White Hazard

第二章 「反逆の定義」 前編

 

 
帝城。
それは帝都の奥に悠然とそびえる皇帝の居城。
皇帝の生地であったここ、大陸の東部にこの城が創られたのはたった5年前。もとあった城を壊して建てられたので、年数からいえば全くもって若い城である。今までの城のように攻防を目的とはせず、ただ『城』という幻想を求められた白い建築物、帝城。
 
子どもの玩具のようなもので、芸術性などゼロに等しい。歴史がない。
人の心を打つものがない。こんなものは城ではない。
名のある建築批評家は様々にその城を酷評した。
城の図面と完成絵を手に、渋面で笑ってみせるのだ。
 
 
 
だが──人々は知っていた。
それがすでに神域のものであることを。
 
遠くから城を見た旅人たちは戦慄に背筋を震わせ、帝都に住む者たちは日々その城を思ってはため息をつく。
近づいてはいけないという決まりごとはなかったが、近づいて城を眺めようとする者は数少なかった。
近づけば、城の持つ得体の知れない神性に囚われる……。
 
城は地上にあって地上でなく、人の住む場であって人の住む場でなかった。
好んで歩を進めようと思うような場所ではなかった。
 
その神域に近づけば近づくほど、鈍重な冷気が身体の奥へとしみわたって
くるのだ。ゆっくりとしかし確実に、心から凍死していくのを感じるのだ。
 
そう。
そこはまさに、怜悧な戦場。静かな、そしてひとつの油断もない戦場。
その居城に、「安楽」はない。
 
 
 
 
 
 
 
誰が決めたのだろうか、うんざりするほどお決まりのように赤い絨毯が敷かれた、味気なく長い帝城の廊下。
一番奥にある執務室から出てきたイェルズ=ハティは、自らが進むべきその方向に
会いたくもないものがひとついるのに気がついた。
小さく舌を打つ。
 
「宰相」
 
「……何です?」
 
執務室は廊下のつきあたり。要するに扉を開けて出てきた以上、進む道は前しかない。底抜けな相手の声に脱力しつつ、彼は仕方なく足を進めた。
 
「宰相はこの国が嫌いか?」
 
「大嫌いです」
 
彼はきっぱりと言い放つ。
 
茶色の髪と茶色の双眸。物腰柔らかな麗人、それが帝国第二位の地位に就く、宰相・イェルズ=ハティ。
スマートな身体に白の官衣をまとい、そして明晰な頭脳と共に清浄なる精神をも併せ持つ、奇特な人間。
 
「どの辺が大嫌いなのだ?」
 
「何もかも、全部です」
 
まだ三十にも満たない若輩者を、宰相などという高位に就けたのは無論セレシュ。
水面下では様々な確執があったらしいが、皇帝の意向とあれば誰にも口出しはできない。
 
「皇帝も、嫌いか?」
 
「大嫌いです」
 
今彼の目の前にちょこんと立っているのは、長い黒髪を高く結い、白いドレスで質素に飾った女。
背丈も存在感も小さめだが、態度だけはやたらとでかい。
 
──彼女の名はインペリアル・ローズ……
 
 
 
「はい、どいてくださいね」
 
休憩室の入り口を塞ぐようにしている彼女をしっしっと退かし、ハティはその小さな部屋へ入った。
もう夜もかなり更けていて、ロウソクの灯ったそこはしかし闇の侵食を受けて薄暗い。
果物やらお菓子やらが積まれたテーブルも、無造作に置かれた数脚の椅子も、どことなくくすんで見える。
だが、彼はこんな深夜のこの部屋が好きだった。
 
唯一、色が感じられる部屋だからだ。
この冷ややかな牢獄城の中で、唯一ここだけが人を受け入れる場所だからだ。
 
 
「あの男の我がまま横暴に私が加担させられているなんて、考えただけでも身が凍りますよ。私はきっと、死んだら地獄行きでしょうね」
 
「……その陛下は今どこにいるのか知らんか?」
 
「歌姫のところじゃないですか?」
 
「…………ロベリア、か」
 
「えぇ」
 
水差しから水を注ぎながら、ハティは小さく笑みを漏らした。
背後でぱりぽり焼き菓子を頬張っているこの娘は、結局それが聞きたくて来たのに違いない。皇帝の私室にも寝所にも本人がいないものだから、困り果てたのだ。
あの歌姫のところではないかと勘ぐりながらも、そこに踏み込めるほど図太くもない。
皇帝など一蹴できる強大な力を持っているくせに、あの男には人一倍気をまわす。
 
「あの歌姫は綺麗だからな。ここでは唯一陛下が安らげる場かもしれぬ」
 
「ですがこの頃入り浸りすぎです」
 
「仕方あるまい。……陛下の肩に乗っておる負荷は、到底人間ひとりに負えるものではないのだ。──今あやつが正常な精神を保っておることの方が、私には恐ろしいよ」
 
ため息をつくでもなく、目を伏せるでもなく、菓子に手を伸ばしているローズ。
ハティは手近な椅子に身体をあずけ、ゆったりと足を組んだ。
そして、皮肉げな視線を彼女に送る。
 
「あの男が失政をしないように、あの男の精神が正常であるように支えるのが貴女の役目なんじゃないんですか?」
 
「違う」
 
「?」
 
ハティが片眉を上げて問うと、今度は彼女が皮肉げにニヤついていた。
 
「それはお前たちの役目だ」
 
「じゃあ貴女は何をするんです?」
 
「私か? ……私はあやつを守るのだ。すべてから、な」
 
それは意味の深い言葉だった。
特に、ハティにとっては。
皇帝の独裁に意を唱え、帝政の廃止と議会設置を求めているイェルズ=ハティ宰相にとっては。
 
「今日は少し外で火遊びをし過ぎて疲れた。陛下に会ったら私が探していたと、伝えておいてくれぬか?」
 
「……いいですよ」
 
言ってそちらを見たときには、彼女はもういない。
いつもそうだ。
現われる時は突然で、消える時もまた突然。
名残も余韻もあったもんじゃなくて、彼女のすべてが唐突。
 
ハティは苦々しく笑いながら、大窓から外を見た。
 
「厄介ですね、ローズ……」
 
つぶやきながら、そこに映る自らの顔に手をかける。
それはやけに穏かな白皙だった。
 
「あの男は自分で自分の首を締めている」
 
茶色の瞳の奥に、少しの同情と悲哀が揺れる。
だが、すぐにとって変わったのは冷ややかな嘲り。
 
「今日あの人は、ヴィエスタの街を焼き討ちにしました。……あそこは南軍将軍の出生地。 ──明日の朝議、荒れますよ」
 
白い指が窓枠をなぞって下へ降ろされる。
そして、誰もいない夜更けの部屋に心地よいテノールが囁かれた。
 
「もう、流れはあの人から離れたのです」
 
 
 
 
 
 
◇  ◇  ◇  ◇  ◇
 
 
 
 
 
「お兄さん、オレ眠いの。分かる? オレ忙しいの。寝るヒマないの。アンタみたいに優雅にご隠居生活してるわけじゃねぇの。分かる?」
 
「じゃあ寝たまま天国に行ってみるか?」
 
「それも甘い誘惑だね」
 
「…………」
 
なぜ一晩に二人も疲れる相手に会わねばならないのか。
RJは自問した。
だが、答えは出ない。
 
目の前の若い男──無論カースではない──は、ぴんぴんはねた黒髪に、ド派手な
赤のレザーコート。
軽そうで馬鹿そうでどーしよーもなさそうなゴロツキに見えるが、……まぁほぼそのとおり。
否定項をあげるなら、とりあえず馬鹿ではない。
寧ろ恐ろしいほどに冴えている。
 
「仕事の話はしないよ。いくらお兄さんでもね」
 
「ディエス。お前、皇帝の暗殺を請け負ってないか?」
 
「お兄さーん」
 
水割りのグラスを手にしたまま、若造がテーブルに突っ伏した。
 
「人の警告無視すんじゃねぇよー」
 
 
ディエス=ヴァ−ミリオン。
若手暗殺者の最先であり、「仮面の殺し屋」の名を世界から忘れさせた第一の新鋭。
予告状まで出して仕事をスリリングに変身させ、命ギリギリを駆け回る。
それでいて──失敗したという話は聞かない。
まぁこの男のやり方ならば、失敗した時=死んだ時、なのだろうが。
 
……「お兄さん」とは呼んでいるが、それはただ単に暗殺者「RJ」に対するちょっとしたからかいなのであり、血縁があるわけではない。
 
 
「でかい声出すなよ。ヤバイ話なんだからな」
 
「ヤバイ話はしねぇって断ったじゃんかよ」
 
「固いこと言うな」
 
少しは洒落っ気のある酒場。
その個室を借り(無論RJのツケ)、眠いだのなんだとの文句タラタラのディエスを引っ張ってきた。
裏者ともなれば情報も金の元。
新手最強のディエス=ヴァ−ミリオンの居場所くらい、RJは知っている。
 
 
「言えないなら、明日にでもお前の寝首を掻き斬りに行ってもいいんだが」
 
軽く笑んで、凄んだRJ。
だがディエスはもっと不敵だった。
 
「引退したお兄さんに殺られるほど、オレは鈍くないぜ」
 
 
──引退なんかしてないっつーの
 
 
胸中で毒づきつつ、RJはグラスの氷をカラコロと回した。
なんだか知らないが、口元には自然に笑みがのる。
 
「何笑ってんだよ、気持ち悪ぃなぁ。……もしかしてお兄さん暗殺業に戻る気? まだ血を吸い足らないわけ?」
 
ディエスがニヤけながら上目遣いにこちらを見た。
柔らかくて、砕けていて、人好きのする彼の口調。
しかし、そこにはありありと嘲笑と挑発が混じる。
 
「やめときなよ。お兄さんの戻る場所なんてないぜ? 時代は変わったんだもうアンタは必要じゃないんだよ」
 
「ディエス! てめぇ言っていいことと悪いことが──」
 
がばっ
 
突如カーテンが引かれてカースが怒鳴り込んでくる。
外で人払いをさせていたのだが、どうにも我慢できなくなったらしい。
 
「人に対する最低限の礼儀とか知らねぇのかよ、てめぇは! それでも人間かっ! 少しデキルからって何でも許されると思ったら大間違いだぞ!」
 
「カース。……いい。お前さんはしっかり見張りをしとけ」
 
「けど兄貴! それじゃあ示しってもんが!」
 
「カース」
 
「……分かりました」
 
ぎろりん、とディエスを睨みつけ、カースは再びカーテンの向こうへ消えた。
 
「──忠実な部下をお持ちで」
 
にらまれた彼は両腕を抱き、身を縮める。
 
「俺が死んでもあいつがいる。だから暗殺者RJは決して仕事をしくじらない。言ってみれば……間違いのない保険だな」
 
淡々と言うと、ディエスがけらけらと声を立てて笑ってきた。
グラスの飛沫がテーブルに散る。
 
「麗しい師弟愛か!? そんなものに頼るようになったなんて、お兄さんも年だねぇ。 甘い、甘いよな! やっぱりアンタ戦場に出ない方がいいよ、長生きしたかったらさ! そんなんじゃすぐに死ぬって!」
 
大声を出すなと注意したのに、この馬鹿はテーブルをばんばん叩いて笑っている。
それを半ば保父のように眺めながら、RJはつぶやいた。
 
「──誰も流れには逆らえぬ」
 
「はァ?」
 
「知り合いが言ってたのさ。俺が戦場に立つことを拒んでも、流れの前には無駄な抵抗ってことらしいな。流れが望めば俺は再び戦場に立たねばならんのさ」
 
肩をすくめてRJは席を立つ。
情報が得られないなら長居は無用。
 
「だがなぁ」
 
カーテンを開けながら、RJは怖いもの知らずの新鋭を肩越しに見やる。
 
今までの落ち着き払った黒眼ではなく、嬉々とした強い意思のある眼光。
彼の片方だけ吊り上げられた薄い唇からは、本気の不敵が流れ出た。
 
 
「死ぬ気はしないね」
 
 
 
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