the uncompleted legend
THE KEY

第七章 鍵を見る者 2

どす

「──ッ!」

むぎゅ

「ぐぇ」

どさっ

「…………?」

レベッカは一瞬疑問符を浮べて宙を見やり、自らの下を見て、即座に全ての事情を悟った。
正坐した足下には潰れたフェンネル会長。彼は打ち所が悪かったのか、ぴくりとも動かない。
そしてそのまた下にはもっと潰れた黒いロングスーツ。
足蹴にするという言葉はよく聞くが、この男を下敷きにまで出来るのは自分くらいしかいないだろう。

そんなことを思いながら彼女は口を開いた。

「──シャロン会長。今までどこで何してたの?」

「…………」

静かにレベッカを見上げてきたサングラス。その奥の紫眼は見えない。
しかしそのオーラからだけでレベッカの頬に冷や汗が流れる。

「降りろ」

ふたりの重さに耐えかねて、彼女の上司は息も絶え絶えにのたまった。



「瞬間空間転移しようとしたら失敗したのよ〜」

レベッカが事実そのままをシャロンに告げると、ようやく起き上がったフェンネルが牙でも生えていそうな口を歪めてうなった。したたかに打ったらしい後頭部を撫でながら。

「もうちょっとマシに失敗しろよな」

「場所への移動だったら私だって失敗しないわよ! 人への移動ってのは難しいんだからしょうがないでしょ。むしろよく出来た方ね。間違ったら、変な次元に入って出られなくなったりするんだから」

「そういう但し書きはやる前に言え!! ンなどうしようもねぇ事になるくらいだったら、足が棒になったって自分で走った方がマシだ!」

フェンネルがガミガミと怒鳴ってくるが、レベッカは明後日の方を向いて耳をふさぐ。
すると、シャロンがスーツの埃を払いながら首を傾げてきた。

「──人への移動?」

「そーよ。デュランタ先生に飛ぼうと思ったの」

「ほぅ?」

「でもここにはいないわね。失敗」

レベッカはさらりと肩をすくめ、どうしたもんかと周囲を見回す。

──足が棒になるまで探すだなんて、絶対にご免だわ……。

疲れることは嫌いだし、第一捜索だなんて地味な仕事は似合わない。
手っ取り早く、派手に、確実に。それがベスト──。
ぱたぱたと足を鳴らして考え込んでいると、背後からシャロンの忍び笑いが聞こえた。

「何よ」

肩越しに振り向けば、黒スーツの会長さまは白い手袋をはめながら、口の端をニヤリと吊り上げている。

「お前ってやつは、ホントに大した奴だな」

「?」

眉をひそめて見せれば、彼は大仰に肩をすくめてきた。

「お前は失敗していない。──デュランタ教師はここに居たのさ。今の今まで、な」



◇  ◇  ◇  ◇  ◇



罪は消えない。

どれだけの罰を受けようと、罪は消えない。

過去は消えない。

どれだけの時間を積み重ねようと、過去は消えない。

大いなる者への畏れ
後ろ向きの保身
頑強なる世界の枠組み
逃れられない理不尽の檻

過去の罪は未来へと続く──


ヴェルト・メーアはその秀麗な顔を苦痛に歪めながら、口の中で言い続ける。

「ごめんなさい、ごめんなさい……」

肉体的な苦痛ではない、彼女を苛んでいるのは過去の亡霊。

「あなたは私を許さない。あなたは世界を許さない。許してくれとは言えない……」

彼女の目の前では、若い男──おそらく召喚士だろう──がひたすらに呪を唱えていた。
蠢く魔境の植物たちは、彼のまわり、円を描くようにして触手をざわめかせていて……しかし、そこには結界があるかのように魔境は彼に届かない。
おそらくそれは、彼の横に立っている女教師の力なのだろう。

「コリウス先生」

若者が言葉を止め、困惑顔で教師を見上げた。
流れるような金髪の、物腰柔らかな青年。

「一体これは何を呼び出す呪なのです?これは僕の手に負えそうにはありませんよ」

彼がひらひらと手にした呪符を振り──しかし、返された教師の声は実に平坦だった。

「気にしなくていいわ。それは必要なことなの、魔境から学校を守るためにはね」

「僕には呼び出せません。相手が強すぎます。運良く呼び出せたとしても、制御しきれないでしょう」

「大丈夫。あなたならできると結論づけたからこそ、我々はあなたにこの役目をたくしたんだから」

「…………」

彼は少し疲労しているように見えた。
あるいは──反抗。そして疑問。
その綺麗な碧眼に薄い影が宿る。

「それが、先生方の過信ではないと願いたいものですね」

「過信? ──ハイネス。我々は生徒に対して過小評価も過大評価もしないわ。あなたにはできる。我々には分かっています」

「僕にも分かっています。この召喚は今の僕では無理なんです。おそらく他の誰でも駄目でしょうが」

「できます」

普通の生徒なら黙り込むような、会話を打ち切る教師の断言。
だがしかし、そこにいるのは普通の生徒ではなかった。
彼は尚も食い下がる。

「先生は僕に死ねとおっしゃるんですか?」

「そんなことは言ってないでしょう?」

「僕が身の危険を感じているんですよ。これ以上は無理だと言う、ね。召喚はスポーツでもなければ、魔導でもないんです。限界を超えたら即『死』あるのみなんですよ」

抑えられた口調だったが、彼は明らかに怒っていた。
なかなかに頑なな渋面。

「召喚は遊びではないんです」

召喚という分野への異様なまでのプライド。
ヴェルト・メーアは過去に同じような男を知っていた。その才をもってして悲劇に沈んだ、ひとりの召喚士。
そうだ。──あの男もまた召喚術に並々ならぬ誇りを持ち、そして彼は悲劇に毅然と抗していた。

けれど世界はそれを許さなかったのだ。
世界は彼の存在を許さなかった──
誰が、というわけではない。流れが……抗いようのない世界の流れが、許さなかった。

カツーン

カツーン…

カツーン… …

突如として階段から響いてきた靴音に、女教師が怪訝そうな顔をして地上への階段を見やった。生徒もしばし口を閉ざしてそれに習う。

「来たのね」

つぶやいた声はきっとふたりには届かなかっただろう。
ヴェルト・メーア。彫像の女、今彼女ひとりだけが音の主を理解していた。
耳を覆っても聞こえてくるその足音。

近づいてくる過去。

「…………」

彼女は目を閉じ、深く息を吸った。

カツーン

カツーン…

カツーン… …

「──!」

教師が息を呑む音が聞こえ、さらさらという軽やかな──この場にまったくそぐわない
衣擦れの音がした。
響く足音ごとに淀んだ空気が浄化され、透明となった空気に強い薬香が漂い始める。
そして──手で固く閉ざしたはずのヴェルト・メーアの耳に、その声が聞こえた。
憂鬱そうな、やる気なさそうな、けれど真っ直ぐな、声。



「久しぶりだねぇ、ヴェルト・メーア会長」



◇  ◇  ◇  ◇  ◇


「じゃあ何? この鍵を魔王だとか魔公だとかまでが狙ってるって言うの?」

「らしいな」

「イヤよ! これは私のモノなんだから!──せっかく“始まりの鍵”はおとぎ話じゃないってことが証明できるのに」

言ってみたものの、レベッカだってそんな駄々をこねて終るような事じゃないとは分かっている。けれど何もしないで譲るなんて、御人好にもほどがある。

「絶対渡さないから」

「だがなぁ、レベッカ」

こういう切り出し方をするシャロンは、必ず分かりきっているような説教をする。
おまけに今回は横で腕組みしているフェンネルまでもが、彼と同じ厳しい顔をしているのだから救いようがない。
ついさっき、彼女が鍵を持っていることを教えられた彼。

「王都が勝てない魔公。魔導師ブラッド=カリナン、騎士セーリャ=クルーズまでもが敗れた魔王。悔しいが、今のオレやフェンネルの実力でどうこうなる相手じゃない。無論、気合でなんとかなるような相手でもない。はっきり言うと、だ。オレもフェンネルも最後までお前さんを守りきれるか分からないのさ。むしろ──きっと守りきれないだろうな」

「だからレベッカ、お前は──」

「どこかに隠れているなんてのはイヤだからね」

『…………』

キッパリ告げると、ふたりの肩が同時にがっくり下がった。

──あぁ、やっぱりな

そんな調子である。
ふたりだっておそらく、とりあえず義務として言ってみただけなのだ。
まさかレベッカが大人しく隠れていることを了承するだなんて、カケラも思っちゃいなかっただろう。

彼女は説教返しの口調で笑ってやる。

「守りきる? あなたたち私を誰だと思ってるのよ。私はレベッカ=ジェラルディ。防御の専門家よ? ──ふたりの剣士に守ってもらうほど、落ちぶれちゃいないつもりだけどねぇ? それに、私を隠してどうするつもり? ふたりで勝てない相手に挑むの?」

一息つき、彼女は腰に両手をあてた。

「夢を語るに、危険はつきものなのよ。そんなこと私はとっくに覚悟してる。あなたたちだってまさか“絶対に死なない”だなんて思って剣士やってるわけじゃないでしょう? 覚悟さえあれば恐いものはないわ。それに──」

ホールの大窓を見上げれば外は夜闇、深い濃紺。
星ひとつなく、聞こえるのは魔境のざわめき。
彼女は目を細めて言葉を継いだ。

「魔王は鍵が欲しいわけじゃないのよ」





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