋭く高い声。
しかしフェンネルはその眼光をひるませず、彼女に告げた。
「権限なんてもんはどうでもいい。責任くらい俺が取る。それが会長の仕事ってもんだろうが」
黒のヴァンパイア。
そう異名を取る彼は、手段の正しさなど選ばない。
彼は己が道を己が手で斬り裂いてゆく。
そしてその重さはしっかり背負う。
真っ直ぐな情熱としたたかな算段。
「分かったら、行け」
彼は、チェンバースの誇りなのである。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「閣下、お顔の色がすぐれないようで……」
「もうすぐ煙草が終る。箱で持ってきなさい」
話し合いも終わり、ふたりの魔導師が去った後、未だ応接室のソファに座ったまま、レオリオは面倒臭そうに命じた。
その顔は、白皙というに余りに白い。
「とは言いましてもそのお煙草は王都でしか……」
「窓の外を見てご覧。僕たちは王都になんか戻れないよ。この学校はもうすでに魔境に囲まれているんだからね」
「…………」
そろそろと窓へ近づいていった兵士が絶句したまま何も言わないのは、適当に並べた不吉な台詞が当たっていた証拠だろう。
レオリオは顔をしかめてふっと笑った。
「ここは魔導学校。力を抑える煙草くらいどこかにあるでしょうよ。捜してきなさい」
「…………」
「……早く!!」
「はっ。ただ今!」
あまりの怒気に気圧された兵士が、ばたばたと部屋から去ってゆく。
レオリオはそれを見、途端その秀麗な顔を苦痛に歪めた。
胸を抑え、ソファから床へと崩れ落ちる。
絹糸の銀髪が乱れ、ぼけた視線が一点凝縮。
あまりの痛みに息をするのもおぼつかず、しかしそれでも彼は口の端をつりあげた。
「──フン、王都め」
絞り出した声にはありありと憎しみの色。
「力で……私を抑えつけようたって、そうはいかないよ……」
特に大きな力を有し、今まで一度の失敗もないレオリオは、所属する王都からでさえ危険因子とみなされていた。彼らは大きな力を嫌う。学校も、シャロンも、レオリオも。
命令無視の代償として、身体を苛む呪いがかけられていても不思議ではない。
現に苦痛は、王都へ「話し合いの延長」を連絡した直後から彼を襲っていた。
内臓すべてを握り潰されているかのような身体の軋み。
出口のない呪詛の苦痛。
すぐにでも意識を手放したい。
すぐにでもこの喉を掻き切ってしまいたい。
だがそれは──彼の敗北を意味するのである。
レオリオは純白の手袋をした手で、額に浮かんだ冷や汗を払った。
そして新しい煙草にまた灯を点け、苦痛を忘れるがためにソファへとその身体をうずめる。じっと目を閉じ、煙草一本に集中し、あらゆる感覚を身体の外へと追い出してゆく。
「僕は負けやしない。王都に報いを与えてやるまでは」
ゆっくりと吐き出された紫煙は、やんわりと彼の身体を取り囲む。
応接室に立ち込める香が、また一層濃くなった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
誰もいなくなった生徒会室で、フェンネルは一人愛剣に手を這わせた。
鮮血のような不気味な色をした紅刃の剣。
すらりとした薄刃の剣。
銘は『征服者(コンキスタドール)』。
手にした主のあらゆる力を吸い取り、やがて主を殺す剣。
彼が彼の亡き父から受け継いだ、王都の危険ランク特Aの魔剣である。
派手で役者なフェンネルには、それ相応の剣だろう。
例えそれが彼を殺すに至っても、彼はそれを手放しはしない。
彼は継承を悔いやしない。
──シャロン。俺の首が落ちる時は道連れだぜ?
彼がニヤリと笑みを浮べたその時、誰かが生徒会室の扉をノックした。
フェンネルは怪訝な顔をしながらも黒いローブをひるがえし、返事をする。
「開いてるぜ」
「失礼します」
鈴を転がすような声音の主は、銀髪の美女・メディシスタのアスト=ミスペルだった。
シワひとつないワイン色のローブを流れるように着こなし、細いながらも典雅な姫。
そしてその後ろにはわらわらと生徒が居並んでいる。
「メディシスタのあんた達がこの俺に何の用だ?」
「わたくしの父様は王都に勤めております」
「そんなこたぁ知っている」
「今日、王都から使者が参りました。イーサ=レオリオ閣下とおっしゃる調停官です」
「それも知っている。レベッカが片付けてるんじゃねぇか?」
「レベッカでは相手になりません!」
ぴしゃりと言い放つ。とはまさにこれを言うのだ。
フェンネルは、小説家ってのはスゴイもんだと関心しながら目の前のお嬢さんを見据える。
「レベッカじゃ相手になんねぇ? じゃあそのイーサなんとかを止められる奴ァこの学校にはいねぇなぁ」
「あの御方を止められる人などいません。彼は無敗の調停官。──魔導の力も、生徒が束になったところで、あなた方が束になったとしてでさえ敵いはしません!」
「…………」
「もう何もしないわけにはいきませんでした」
ずいっと手渡されたのは分厚い書類束。
フェンネルはようやく悟る。
彼は失望に染まった漆黒の瞳を伏せ、何も言わずにアストの宣言を聞いた。
──自滅の第一歩、だねェ?
「これはメディシスタ生徒三分の二の署名です。わたくしたちは今日をもって、会長シャロン=ストーンを不信任にて解任いたします」
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