the uncompleted legend
THE KEY

第六章 嵐 2

「約束、忘れていないよね……?」

《忘れてなどいない》

「そう」

《お前の気が済むまで、お前の望む限り余の力を貸してやる》

「ありがとう」

《だが……》

「?」

《…………》

「何?」

《いや。何でもない》

「……そう」



◇  ◇  ◇  ◇  ◇



ぼっ


楽しげな音をたてて、フェンネルが手にした署名束は炎に包まれた。

「──!?」

彼はぎょっと顔を強張らせ、慌てて手放し踏んづけ消火。分厚い紙束は黒い灰となって紅絨毯の上へと落ちてゆく。

『…………』

その場全員が声をなくし、空気は凍りついた。

「てめぇ」

ちょっとばかり手に火傷を負ったフェンネルが喉の奥からうめいた。彼がゆっくり顔をあげれば、その視線の先には予想どおりの輩。
戦々恐々とする生徒の群れを真っ二つに分け、ソイツは突っ立っている。無感動な顔で。まったくもってつまらなそうに。

「よくも俺の手まで燃やしてくれたな、レベッカ」

「…………」

眉根ひとつ動かさず、彼女はスタスタとフェンネルへと歩いて来た。
不信任決定の宣言も耳に入っているだろう。息を殺して身を縮める大群も目に入っているだろう。しかし彼女はそれらすべてを無視していた。

カツンカツンというレベッカの靴音だけが廊下に響き、その姿と共に無数の視線が動く。
アスト=ミスペルの射るような視線も、彼女のローブにあたって返される。

「レベッカ=ジェラルディ!」

「…………」

アストがたまらず抗議の声をあげたが、レベッカはそれにすら応じなかった。
彼女は黙って生徒会室へ足を踏み入れ、くるりと回れ右。

「ごきげんよう」

彼女はその据わった眼差しで遠くをみたまま、薄く笑みを浮べている。

「──レベッ……」

そしてレベッカは有無を言わさずばしんっと扉を閉めた。
険しい顔をした、輝くシルバーブロンドの鼻先で。
アスト=ミスペル、彼女にだけちらっと嘲るような笑みを投げて。



「何で燃やしたりした? 燃やしたって何も変わらんぜ? これはコピーで本物は事務を通ってる」

フェンネルはいささか呆れた顔で嘆息した。
彼女の突発的行動にはある程度慣れているが、それでも少しはたしなめないわけにはいかないのだ。しかしそんな彼の胸中を知ってか知らずか、レベッカはあっけらかんとして即答。

「燃やしたかったからです」

「一次元で答えるんじゃねぇよ」

「演出」

「あのなァ」

「これでシャロンに指揮権はなくなった。あの人たち、彼に守ってもらうつもりはないってわけね。いい心がけだわ」

レベッカがその言葉を無表情で言うのだから、余計に恐ろしい。
まだクルクルと表情を変えて怒っている時の方がマシであるのだが。
彼女は能面顔でツカツカと部屋を横切り、奥にあったソファを陣取った模様。
確かにそこは接客用の一郭だが、自分からそこに座るとはさすがイイ性格をしている。

「王都調停官、イーサ=レオリオ。彼が向こうからの使者でした。……知っています?」

彼女の言葉はいつも唐突。
試すように上げられた彼女の視線に、彼は動じず真っ直ぐ見返す。

「向こうは何だと言ってきた?」

残念ながら権力に疎いフェンネルは、その調停官の名前を知らない。
なんだかとんでもない奴だということでさえ、さっきアスト=ミスペルの言葉で認識したばかりである。
 
「私たちの自治権、もしくは学校の経営権、どちらかを王都に渡せと言ってきました」

「どっちにしたって学校は奴等のモンってわけだな。で?」

フェンネルはレベッカを促す。
彼女がここへわざわざやって来たのだ。上司の不信任宣言を聞きに来たわけではないだろうし、ましてフェンネルの手を燃やしにきたわけでもないだろう。
何かで腹を黒く染めてきたに違いない。

「向こうが条件を出してきました」

「条件?」

「向こうといっても王都ではなくて、調停官個人の判断みたいですけど」

「ほぅ?」

「生徒失踪事件を解決すること。それが条件です。解決できれば……王都は今回学校から手を引く、と」

フェンネルはうなづきながらレベッカの顔を伺う。
未だ平らな彼女の顔には、しかし闘志の炎がちらつく瞳。

「それでお前は、その申し出をホイホイ受けたわけだな?」

「無論」

彼女がようやく不敵な笑みを浮べて立ち上がった。

「シャロンが会長をクビになって、逆に良かったかもしれない」

そして悪戯っぽい視線をフェンネルへと向けてくる。

「奴が責任を取らなくて済むから、だろう?」

「彼が王都に刃向かえばストーン家もろとも潰される。でもあの人はきっと王都に刃向かいたがる。今はまだ戦えるだけの力もないくせに。余計なところで未来の楽しみを台無しにするわけには いかないのよ。私、あの人には期待してるんだから」

「分かった分かった、分かったよ。難しい責任は全部俺が取ってやる」

フェンネルは手を掲げて降参ポーズ。

──俺にゃ期待していませんってか?

彼は柳眉を寄せながらも笑って言った。

「学校唯一の会長である俺様が全部責任取ってやるから、シャロンにゃ昼寝でもしとけって言え。だがレベッカ。──勝算はあるんだろうな? 勝たなけりゃ意味はねぇぜ?」

「勝算?」

彼女の声は蒼空よりも広く、太陽よりも明るい。そして、悪魔よりもタチが悪い。

「負け戦なんかしませんよ、私はね」


彼女は決して負けない。彼女は決して負けを認めない。
そりゃ点数だとか、実技の対抗訓練だとかは別である。
しかし彼女は負けても負けても、地に落とされたままではいない。
必ず仕返しはする。
必ず炎を背負いながら立ち上がる。
彼女は、自分でどうにかするしかないモノがあることを知っている。


彼女は決して安直な夢は見ない。
彼女の見る夢は全て、彼女が実現を覚悟した夢。
必ず世界に具現すると約束した夢。
彼女の言葉は全て、彼女の道標。彼女自身。



◇  ◇  ◇  ◇  ◇


「……どうだ、俺の推論は?」

「さすが首席! 確かに幻視の城は召喚で呼び出せるかもしれない」

目を丸くして感激するレベッカに、フェンネルはフフンと口の片端を上げる。
マグダレーナにレクチャーしたことを彼女へそっくりそのまま話してやったのだ。

「じゃあ召喚士をさらっているのは幻視の城を呼び出すため?」

「まだ、レジェーラ=フェレストを呼び出すって可能性もあるがなァ」

「魔王なんて誰が何のために呼び出すんです?」

「じゃあ幻視の城なんて、誰が何のために呼び出すんだよ」

『…………』

レベッカが口をへの字に曲げ、ぱたんぱたんと足を鳴らした。
考え込むように──実際考え込んでいるのだろうが──アゴをつまみ、眉間にシワ。
しばし沈黙していた彼女は、

「物凄く嫌なことを思いついたわ」

突然ぼそりと言った。

「幻視の城にレジェーラ=フェレスト、両方召喚しようとしていたらどうする?」

「お手上げだな」

茶化しながらもフェンネルの顔は厳しい。

──そんな大それた夢物語だったら俺の手にも余る

「大体、両方召喚するにしたって、理由が分からねぇのには違いねぇよ。幻視の城はともかく、なんで今更魔王を呼び出さなきゃなんねぇんだ?」

「理由は分からない。──でも誰が召喚しようとしているのかは分かった気がする」

「…………?」

フェンネルがレベッカを凝視すると、彼女はいつになく真剣な眼差しを返してきた。

そして全く違う事を言う。

「フェンネル会長。召喚術の上手い人間を全員守らなければ」

「もう手は打ったぜ。全員講堂にいるはずだ。ウチの副会長と評議委員長、それとネーベルが守っている」

それじゃあまだ力不足。そう言いたげなレベッカだったが、ふと彼女の表情がぴたりと止まる。
真摯な顔から一変、何かを必至で思い出そうとするコミカルな苦悩。

「えぇとねぇ、忘れているのよ。忘れてるの。……召喚…召喚…魔王を召喚できる程の召喚士……」

「魔王を召喚できるかもしれねぇ召喚士……?」

『…………』

ふたりは顔を見合わせた。
苦々しい笑いがのった互いの顔が、ぴしりとひび割れる。

『ハイネス=フロックス!』


そう。ふたりとも彼の存在を忘れていた。
レーテル魔導学校が誇る、召喚術の玉石。
他を寄せ付けないズバ抜けた力。
聖天使・堕天使、ふたつを同時に使いこなすほどの鬼才。
四年生として学校の警備に当たっている、メディシスタ評議委員長。
彼をさらわずに誰をさらおうか。



「助けに行かなきゃ!」

レベッカの大声が合図。
フェンネルは放り出してあった紅刃の剣を引っ掴み、重い扉を蹴り開く。
未だわらわらと群れている生徒達を怒鳴り散らし、廊下を駆ける。
と、背後から憎悪に満ちた声が響いた。

「レベッカ=ジェラルディ!!」

無視して突っ切ろうとしたフェンネルだが、後続が立ち止まった音を聞いて仕方なく止まる。

「何か」

アスト=ミスペルとは対照的に、ひどく低いレベッカの声。
押し殺したその声は、相手の言葉を待たずに続いた。

「そうだ、アスト。覚えておきなさい、シャロンのオトシマエは必ずつけてやるからね」

フェンネルが振り返れば、レベッカとアスト=ミスペルが真正面から対峙していた。
彼からはレベッカの後ろ姿しか見えない。
しかしその表情は手に取るように分かっていた。
きっと、つまらなそうに笑っているのだ。

「みんながみんな、貴女みたいに強いわけじゃないのよ!!」

そうアストに叫ばれた今でさえ、笑っているのだ。
取るに足らないことだと嘲笑っているのだ。

ただ一人先を走る者と、意図さえ知らされずに置き去りにされた者。
ひたすらに突き進む者と、互いに守りあいながら歩を進める者。
必ず生まれる確執、永遠に続くであろう確執。
しかし、レベッカ=ジェラルディはそれをいとも簡単に叩き潰した。

おそらく──いつものように真っ直ぐどこかに目を据えて、彼女は言ったのだ。

「私が“強い”? 黒魔導でも剣でも貴女にさえ勝てない私が、強い? バカ言っちゃ困るわ。私は強くない。だけど──誰かが“強いフリ”をしなくちゃならないのよ?」





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