White Hazard

第二章 「反逆の定義」 後編

 

 
「理由をお聞かせ願いたい」
 
誰もが予想していたその言葉に、しかし誰もがぎょっとした。
 
白だけに染められた厳粛たる帝座。大理石が敷き詰められ、真っ直ぐな円柱が天を支え、そして見上げれば高みに皇帝。
大陸どこの劇場よりもそれは広く、そして大陸どこの神殿よりもそれは神性を秘めて
いた。漂う空気まで、浄化され尽くすかのように。
 
「あの街を焼き払った理由はおありでしょうか」
 
うつむいて背筋を寒くしながら平伏している者達の中、ひとり前へ進みでて奏上している者がある。
帝国南軍将軍、テラー=ベルト。
壮年の、がっしりとした武人。
兵士たちからは親父と慕われ、多少のことでは動じない。自らを犠牲にすることを厭わず、信念のとおり身体を張って動き通す。穏かで、力強い。大地の如く、広い。
本来ならばまず葬っておくべき敵国の将だった彼を生かし、登用したのは……今彼が見上げている先の者。
 
「お答えいただきたい、陛下。なぜヴィエスタの民を皆殺しにしたのですか」
 
朝の神聖なる光が言葉と共に帝座を照らした。
対角線上に広がる美しい帝都の街並み。
そこは皇帝の望むまま、ガラス張りにされてあった。
 
「理由なら、ある」
 
降るべくして降ったその声に、またもや皆がじっとりと汗をかく。
 
「大陸に神はあってはならぬ。それが理由だ」
 
静かな、空気さえも震わせてはいないのではないかと思うほどに静かな声音。
朝のきらめかしさと相まって、言葉は真っ直ぐそれぞれに届く。
 
「あの街の者は、余が信仰を止めよと言い付けた後も教会を建てた。神を祀った」
 
誰も身動きひとつせず、誰もまばたきすらしない。
皇帝の吐息が広い空間に波紋を描く。
 
「余が治めるこの世に神はいらぬ。神は平和をもたらすか? ──否」
 
「それが理由ですか」
 
「そうだ」
 
「それで皆殺しに」
 
「そうだ。まだ理由がいるか?」
 
「…………」
 
何の感慨もなく口を動かす皇帝を横目に見やり、イェルズ=ハティは表情を白けさせた。
彼は、皆と同じではない。
この帝国第二位の者なのだ。よって、彼の立つべき場所は下ではなく、上。
 
彼が、宰相という地位にありながらも皇帝に刃を向ける反逆の徒であることは周知の事実であるし、おそらく──皇帝自身も分かっている。
それでもなお自らを傍に置いておく皇帝の余裕に、彼は薄く苛立っていた。
そしてその余裕の一因は絶対に、あの浮遊物。
 
「インペリアル・ローズ……」
 
 
高い帝座から更に見上げた、この大広間の天井。その幾重にも重ねられた大陸一のシャンデリアの上でくつろいでいるソレ。
朝食時に出されたのだろう、蜂蜜のかかったワッフルを皿を持ちつつ食べている。
もしアレが人間などと言うのであれば、もはや彼女以外、人間外ということになる。
 
ずば抜けた非常識さと神出鬼没さ。そして、抗えぬ絶対的な力。
 
誰かが間違って皇帝に剣をかざしたなら彼女が笑いながら灰にするだろうし、今もしハティが短剣を振りかぶったとしても、きっと彼女の指が動く方が早い。
彼女の存在は、どうしようもない保障だった。
 
 
「では、帝国の者が皆神を信仰していたと判明したら、どうするのです」
 
普通の者ならば声も出ない問答であっただろうに、ベルト将軍は圧されることなく続けていた。ハティは、胸中で小さく賞賛を送る。危うい嘆息とともに。
 
「皆、死んでもらわねばなるまい」
 
「あなた以外、皆死ぬことになりますよ?」
 
「何も困ることはない。人のいないところに戦は生まれぬ。誰もいなければ、ひとりだけならば、決して」
 
声を上げようとしたベルト将軍を、何かが封じた。空気が、重くなった。
そして皇帝の声は続く。
 
「戦禍がなければ世は平和に保たれる。人が存在しなければ、なおさら世界は保たれる。戦いもなく、憂いもなく、罪もなく、裏切りもない」
 
「あなたは──人の世を滅ぼすおつもりか!? 自ら創り上げ、そして今度は自ら壊す気か!?」
 
「…………」
 
返事はなかった。
皇帝はくだらない問答に飽きたのだ。
 
 
皇帝・セレシュ=クロード。
絹糸の如き長い銀髪を無造作に流し、宝石よりも澄み氷よりも冷たい蒼の両眼。
感情の欠片も浮かばないその顔を皆に見せておくくらいならば、まだ彼に似せた人形でも置いておいた方が心休まるというものである。
少なくともそれならば、正体の知れないプレッシャーを受けることはない。その顔から
意を読もうと焦燥する必要もない。
 
「宰相、ロベリアを呼べ。空気が悪い」
 
「しかし陛下、今この場に歌姫など──」
 
ハティが形ばかり諌めようとした時だった。
 
「あなたがいるから世が乱れてゆくのです!」
 
将軍が、剣を抜いた。
誰も彼を止める間もなく──
彼は帝座への階段を駆け上がる。
 
 
──いけない
 
 
叫びは声にならない。
全てがスローモーションに見え、しかし彼は武人ではないが故に咄嗟に動けなかった。代わり、忌々しいほど明晰に頭脳が見せてくれる。
 
将軍の大剣が光を反射して閃き、
 
「ローズ……」
 
その反射光のずっと向こうに未だワッフルをぱくついている彼女が映る。
見えないわけもなかろうに、指一本動かす気配はなく、そして──
 
ギィン
 
鈍い金属音が広間に響いた。
そしてそれと共に重なるため息。
 
「…………あぁ…」
 
皆、少しだけ、期待していたのかもしれない。
皇帝をどこからともなく護っているローズの追撃がなかった故に、儚い夢を見た。
解放される、夢を見た。
 
「愚か者」
 
心底つまらなそうにつぶやいた皇帝の言葉が、広間を現実へと引き戻す。
 
一瞬抜かれた皇帝の愛刃はもうすでに所定の場所へ帰っていた。
金糸・銀糸で彩られた白の帝衣の間から、その柄だけが垣間見える。
 
対して皆が見つめる視線の先には、はねられて階段に突き刺さっている将軍の大剣。ただ一回打ちあわせただけなのに、その刃には致命的な亀裂が走っていた。
小さいが、明らかに剣の生命線を断つ亀裂がひとつ。
 
「宰相」
 
「……はい」
 
ハティは端麗な顔を一片たりとも崩さず応えた。
 
「将軍を地下牢へ。ただし、殺してはならぬ」
 
「殺せ!」
 
無言の兵士達に押さえられた将軍が叫ぶ。
が、
 
「……殺してはならぬ」
 
ガラスの蒼が、言葉と共にこちらを見た。
思わず身構える。
 
「よいな」
 
「──御意」
 
深々と頭を下げてから伺えば、帝座の男は口元に涼しい笑みを浮べて街を眺めていた。
 
 
 
 
 
 
インペリアル・ローズは、追撃しなかったのではない。
追撃する必要がなかったのだ。
皇帝は──自身、比類なき強さを持っていた。
ローズの力を持ってして大陸を手中にしたのだという嘲りを一蹴するのに、今日の朝議は充分な舞台だった。
誰が見ても分かる構図だった。
何せ、ベルト将軍はセレシュ軍の中で最強だと讃えられていたのだから。
 
 
──したたかな……
 
 
執務室へ向う回廊で、ハティはふと足を止めた。
透明感のあるステンドグラスで彩られたその回廊は、誰もの心を休ませる。
ガラスを通った色とりどりの荘厳な光が、彷徨う邪念を洗い浄めてゆく。
この城に渦巻く黒い霧を、息が詰まるほどに重い空気を、必死に。
 
「身動きができない……」
 
スマートな白皙をしかめて、彼は小さくつぶやいた。
 
崩壊は見えている。
不信は募っている。不満は限りない。恨みは積もり、憎しみは帝国を覆っている。
だが──
 
「恐怖が勝っている」
 
ハティは己が手を聖なる光にかざし、そしてゆっくりと握った。
そこにあるのが見えているのに、遥か遠くにある幻想。伸ばしても手の中から逃げてゆく楽園。
皇帝のいないこの世。
セレシュ=クロードを討ち取るその時……。
 
目を閉じて、息をつく。
──と、
 
「──反逆者」
 
ハスキーな女の声がした。
 
「そんなヤバイこと、この城の中で言うもんじゃないよ」
 
「ヴァレン将軍」
 
薄目を開けて確認すれば、そこには思ったとおりの人物が苦々しく笑って立っていた。
 
ルビー=ヴァレン。
彼女はベルト双璧を成していた女将軍で、大柄な体躯に波々とした金髪をたたえる
アマゾネス然とした二刀流。
白い愛馬で戦場を駆け、次々と向う軍を撃破していく様は染血の女神と歌われた。
一個軍が、彼女の「投降なさい」の一言で落ちたという逸話まであるほど。
 
「今更ガタガタ言ったってしょうがないじゃないさ。今の皇帝はあの人なんだ」
 
「……それを許せますか、貴女は」
 
「──いいや。ベルトは親友だったしね、無論アタシの腹の中は煮えくり返ってる。
だけどアンタが思っているとおり、浅はかに動くと自分が危ないよ」
 
彼女は、自分の言ったことをすぐに忘れる。
ヤバイ話はするなと言ったくせに、もっとヤバイことを平気で断言してくれるのだ。
ハティはこめかみを押さえながら、自分とあまり変わらない位置にある彼女の目を
見やる。
 
「これは、反逆だと思いますか?」
 
「…………」
 
彼女の薄い碧眼が歪んだ。
 
「って……?」
 
「最大権力に刃向かうことを反逆というのなら、そうかもしれない」
 
ハティは光輝くステンドグラスへと視線を上げた。
陽光に浮かび上がる白い薔薇。
 
「現状の流れと逆へ行こうとする。そういう意味の言葉ですから、きっとそれだけの意味なんでしょうね、反逆とは」
 
手折ろうとしても、踏みつけようとしても、毅然とそこにある白い薔薇。
折れない、踏めない、聖域にあるかのように遠い花。
 
「しかし、反逆という言葉には悪意を感じませんか?」
 
「悪意?」
 
「刃向かう奴などけしからんという、悪意です」
 
ルビー=ヴァレンが口を引き結ぶのが視界の端に映った。
 
「聖戦だと言うつもりなんかありませんよ。けれど、これは反逆ではない。もはやこれは歴史の流れ。誰もがあの男の失墜を望み、願っている。流れに逆行しているのは、あの男──セレシュ=クロードです。悪意を持った逆行者。反逆者とはまさにあの男ことじゃないですか」
 
「でもあの人は、ただ独りでも流れの真ん中に君臨できるよ」
 
真摯な彼女の眼差しは、忠告。そして釘。
 
「私たちは流れに乗ってさえあの人と五分じゃないよ。あの皇帝に流れなんか……関係ないように思うね。議会は犬、ベルトはあのザマ、司法長官も自分がない。帝領(帝都)長官もいないに等しいし、近衛隊長のノクティスは何を考えてるんだか分かりゃしない。おまけに──大義名分として擁立しようにも、フォール=クロードはあまりに頼りない」
 
「そうでしょうね」
 
ハティはくすくすと肩を揺らして笑った。
さも可笑しそうにひとしきり笑い、ヴァレンの顔が難しくなり始めると仕方なく息を整える。
 
「しかし──」
 
そして同時、意地悪げにその双眸を彼女へと滑らかに流した。
 
「貴女は私を誰だと思っているのです? ルビー=ヴァレン。反逆の者とワレていてさえ宰相にまで登った私ですよ?」
 
形良い唇が優しいため息を漏らす。
荘厳なる回廊に響いたそれは、しかし反逆者のものの如く。
 
「無策のわけがないでしょう? ただ、時期が難しいだけですよ」
 
 
 
 
 
◇  ◇  ◇  ◇  ◇
 
 
 
 
 
「歌など聴いている場合ではないと申しておろう!?」
 
「ですが! 皇帝が許可を出されませんので」
 
「私に皇帝の許可など必要ない! 私は誰の許可も必要とはせんのだ!」
 
「ローズ様、出直しを……」
 
「出直している場合ではないというのが分からぬか、この愚か者!」
 
ハティとヴァレンがそれぞれの持ち場へと戻るために歩を進めていると、渡り廊下の向こう側から凄まじい怒鳴り声が聞こえてきた。
 
「お嬢ちゃん、荒れてるな」
 
横でヴァレンが呆けたように笑う。
 
「歌姫とのお楽しみから締め出しでも喰ったんでしょうかね」
 
ふたりでどうしたもんかと立ち止まっていると、向こうから白い物体をずりずりと引きずってくる四人の兵士がその視界に現われた。
地上高き吹きさらしの渡り廊下だけあって声が反響することはないが、それでもローズの罵詈雑言は耳に入ってくる。
 
「セレシュ! いーつーかーらー、貴様はそんなにエラくなったのだッ! 私を門前払いするなぞ、いい度胸がついたものだな!!」
 
「……この国では皇帝よりもお嬢ちゃんの方が偉いのかい?」
 
「らしいですね」
 
対岸の火。
ハティは苦笑しながらその場に足を止め、巻き添えにならぬよう腕組をした。
見れば、ヴァレンも好奇の目を輝かせているものの、炎に飛び込むつもりはないらしい。彼の少し前でやはり足を止めている。
 
 
「もういい!」
 
そして渡り廊下の上では、完全にぶーたれたローズが忌々しげなため息と共に腕を払う。あきらめと悟り、兵士たちも彼女を押さえていた手を放した。
 
「後悔しても知らぬよ!」
 
思いっきり幼稚に顔をしかめ、彼女は捨て台詞。
軽く床を蹴り、欄干の上へと身をのせる。
常人ならばバランスなど到底とれるものではなく、おまけに落ちれば死あるのみだろうが、彼女はさも当たり前そうに立っていた。
蒼空を背景にし、白くひらひらした衣装が風に舞う。
 
「私は──確信した。ずっとずっと訝っていたが、おそらく本物だ」
 
彼女の引力を持った闇の瞳が、微かにこちらを向いた。
返事をするように、ハティもその目を細める。
 
 
──警告ですか……?
 
 
もちろん、ハティの心の声など彼女に届くわけもない。
だが彼女の言葉は、皇帝というよりもハティとヴァレン、ふたりにかけられているような響きを含んでいた。
彼女はもう叫んでいない。刻みつけるように、一言一言重く言う。
 
「この大陸にいるのだよ。──私と同じ者が」
 
彼女がゆっくりと視線を外し、そして言葉を切ると同時、手を口にあてて鋭く口笛を吹いた。
 
「私と同じ者。けれど私よりも強い者。この私を潰せる力を持った者」
 
ローズが目を閉じて空を仰ぐ。
 
「私を消し、皇帝に剣を立てることができる者が確かに──確かにいるのだこの世に。この大陸に!」
 
「ローズ様!」
 
兵士が声を上げた瞬間、彼女の身体が傾いた。
薄笑いを浮べたまま、白い女は高い景観の中へと背中から身を投げたのだ。
 
「お嬢ちゃん!」
 
「ローズ」
 
ハティは思わずヴァレンと顔を見合わせて走りかけ──、廊下を垂直に上った影に眉を寄せる。
 
「鷹……?」
 
「トンビ」
 
「いやあれは鷲じゃ……」
 
兵士のつぶやきはともかく、確かにそんな感じの鳥だった。
普通の猛禽類にしては大きめのソレ。そしてやはりその背には白い物体。
 
「お嬢ちゃん! どこ行くんだい!」
 
「正義の味方のところだ!」
 
「…………」
 
小さくなってゆく黒い点を見つめたまま、ヴァレンが口を開けている。
 
「正義の味方……」
 
が、すぐに険しい碧眼がハティに向いた。
 
「アンタの策ってのは、お嬢ちゃんが言っていた奴かい?」
 
その瞳と同じ色の鎧が陽に光る。
咎めるような彼女の視線から逃れるように、ハティは欄干から下を見下ろした。
小さな森になっている奥庭園。小川が流れ、木々が揺れ……。
 
「……違いますよ」
 
ため息まじりに彼は否定した。
 
力を力で潰したのでは何の意味も無い。
それでは、セレシュ=クロードがやったことと何ら変わりはないのだ。
無血で落としてこそ、意味がある。
無血で秩序を手に入れてこそ、彼の意味がある。
イェルズ=ハティという名に意味がつく。
だが。
 
「じゃあ、お嬢ちゃんの言っていたのは何なんだい?」
 
「…………」
 
それは彼の方が訊きたかった。
 
この世にインペリアル・ローズをも凌ぐ者がいる?
セレシュ=クロードを更なる力で葬ろうとする者がいる?
そして──
 
「正義の味方……って誰だろうねぇ?」
 
呑気に高笑いをあげるヴァレンを横目に、ハティは前髪を払って眉間をつまむ。
 
なかなかどうして、宰相という者の道は多難なものである。
 
 
 
 
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