White Hazard

第一章 「帝国の薔薇」 後編

 
 
「断る」
 
そう言ったRJの黒眼に迷いはひとつもなく、口調にも隙間はない。
 
それは年と経験を重ねた者だけにある、地についた重さ。
冒険や挑戦と引き換えに手にした、悟り。
 
「報酬も聞かずに断るか」
 
「俺の本能がな、アンタには関わるなと言っている」
 
「──フン。本能に臆したな」
 
「バカじゃないだけのことだ」
 
素っ気ないRJの返答に、ローズの紅を引いた口元が三日月に吊り上った。
ようやく人間らしさを帯びてきたその顔には、淡白な愛嬌。
しかしその笑みはあからさまな嘲笑だった。
 
「何十という命を殺めた貴様が改心でもしたか? 己の罪の大きさに気付き、慄いたか?だが今更足を洗ったとて叶わぬこと。──過去は消せぬ」
 
据えられた目が炎に輝く。
 
「どんなにあがいても、貴様のその血塗れた手は戻らない」
 
「…………」
 
RJは目を細めた。
息が詰まったのは一瞬で、わずかな痛みを感じたのも一瞬。
それだけ強くなったのか、それとも人でなくなったのか。
どちらにしろ──もう、どうでもいい。
 
「……アンタはこれだけ強いんだ。アンタが自分で始末をつければいいだろう」
 
言って彼は鼻で笑う。
 
「俺の手を貸すまでもない」
 
「…………」
 
 
ぱちぱちと火が爆ぜる音が響き、ふたりの間に軽い沈黙が漂った。
ふと思い出してちらりとカースを見やれば、その不良は困り果てた様子ながらもじっとそこにいる。RJとローズ、その会話が聞こえるほどの位置で、そっとこちらを伺っている。
 
 
──こりゃ傍から見れば、色恋沙汰のもつれだな
 
 
その傍にいるのは事情を知ったカースひとりと分かっていても、年故かそんなバカらしいことを思う。
 
稼業故に、実際そんな場面も数多かったのだ。
ひとつ仕事が終われば次の場所。
点々と定めぬ生きる場所。
縄張り争いだか権力争いだか知らないが、大体暗殺というものはそう立て続けに同じ都市では依頼されないもの。暗殺によって強引な秩序が築かれると、しばらくはそのままだ。
だからこそ、必然的に本気も遊びも期限付き。
泣かれたことも、喚かれたことも、刃物を持たれたことも、ある。
 
さすがに相手が一瞬で寝宿を爆破してくるなんてことはなかったが……。
 
 
 
 
「それは分かっている。力だけなら貴様の力を借りずともよいことなど、分かっているよ」
 
前を……火の方を向いたローズの顔は、またも平面に戻っていた。
機械仕掛けの人形のようにまっさらな表情。
だが、その声は今までのように明朗でなかった。
 
「私に人は殺せないのだ」
 
「倫理のお勉強会か?」
 
「私の主は──」
 
茶化したつもりの一言は何事もなく黙殺される。
 
「──セレシュは、私があやつのために人を殺めることを嫌がった。どんなことがあっても人を殺してはならぬ。それがあやつから私に与えられた第一の約束。それを違えるわけにはゆかぬのだ」
 
「随分都合のいい話だな」
 
「私にしてみれば不都合な話だ。こんな約束さえなければ、反逆の徒を残らず細胞分解してやるものを!」
 
RJは氷壁の視線を崩すことはなく、しかし思わず彼女を凝視した。
カラクリ人形の瞳に灯った狂気。
紅く、暗く、鋭い語気。
 
「自らがその手を血に染めておいて、第一の部下には白いままでいろなどと、そんなフザケタ話があると思うか!?」
 
「──そういうもんだ」
 
RJは彼女の炎に水をかけるように笑った。
灰色の髪をかきあげて目を細める彼は、ようやく年相応に見えたことだろう。
 
「親心ってのは、そういうもんだ。ガタガタ言うんじゃない。ありがたく受け取っておくんだな、いつか身にしみる時が来る」
 
「それはあやつが死んだ時か?」
 
もし一枚の羽根と彼女のその言葉を天秤にかけたなら、おそらく言葉の方が軽かっただろう。
挨拶ほどの重さもなく、空虚な言葉はRJの横を過ぎ去った。
 
「かもな」
 
「…………」
 
同等に軽く言い放ってやると、彼女はダンマリと口を結んだ。
そうやってふて腐れた顔をしていると、彼女も年相応に見えるのだから不思議である。
 
 
思えばこの女は──めまぐるしい。
このインペリアル・ローズは、カラクリ人形のように見えてそうでないのだ。
実際は虚無の無感動さと荒れ狂う激情とを内包し、矛盾に満ちている。
 
そう、矛盾だ。
 
自己矛盾を秘めるのは人間の宿命であり、それが彼女にある人間性。
 
しかし彼女が彼女をカラクリ人形たらしめているのは、その矛盾し時に暴走する感情を完璧なまでにコントロールしているところにある。
まるで台本を読んで演技しているかの如く、切り替えがスイッチ仕掛けなのだ。
 
虚ろなる壁とそれに包まれた混沌。
それをここまで細かく制御するには、どれだけの精神が必要なのだろうか。
 
 
──怖いな……
 
 
RJはひとりごちた。
 
 
──まるで暗殺者だ
 
 
日常の人間性と闇の非人間性。
それが優秀な暗殺者の証。
かつて「仮面の殺し屋」と言われた彼も、そうだった。
ふたつの顔を持ち、両手にふたつの面を用意しているかのように切り替えた。
顔も、声も、……心も。
 
しかし随一の暗殺者であったRJでさえ、自らの二面性に苦しめられたのだ。
無理矢理な制御は、心身をひどく痛めつけた。
どちらが演技で、どちらが素なのか、……彼自身分からなくなっていたのである。
右に出る者はいない。 失敗はない。 逃れることはできない。
そう──世界で囁かれながら。
 
けれどこの女には、苦悩の片鱗もない。
それが普通、当たり前の如く、いくつもの相反した情片を自然につなぎあわせている。そのつなぎ目も分からぬほどに、だ。
 
 
 
 
「いくら金を積んでも暗殺は請け負わぬと言うか?」
 
長い沈黙の末、ローズが再びそう蒸し返した。
 
「やらない」
 
そして再びRJはドきっぱりと断言。
 
「お家騒動に巻き込まれるのはゴメンだ」
 
ふうん、とつまらなそうにうなづいて、ローズが両手を腰にあてた。
濃紺の夜風と紅い炎風に、白いドレスがひるがえる。
その顔には、微かな笑み。
 
「──だが、自分で撒いた種には責任を持ってもらわねば困るな」
 
「は?」
 
「私と同じように」
 
「……意味が分からん」
 
「…………」
 
意味が分からないのは本当だったのだが、彼女は何も言ってはこなかった。
そのままくるりと背を向け、路地の向こうへと帰ってゆく。
何事もなかったかのように、あっさりと去ってゆく。
街灯の光ひとつの裏路地を。不気味な闇がわだかまる静謐の裏路地を。
 
靴音ひとつなく、捨て台詞ひとつなく……
 
 
──靴音ひとつなく?
 
 
目を凝らしたRJが見たものは、路上と言われる大地から少し浮かんで歩いてゆく白い女。
魔導師がやるように、浮いて移動しているのではない。
そこが正規の道であるかのように、浮いたまま歩いているのである。
 
 
──…………。
 
 
その滑稽で、しかし尋常でない姿が夜闇に紛れて見えなくなった時、
 
「人間じゃない……」
 
後ろから、カースのつぶやきが聞こえた。
 
 
 
 
 
 
◇  ◇  ◇  ◇  ◇
 
 
 
 
 
「ねぇ、アル。なんだか不機嫌そうねぇ?」
 
「そうか?」
 
宿がだめなら酒場で明かす。それが裏者の鉄則である。
幸い容姿や言動、今までの金使いも相まって酒場と女には事欠かない。
 
バケモノに出会った後、RJとカースは現実感を取り戻すために別通りの行き付けへ
来ていた。
 
「泊まってた宿が火事になっちゃったんですって〜」
 
「えぇっ、うっそぉ〜! それって大変じゃない!」
 
少々女の化粧がきつく、考え事をするには騒がしすぎる店ではあるのだが。
 
「じゃあ私の家に泊めてあげるわよ。家賃はなし。ね、ね、どう?」
 
「ダメよ、リンディ! 彼は私が泊めるの」
 
「いつ誰がそんなこと決めたのよ!」
 
「今私が決めたのっ!」
 
 
──それじゃまるっきりヒモだな
 
 
きゃあきゃあ騒ぐ黄色い声にもみくちゃにされながら、RJはただひとり静かにエールのグラスを傾ける。
 
 
──そういえばあいつ……
 
 
「ねぇねぇアル。聞いてるの? 毎日泊めてあげるってば〜! 私、アルの普通の顔が知りたいわ〜。 アナタって酒場に来ててもクールなんだもの」
 
 
──何故俺が『RJ』だと知っていた? この俺が『RJ』だと。
 
 
裏者が身分を隠すのは当たり前。
RJの表の名前は“アル”だ。
彼が暗殺者『RJ』だと知る者は世の中広しといえども、本当に少ない。
同業者の数人と、……もうこの世にはいない標的だけ。そして、カース。
依頼主だろうとも彼は決して会うことはしない。
空家に郵便を届けさせ、カースに取りに行かせるのだ。
カースがいなかった昔も、その時々で人間を雇ってそうしていた。
 
 
──カースは素直過ぎる。俺に不利益なヘマはしないだろう。
 
 
頼りなげに見えるが、あれでも一応悪事に関する抜け目はないのだ。
RJの盲目的信者である彼が、ローズに悟られるような真似をするはずがない。
 
隣りの席できゃいきゃいいじくられ、凍りついているカースを横目で見つつ、RJは更に深い思考に沈んでいった。
 
 
──自分で撒いた種には責任を持て? それはどういう……
 
 
 
<皇帝を狙っているだろう新鋭の暗殺者。貴様はもう、奴等に敵わぬと言うか>
 
まぶたを閉じたその裏に、突然あの白いバケモノが現われた。
黒い髪を揺らし、つむじ曲がりな笑みを浮かべ、あの道化な調子で言う。
 
<貴様の時代は、終わったのか?>
 
言葉と同時、RJはキッと目を見開いた。
 
その目に映るのは甲高くしゃべる女たちと大騒ぎして酒を組み交わす男たち。
 
だが彼の目が──殺し屋の目が睨んでいるのは、そこにいない者。
そしてその耳に響いているのは彼女の哄笑。
 
<貴様は歴史から御退場か!? 『仮面の殺し屋』RJ!>
 
 
──言わせておけ。関わるんじゃないよ、大人げない。
ひとりの彼が言っている。
 
──言われっぱなしか? ここで尻尾を巻いて負けを認めるのか!?
もうひとりの彼が言っている。
 
 
「…………」
 
RJは静かにグラスを置いて立ち上がった。
 
「カース」
 
「あ、はい!」
 
「──行くぞ」
 
 
 
 
 
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