White Hazard

第一章 「帝国の薔薇」 中編

 

 
皇帝陛下。
 
それはこの帝国。この大陸。……要するにこの世界の主である。
畏怖と恐怖を持って呼ばれるその名は、セレシュ=クロード。
 
大陸がいくつもの小国に分かれていた十年前、彼は父帝の死去に際し、わずか19歳で帝位に就いた。しかしその時、彼の国は大陸のほんの片隅に過ぎなかったのであり、隣国とせせこましくつまらない諍い(いさかい)を繰り返していただけ。
大陸の歴史にも触れられぬような弱小国であった。
 
ところが、である。
セレシュが帝位に就いてからその国は変わった。
国は突然に強くなり、次々と他国を侵略していった。
次々と他国を破っていった。
 
始め、それは取るに足らない小さな侵食であるかのように見えた。
だがやがてその侵食は勢いを増し、大陸全土を震撼させる波となってゆく。
隣国から始まって、セレシュの侵食は不気味なほど静かに、不気味なほど早く大陸を覆っていったのだ。
 
 
 
──何故そんなにも早く
 
 
 
この出来事は『大戦』、そう呼ばれている。
数多あった国々が、たった一国に打ち滅ぼされ消滅していったのだから、大戦という言葉はなるほどそうかもしれない。
しかし実際、大戦というほど大きく長い戦いは行なわれなかった。
 
 
 
──何故そんなにも簡単に
 
 
 
答えは明瞭。要するに、圧倒的過ぎたのだ。
セレシュ=クロードはあまりにも圧倒的過ぎた。
彼が長けていたのは戦術か? 外交か? それとも……。
 
誰にもその原因は分からない。
分からないが、作られたいくつもの同盟軍すらいとも簡単に蹴散らしていった強さは事実。大陸中、まともに戦った軍すらいなかった。
それもまた事実。
 
そして彼は、自らが小国の皇帝となってから七年という短期間で、大陸の──全世界の皇帝に成り上がった。
クロード家の紋章である白薔薇の旗が、大陸全土にはためいた。
 
 
畏怖と恐怖をもって呼ばれるその名はセレシュ=クロード。
雪のような白銀の長き髪に、青玉のような動きのない切れ長の目。
目的のためならば手段も方法も厭わない。
凶帝、紅蓮帝、そして無敗の不死皇帝。
 
崇拝。憧憬。憎悪。嫉妬。
人々は、彼にあらゆる想いを背負わせる。
 
 
 
歴史とは、情の流れ。人々の思惑。
 
そして歴史とは、それが大きく傾いた時に動くものである。
 
 
 
 
 
◇  ◇  ◇  ◇  ◇
 
 
 
 
 
「皇帝の暗殺?」
 
RJは思わずボロ椅子から立ち上がった。
カースに視線をやり、転がっている女を床に座らせる。
 
「そうじゃ」
 
相変らず彼女は淡々としていて、言葉使いもおかしい。
 
「私は皇帝の守り神だからの。仇なるものは全て抹消するのだ」
 
「守り神?……アンタ、名前は」
 
「インペリアル・ローズ」
 
今度こそRJは頭を抱えた。
 
 
──暗殺者を殺しにきて、ほいほい名前を名乗るやつがあるか?
 
 
おまけに『インペリアル・ローズ』なんぞときたもんだ。
皇家の紋章、白薔薇を名乗るとは、皇帝侮辱罪・処刑台をも恐れぬいい度胸。
 
「……で。どうやって俺を葬るんだ?」
 
RJは意地悪く、薄っぺらな彼女の目を覗き込む。
しかしハムよろしく縛られたその女はどこまでも強気だった。
 
「貴様の消し方なんぞいくらでもある」
 
「例えば?」
 
「例えば……」
 
彼女が初めて色のある笑みを浮べた。
ニヤリ、ではなく──にぱッ。
思わずRJが見入ってしまったその瞬間、
 
 
ぼむっ
 
 
 
コミカルな爆音が、安宿を揺るがした。
 
 
 
 
 
◇  ◇  ◇  ◇  ◇
 
 
 
 
 
「なんてことしやがるあのカラクリ女」
 
RJは、バチバチと勢いよく燃え盛る宿屋を見上げて舌打ちした。
唯一の隠れ宿が、見る間に灰と消えてゆく。
 
「派手にやってくれましたねー」
 
炎に照らされて、半ば呆然とカースもつぶやいてくる。
聞こえた爆発音はコミカルだったが、現状はそんなに生易しいものではなかった。
 
天まで届けと燃える炎。
時折思い出したように小爆発。
 
通報を受けた警備局の魔導師たちが水やら氷やらで鎮火に努めているが、わらわらと路地に集まった野次馬のほとんどが無駄な作業だと思っていることだろう。
これは燃え尽きるまで待つしかない。
夜空を焦がす熱風から顔を逸らしながら、カースが言った。
 
「兄貴、酒場のみんなは逃げられたんでしょーか」
 
「まず無理だろうな」
 
正直、RJも彼自身なぜここにいるのか分からなかった。
気がついたらカースとふたり、ここにいたのだ。
爆音がして、視界が白んで、身体が浮遊して、熱波に撫でられて──
全ては一瞬だった。
あれではいかにRJといえども逃げられない。
それなのに何故彼もカースも、無傷で今、野次馬に混ざっているのか……。
 
と。
 
「なんだ、まだ生きておる」
 
ふたりの背後でケラケラと笑う声がした。
 
『…………』
 
RJの両肩にずーんと重石がのり、横を見ればカースもげんなり顔。
彼らはふたりして、できる限り冷ややかな目で振り返った。
 
「失敗失敗」
 
そこには全然困っていない様子で笑う女がひとり。
 
「貴様以外全員外に出そうとしたんだが……。そこな坊主と一緒に貴様まで救出して
しまったとは」
 
「坊主ってなんだ!? 坊主って!」
 
カースが喚いて拳を振り上げるのを視界の隅に、RJはふと女を凝視した。
 
 
──全員?
 
 
「それよりも貴様、その格好はなんとかならぬのか?皆が注目しておるよ」
 
彼の黒ずくめの服装を指差して彼女が眉をひそめてくる。
帝都の裏路地にあって、場違いな服装なのはむしろ彼女の方なのだが……
 
「俺だってアンタが宿ごと俺の所持品を燃やしたりしなかったら、人前にこんな辛気臭いカッコで出りゃしない」
 
「葬儀じゃあるまいし、なんだって普段からそんななのだ?暗殺者バレバレではないか」
 
「アンタなァ……」
 
「辛気臭いと分かっておるならやめればよかろうに。それとも黒尽くめが暗殺者のスタイルだと、まだそんな時代遅れたことにこだわっておるのか?」
 
「たまたま今日黒かっただけだッ! てめェが宿をこんなにしなけりゃいくらだって俺の服を披露してやったよ! てめェが金を燃やしてなけりゃ、好きなだけ買い集めて見せてやったよ!」
 
確認すると、この男、二十も後半イイ大人。
 
「──フン」
 
「てめェ……」
 
「まぁまぁ兄貴」
 
鼻で笑ってそっぽを向く彼女に、本気で掴みかかろうとしたRJ。
が、伸ばした腕は空を切り、カースに両肩を押さえられる。
 
「一生遊んでもまだ余りある俺の全財産! どうしてくれんだ!」
 
「抑えてくださいよ、兄貴。ね、ね。それよりも、えぇとインペリア……」
 
「ローズでよい」
 
ふんぞり返って彼女が制す。
それを見たRJは不機嫌に吐き捨てた。
 
「えっっらそーに」
 
「まぁまぁ兄貴。えぇとじゃあローズ、さっき宿の全員外に出したって言ってたな?」
 
「当たり前。この男の死道に供はいらぬよ」
 
「じゃあみんな生きてるのか?」
 
「さよう」
 
「あぁ良かったー」
 
そう言って胸を撫で下ろしている彼は、やっぱり素直な不良青年。
しかし逆にRJの心中は波立つ。
 
 
──あの一瞬で全員を外に出す? 宿の中にいたのは半端な数じゃない……。超一流の魔導師でさえ、一度に移動できるのは片手ぶんだぞ?
 
 
「じゃあローズ、お前あの宿屋直せんのか?」
 
「無論。自らの起こした事に責任は持つ」
 
「すげーな。どれくらいで?」
 
「瞬間で」
 
「…………」
 
「正確には、復元するのではない。元に戻すのだ。要するに時間を巻き戻すということだな。ただし、生物は戻せないがの」
 
「はぁ〜……?」
 
野次馬の大群に混じって無駄口を叩いているカースとローズを見下ろしながら、
RJは年に似合わぬ白皙を険しくした。
無意識に頬の傷を撫でる。
 
「ローズ」
 
「何だ?」
 
「──俺は皇帝の暗殺なんぞ請け負っちゃいない」
 
「ほう?」
 
「今、俺に代わる新鋭はいくらでもいる」
 
「私は古いのでな。暗殺といえば貴様という頭になっておったやもしれぬな」
 
「調査済みって……」
 
「あれは嘘」
 
「…………」
 
「それで?」
 
悪びれた様子の欠片もないローズに、こめかみをひきつらせるRJ。
しかし、とりあえず理性で抑えた。
 
「アンタが追ってる皇帝の暗殺って情報は、信頼できるのか?」
 
「無論。私が世にいるということは、セレシュの危機ということだからのう。……そうか、貴様らは帝城内のことを知らぬか」
 
ローズが小さく唇を噛んで、舞い踊る炎を見上げた。
つられてRJも仰ぎ見る。
真っ暗闇を煌々と照らす火炎、不死鳥の羽ばたきの如く散る火の粉。
 
「あの場所にセレシュの味方はいない。あやつは人を殺め過ぎた。国を潰しすぎた。大きな帝国と引き換えに、あやつは重すぎる荷を背負わねばならなくなったのだよ」
 
「荷?」
 
「あやつは今、国の上に立っておるわけではない。セレシュ自身への畏怖と恐怖という、人々の危うい心の上に立っておるのだ。大陸が統一されて戦乱がなくなった今、最も崩れ易い心の上に、な」
 
「…………」
 
RJを見上げてきたローズの顔には、相変らず意図がみえない笑み。
そして彼女は、言う。
 
「あやつは殺されても当然なのだよ」
 
 
 
平穏を作った者はまた、平穏を奪った者。
畏怖する者はまた、憎むべき者。
人々を率いる者はまた、人々の中にあって孤独な者。
 
 
 
「だが私はあやつを殺させはせぬ」
 
平らだったローズの黒い瞳が一瞬深くなった。
 
「私の実力は見たであろ?」
 
無残に崩れ落ちてゆく宿屋を指差し、彼女は口端を吊り上げる。
 
「あぁ、見たよ」
 
対して、RJは曖昧な笑みで彼女から目を逸らした。
 
 
──おかげで財産が吹っ飛んだ
 
 
「貴様の考えていることは、分かる」
 
「…………」
 
分からなかったら随分な無神経だと思いつつ、彼は疑いの眼差しを彼女に向けた。
この女の“分かる”は絶対にアテにならない。そんな気がする。
 
「私のせいで今日から路頭に迷う。新鋭はたくさんいてイイ仕事のクチもない。自慢してるヒマがあったら早くこの宿を直せ。俺の金を返せ」
 
感情の欠片、謝意のひと雫もない声でローズが読み上げた。
RJは無意識に目元を拭う。
 
「あぁ、まったくもってそのとおりだ。素晴らしい、完璧だよ」
 
「であろう?」
 
「だから早く直せ」
 
「しかし──」
 
「なんだ」
 
「私とて無制限にこんな荒業ができるわけではなくてな。燃やしたはいいが、直す力が残っておらぬのだ」
 
「…………」
 
 
──確信犯
 
 
「それにな、こんなに目撃者がいたんでは困るのだ。私のような者が動いていると知れば、向こうも強行に出るやもしれぬからな。明日明後日には直してやれんこともないのだが、不自然極まりない」
 
 
──はじめから直すつもりなんてなかったな
 
 
ぺらぺら台本どおりの口上を述べてくるローズ。
見た目は上品そうな令嬢で、中身は爆弾。
そんな彼女を冷ややかに見下ろして、RJは忘れていた感情を思い出した。
……殺気。
 
「お前は、何が言いたい」
 
まだ炎は上がっているが、鎮火までは相当かかると悟った野次馬たちはまばらに路地から去ってゆく。
振り返りふりかえり、元いた場所へと帰ってゆく。
 
そして結果、そこには三人だけが残った。
 
熱風に舞う長い灰色の髪をそのままに、仮面の如き無表情の男、RJ。
上物のドレスを炎に染め、薄い笑いを浮べている女、インペリアル・ローズ。
そして、少し離れて不安の具現と化している若い男、カース。
 
「──誰も流れには逆らえぬ」
 
「……とは?」
 
「そうセレシュが言っておった」
 
操り人形のような笑みのまま、ローズが目を逸らす。
 
星が瞬く帝都の夜。
炎がくすぶる人気なき路地。
再び時間が動き始めた表通りからは、騒々しい酒盛りの笑い声。
 
「──仮面の殺し屋、RJ。我が名において、暗殺者の暗殺を依頼する」
 
「断る」
 
彼は即答した。
 
 
 
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