the uncompleted legend
THE KEY

第六章 嵐 3

ハイネス=フロックスは、実技召喚術能力が校内で群を抜いている“魔導師”であった。
あくまでも魔導師である。
彼は、『召喚士』と呼ばれることを極端に嫌っていたのだ。実体数が少ない召喚士は、魔導師や剣士よりも固い結束の集団を作るものなのだが、どうやら彼はそれが大嫌いな様子であった。

乙女もうらやむ見事な金髪、涼しげで暖かな碧眼。紳士的な細やか気配り。
穏かな物腰と、彼の全てに対して相反する非常識度。誰もを和ませ、素直にさせる彼は、メディシスタの評議委員長。

そして──教科書では召喚の最上とされる『聖天』『堕天』を一度に両方呼び出す事ができる、校内ただひとりの魔導師……。



◇  ◇  ◇  ◇  ◇



『契約よ!来たれ!』

彼は胸元から呪符を抜き、空に描いた方陣へと投げ入れた。
振り下ろされた大鎌を髪の毛一本で交わし、後方へと跳ぶ。

『制裁!』

最上の印を結んで解き放つ。
同時、突如として燃え上がる白銀の炎。

“────!!”

魔境のゴースト、そう呼ばれる死神集団は声にならない悲鳴を上げて、のたうちまわる。
聖なる炎に焼かれ、溶けてゆく。

『死刑』

彼の穏かな声と、横一線された閃光とが重なり──南棟五階のホールには静寂が戻った。



「こんなにまで魔境が学校に入りこんでくるなんて、異常ですね」

ハイネスは平然とした顔で、ローブについた埃を払った。
大理石の床の上に敷かれた紅い絨毯には、焼け焦げの跡もない。煤も埃ものっていない。

『…………』

彼と一緒に警備をしていたのは4年生の女子生徒3人。
無論まるっきり役には立たないが、職権濫用の賜物である。

「平年なら校内にゴーストなんて現われませんし。それに今年はシャロンが会長で、レベッカが風紀委員長ですよ?」

だから何だと魔境は言うだろうが、ハイネスは呆れたままの顔で続けた。

「命が惜しくないんですかねぇ?」

そして女神のような微笑を3人の魔女たちへと向ける。

「どうやら女の子が警備をするのは少々危険なようです。貴女たちは寮へ帰っていた方がいいでしょう」

「フロックスだけで警備するの?」

「えぇ」

「危険だわ」

「そうよ」

「いえいえ、大丈夫です」

本当は彼女たちがいると、守らなければならない分大変なのだが、彼はそういうことを決して言わない。
……紳士なのだ。

「聖天を出しっぱなしにしておきますから」

ハイネスは笑いながら上をあごでしゃくった。

『あ』

少々間抜けな彼女たちのつぶやき。まぁそれも致し方ないことだろう。
ハイネス=フロックスの遥か頭上には、武装した白皙の天使が静かに主の命を待っていたのだから。
緩く波打つ銀色の髪、目元を覆う表情なき仮面。真っ直ぐな槍の穂先に、隙なく無駄ない鎧。そしてその背中には大きく壮麗な白鳥の翼。気高く、美しく、そこには召喚術最上の『聖天』が控えていたのだ。

「じゃあさっきゴーストを焼き払ったのは……」

「彼女です」

彼はさらりと言う。
あんなにも瞬時に聖天を呼び出せる者はそういないし、世界中を捜しても両手以下だろう。
それなのに彼は、その才能を疎んでいた。

「さぁ、早く帰ってくださいね。この校内もそんなに安全ではなくなってきています。……先生方に何かあったんでしょうかね…?」

「寮にいたって安全かどうかは分からないわ」

「寮には護衛がいないのよ?」

「誰も守ってくれない分、警備の仕事よりも危険だわ」

駄々をこねる彼女たち。つまりは、ハイネスを手放したくないのだ。
彼は広範囲な層に渡ってファンを持っている。彼とどれだけ話したか、彼とどれだけ並んで歩いたか。それは女の子たちの一種ランクでもあるらしい。

「寮は安全です」

そんな事情を分かっていても、突き放す時は突き放すのがハイネスの併せ持ったクールさである。

「先生方の結界、そしてレベッカの防御壁。寮は二重になっていますから絶対安全です。特に、レベッカは自分の防御が破られるなんて恥をさらすような輩ではありませんから、徹底的に張ってあるはずですよ」

ハイネスは憮然とした表情のレベッカを思い浮べて、一人くすくすと笑う。
いつも彼に面倒事ばかり押し付ける後輩だが、互いに信頼してはいる。信頼すること。
それがレベッカと付き合ってゆく絶対条件だった。

「分かりましたか? 寮はレベッカに守られているんですから。これ以上安全な場所なんてありゃしません」

「──でもフロックス……」

「はいはい、帰る道が心配ですね。では『堕天』を貸して差し上げます」

保父さんのように肩をすくめ、ハイネスは懐から一枚の呪符を出した。
召喚文字という特殊な絵文字が描かれた呪符。それを額にかざして印をきる。

「この呪符を持っていてくださいね。持っている限り、堕天は貴女たちを護ってくれます。怖いでしょうから姿は見えなくしてありますが、彼はしっかり貴女たちを見張っていますから安心してください」

『はーい』

不服げな声を残し、ハイネスを振り返り振り返り、彼女たちはホールから続く廊下へと消えた。
にこやかにひらひらと手を振っていたハイネスだが、彼女たちが消えた瞬間真顔に戻る。
肩越しに後ろを見やり、やんわり言った。

「どうしました、シャロン」

「…………」

ハイネスの背後には、音も気配もなくその人が立っていた。
シャロン=ストーン・メディシスタ会長。闇に紛れるロングスーツ、束ねた髪、そしてサングラスの奥で静かにこちらを見ている紫眼。
上司であり、同級生であり、仲間であるはずの男なのに、時々怖く思うことがある。

彼の靴には肉球でもついているのか問いたいほど、彼は音をたてないで空間を移動するのだ。

「今日来たはずの王都調停官。どこにいるのか知らないか?」

シャロンはハイネスの思考などお構いなしに訊いてくる。

「調停官は第一応接室に御通しする手はずになっていましたが?」

「いなかった。代わりに兵士がふたり昏倒していた」

「え?」

「疑われても困るからそのままにしておいたが」

「はぁ……」

──そういう考えがレベッカと似ているから困るんですよ

「疑われるって、あなた一体何を疑われるんですか」

「…………」

「疑われる要素なんて何もないでしょう? 兵士を起こせば、兵士が誰にやられたのかも 分かる。閣下がどこへ行ったのかも分かる。なんだってあなたが疑われるんです?」

「……むぅ」

──いっつも問題抱えて言い訳ばっかしているからそーなるんですよ

説教したいのをぐっと堪えてハイネスは言った。

「レベッカが何か怒り狂って始末しちゃったんじゃないですか?」

「それならいいんだが……」

──よくないでしょうに。

「調停官はイーサ=レオリオ……だったか? 彼は随分と煙草好きらしいな」

「そうですか?」

「応接室が煙で曇ってた」

「よっぽど能力を高めたいか、よっぽど能力を抑えたいか。でなきゃ単なるカッコつけ、ですかね。……レオリオ閣下に御用で?」

「そりゃ会長として会っておく必要はあるだろう?」

「えぇ、まぁ」

言って、ハイネスは目を丸くした。
視線の先、シャロンの後ろに、いるはずのない影を見つけたからだ。

「デュランタ先生、コリウス先生。一体どうしたんです?」

その声につられてシャロンも振り向いている。
ふたりの驚きを余所に、ふたりの教師は少しだけ疲れの色を見せながら歩いてきた。
老齢のおじいちゃん教師と、ぽっちゃり型のおばちゃん教師。

「おぉ、探しておったよ、ハイネス君」

「シャロン会長もいるのね、警備はしっかりやっている?」

「えぇ。割り振りはちゃんと出来ています」

「けれど今回の魔境は手ごわいですよ? さっきなんかココにまでゴーストが入ってきたんです。先生方、結界に何かあったんですか?」

「えぇ、ちょっとね」

コリウス教師がちらりとシャロンに視線をやり、ほとほと困り果てた顔でハイネスを見た。

「そのことで貴方を探していたのですよ。今回の魔境は少し手強くて。貴方にココを護る者たちを 召喚してもらおうと思ったの」

「護る者、ですか?」

ハイネスはどうしたもんかと上を見上げた。そこには、相変らず無表情な戦天使がゆるやかに羽ばたいている。

「私たちが結界を張っている地下があるのだけど、そこにまで魔境が入ってきてどうしようもないの。シャロン会長やフェンネル会長は生徒のみなさんを護らなければならないでしょ?こっちは魔境を追い払えるだけの力の者でいいけれど、多数の者が必要ってことです。そこで──」

「一度に多くの召喚獣を操れる君に、白羽の矢が立ったというわけじゃ」

「はぁ」

ハイネスは分かったような分からないような言葉を返す。
正直にに言えば、──面倒くさかったのである。
誰が好き好んで教師ばっかりたまっている地下になんぞ行って、疲れる思いをするだろうか。
さっさと警備を交代して、女子寮で護衛を堕天と変わった方がどれだけ楽しいことか。

「すまんがシャロン、ハイネス君の変わりに警備をしてくれんかの」

「えぇいいですよ」

ハイネスの心とは反対に、事は着々淡々と進んでいった。

「ではハイネス、行きましょう」

「はーい」

恨めしげな視線をシャロンに送る。と、普段は色を見せないその顔に、シャロンが訝しげな表情を現した。
何か気に入らないことがあるようだ。この男はいつもそう。気に入らない事があってもあからさまにはそれを見せない。
周囲はその雰囲気に多少の引っかかりを感じても、それがシャロンの不機嫌だとは気が付かない。
そうこうしているうちに、彼は全てを裏で片付けてしまうのだ。
レベッカとは違った意味で厄介な奴ではある。

彼は一見大人で悟っているように見えるが、その闘争精神は子どもよりもタチが悪く、勝手に動かれると何をやらかすやら、ハイネスはいつも身が凍る思いをしていた。
自分は周囲から言われるほど非常識ではないと彼が主張するのも、そんな過酷な環境に浸かっているためなのだ。

レベッカとシャロンの行動に始終目を光らせているハイネス。胃がどうにもならないのが不思議だ。

「デュランタ先生。ちょっといいですか?」

彼の背後でシャロンがあくまでも普通に老師を呼び止めていた。

「お尋ねしたいことがあるんですが」

「あぁ、いいよ。コリウス、先に行っていなさい」

「──分かりました」

むすーっとした顔を隠そうともせずに、ハイネスはコリウス教師と共に階下へ降りていった。
シャロンはそれを見て思わず苦笑する。

ハイネスはかなり顔に出る性格なので、本人が自覚しているかどうかはともかく、彼に関しては思惑を読むなんてことはしなくていい。快も不快も、彼はそのまま顔に出す。
極力情を押し込める性格のシャロンにとって、彼は自分を代弁してくれる良き参謀であった。
シャロンが怒りを留めて黙っていれば、彼が相手を罵倒する。シャロンが短い言葉で祝福すれば、彼が何倍もの賛辞を述べる。

──世話になりっぱなしだな

むっつりした端正な顔を思い出し、シャロンはまた苦笑する。
が、不思議そうな老教師の声が彼を感傷から引き戻した。

「どうしたね、シャロン。ワシに用とは、なんじゃ?」

「あぁ、デュランタ先生。お忙しいところお引止めしてすいません」

形式ばかりの挨拶を口にして、シャロンは斜めの双眸を老いた教師へと下ろした。
そして無造作に羽織ったスーツの下、腰の剣へと手を添える。
サングラスの奥で眼光が鋭さを増し、口元には肉食獣のような笑みが宿る。
獅子か、虎か。

一介の会長顔から、ひとりの剣士の顔へと、彼の質が鮮やかに変わる。

「何事じゃ? シャロン」

彼の豹変にも全く動じていない老師の声。下からシャロンを見上げてくるその目には、明らかに嘲笑が含まれていた。

教師に刃を向けようとは、何事か。

……違う。老師の嘲笑は、そんな意味ではない。

シャロンは剣を抜いた。そして低く言う。

「あんたは──何者だ」



◇  ◇  ◇  ◇  ◇



「そういえば」

すでに疲れを見せているレベッカに走りのペースをあわせ、フェンネルは訊いた。

「お前、生徒を誘拐しているのが誰か分かったって言ったよな?」

「……言った、わ」

もともとレベッカは体力勝負向きではないのだ。

階段を駆け上がるうえにしゃべるなど、出来る芸当ではない。
ひょいっと持ち上げてみれば分かることだが(その後殴られるのを覚悟で)、彼女は見た目よりも軽い。魔導に寄りかかっているせいだろう、基礎体力作りを怠っているのは一目瞭然。

魔導師は呪文だけ唱えていればいいわけではないのだ。魔導の発動には上級者でも少しのタイムラグが生じる。その間にやられないため、その間を有効利用するため、魔導師はあらゆる訓練をしなければならない。
体術、棒術、剣術……それなのにこの暴走魔導師は怠慢に怠慢を重ねていた。

フェンネルは彼女を強引に座らせて続きを問う。

「そりゃ誰だ?」

彼女は胸を押さえ、息を整えながらも彼を真っ直ぐ見上げてきた。
茶色がかった曇りなき瞳がフェンネルの黒曜を捕らえようと動く。
大事な話をする時には必ず相手と目を合わそうとする、そんなレベッカの様は完全な正義屋のようで可笑しい。
口の中で笑いを噛み殺しながら、フェンネルはすぐ彼女に応えてやる。
彼女の正面に周って目線を合わせるように膝をつき、真っ直ぐその目を見返してやる。

「一体どいつが俺の生徒をさらってるんだ?」

レベッカはまだ息を乱していた。だがその言葉はフェンネルへとしっかり届く。

「デュランタ……先生よ……」

ふたり以外誰もいない北棟の階段に、重い沈黙が訪れた。





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