White Hazard

第三章 「正義の味方」 前編

 

 
「お前の話、一向に向こう岸が見えてこないんだがな?」
 
「私も計りかねているのだよ」
 
「…………」
 
RJは返す言葉もなく女を見下ろした。
深刻そうな会話の内容とは裏腹に、幸せいっぱいを具現化したようなクレープをのんびりぱくついているその女。
名を、インペリアル・ローズというらしい。
今日もまたひらひらとした白いドレスをお召しになり、いきなり空から降ってきた。
そして、情報を求め街をふらついていたRJの元、彼女は一も二もなくスカウトの続きをし始めたのである。
 
そのローズが、落ちかかったイチゴをきっちり口に収めてから言ってきた。
 
「まだ事はそれほど動いてはいない。だから、全貌が分からない」
 
「事ってのは、皇帝の暗殺か?」
 
「貴様もはっきり言いよる奴よの」
 
ローズが面白そうに肩を揺らす。
 
「完璧な暗殺者気質だ」
 
「曖昧さは命取りになるんでね」
 
RJは鼻で笑い飛ばしながらわずかに視線を上げ、周囲を見やった。
 
 
暗殺を止めてから通ることも増えた表通り。まっとうな商売屋が小綺麗な店舗を構え、様々な所から集まってきた人々が行き交う。
 
鮮やかに織られたマントで身を包んでいるのは、北方に住むリティア民。何頭もの馬に荷を乗せて闊歩してゆくのは、おそらく西方商都サザラントからの隊商だろう。
異彩を放つ濃緑色のローブで目深にフードをかぶったままの呪師や、いかにもな格好で連れ立つトレジャーハンター。
道楽の旅行家然とした軽装の細い奴に、派手な漫才を繰り広げながら店を回る剣士やら精霊師やらの一団。何やら喚きながら誰かに炎を放っている魔導師。
他ではあまり目にすることのない、東方山脈の鴉族(からすぞく)までがあちこちで品定めをしている。背中に漆黒の翼を持ち、上半身は人間・下半身は鳥という、いわゆる鳥人。
 
(……無理もないか。ここは帝都だ)
 
RJは眉間を押さえて独りごちた。
 
濃灰色の長髪に、黒の外套(がいとう)をまとった自分。
その横に並んで歩く、高く結った黒髪に、一点の曇りなき白ドレスで着飾った女。
そして二人の一歩後ろを付き従う、空気以上に希薄な若い奴。
 
これで目立たないわけがないのだが──幸い、この特殊な都にあってはあまり目立っていないようだった。
過ぎる人々の視線には、険も好奇もない。
通りに張られているのは、ただ見るためだけの視線。
無関心なわけではない。ここにはただ、“普通”という概念が存在していないだけなのだ。
 
全てが起こり得る事象であり、全ては存在し得るものである。
帝都ではそれを誰もが知っている。
真実はなく、偽もない。全てが全てであり、全てが全て甘受される。
それが帝都であり、この大陸の第一中枢区。
だからこそこの新都は“黄金の夜明け(ゴールデン・ドーン)”と歌われ、大陸中の憧れを背負っているのだ。今まで排除されていた者たちはもちろん、夢を見る者、一度敗れた者、旅立つ者、宿命を負う者……。
 
帝都。
それは、皇帝セレシュ=クロードが用意した、華やかなる自由の都。
あらゆる喜劇・悲劇の原点。
 
そして──帰点。
 
 
「事、か。皇帝の暗殺で終わるかもしれんが、あるいはこの帝国の滅亡……もしかすればその上を行くかもしれぬ」
 
感慨に浸りかけたRJを引き戻すが如く、彼女が小さく肩をすくめた。
 
「その上?」
 
「規模さえ全く分からぬよ、人の心は計れぬものだ」
 
「だが要するに、“反逆”だろう」
 
「そうだ」
 
「…………」
 
RJは、彼女の淡々とした返答に得体のしれない苛立ちを感じて黙り込んだ。
本能的な何かが微妙な違和感を訴えている。
暗殺者としての、ではない。人間としての、だ。
しかしローズは、彼の意図的な沈黙など気にした様子もなく続けてきた。
 
「暗殺者に反逆の収拾を頼むことが見当違いだとは充分心得ている。だが、今回のことは、私には少々荷が大きすぎるのだ」
 
(……バケモノのお前の手に負えないなら、俺にどうこうできるわけないだろうが)
 
「それに、お前には反逆を潰さねばならない理由がある」
 
「理由?」
 
思わず沈黙を破る。
気付いて彼は天を仰いだ。どうも──調子が狂っていた。
 
「剣も魔術も使えぬような暗殺者、理由もなしに雇うと思うか?」
 
半分に様変わりしたクレープを左右に振り、嫌味な顔でローズが視線を上げてくる。
RJは前を向いたまま静かに斬り捨てた。
 
「暗殺に必要なのは剣術でも魔術でもない」
 
「では?」
 
試すように返された言葉に、RJは己の頭を指差し、
 
「……ココと」
 
そしてその格好のまま薄く笑う。
 
「遂行する意志」
 
必要なのは、ただそれだけだ。
いや、もうひとつ上げるならば依頼者か。
未熟な腕は機転でどうにでも補える。しかしいかに腕があろうと、咄嗟にあらゆる計算ができないようでは、生きては帰れまい。
そして無論、氷の意志がなければ殺せまい。
 
「なるほど」
 
どこまでこちらの真意を理解したのかは分からないが、とにかくローズは充分納得したらしい。喜怒哀楽が全て欠落している顔で、くるりと後ろを振り返る。
そしてずばりと言い放った。
 
「カース。お前にはどちらが欠けているんだろうね?」
 
「──両方」
 
会話の外に置いていかれ、もてあまし気味に付いてきていた正統派不良な彼は、しかし律儀に答えていた。
彼の言は決して謙遜ではない。彼は真正直なのだ。
 
「両方か。大変だな」
 
「まだ半人前だしさ」
 
「だが意志はどうにでもなろうが頭は生まれつきってことがあるかもしれぬよ?」
 
「えぇっ!?」
 
「だから……」
 
「──あのな、」
 
RJは嘆息しつつローズの言葉を遮り、彼女の後ろ襟を掴んで持ち上げた。ぐるりとこちらに顔を向けさせ、言う。
 
「カースにないのは頭でも意志でもない。“機会”だ。──が、それは今問題じゃない。わざわざ俺をご指名の理由を先に言え、理由を」
 
すると彼女は、底無し沼のような目を更に深めて笑った。
 
「セレシュを皇帝にしたのは貴様だ」
 
「……は?」
 
ミもフタもなく問い返す。
彼女は無機質な微笑で言い直してきた。
 
「セレシュを皇帝にしたのは貴様であろう、仮面の殺し屋RJ。貴様は昔、ある小国の王を暗殺したことがあるはずだ。ミノラ=クロード。つまり、セレシュの父君を」
 
「…………」
 
そんな覚えはないとシラを切る事もできたはずだった。
だが、できなかった。
気圧された?
 
(──違う)
 
彼は自身知っていた。
ミノラ=クロードを暗殺し、セレシュ=クロードを皇帝に据えたこと。
“仮面の殺し屋”
その全盛期に請け負ったひとつの仕事。
大いなる歴史の転換点となったあの仕事。
それが、暗殺者RJとしての誇りでもあった、と。
あの仕事は間違っていなかった。
時期も、標的も、殺める術も、一寸違いなかった。
 
自らより少し年上だったろうその息子は、時を経て大陸を制覇するほどの者となりおおせ、歴史はその者を史上初めて世界の君主として受け入れた。
誰も為しえなかった大陸平定。
偉業というか愚行というかは人次第。
 
 
仮面の殺し屋が創り上げた──究極の歴史芸術品、セレシュ=クロード。
 
 
「皇帝セレシュ=クロードを生み出した根源は貴様だろうが、RJ? あやつが即位した後貴様が手がけた多くの暗殺。あやつの敵を葬るものであったと気付かぬわけもあるまい? ……この帝国を築いたはセレシュ、私。そして──暗殺者RJ」
 
「…………」
 
「兄貴……」
 
知らぬ間に顔つきが変わったか、それとも事態が大き過ぎたか、カースがとまどう声音で小さく喘いだ。
だが、答える者はいない。
 
(俺はすべて知っていた)
 
彼は冷え切った黒眼をローズに据えたまま、胸中で認める。
 
(あの皇帝を創ったのは俺で、この帝国の創立に多く手を貸したのも事実)
 
通りの奥から吹いてきた透明な風が、漆黒の外套をひらめかせた。
見やれば、蒼空にそびえる白亜の城。
帝国の覇者が住まう、畏怖と恐怖の権化。
美しく、圧倒的で──しかし危うさが消えない。
 
歴史のひずみか人心のひずみか、それとも単なる上に立つ者の限界か。
脅威の覇道は長く続くことがない。砂の楼閣の如く時と共に崩れ落ち、最後の波で消滅する。
 
「責任を取れってことか」
 
「そう。私は始めにもそう言ったぞ。責任を取れ、と」
 
「言われたような気がするな」
 
RJはローズを地に降ろした。
咳き込むでもなく、怒るでもなく、彼女は静かに襟元を直す。
そして、ぱちんと指を鳴らした。
 
「……それはなんだ?」
 
「特技」
 
まるで手品だった。指を鳴らした次の瞬間、彼女の手に二振りの剣が握られていたのだ。だがもはや口をあんぐりと開けて驚くようなことはしない。
ただ、あきれるだけ。
人間外のなすことにいちいち驚いていたのは身が持たない。
 
「良い代物だとは思わぬか?」
 
ローズがふたつを鞘から抜き、陽光にかざす。
ひとつは指の先からひじくらいまでの刃をもつ中剣で、もうひとつはその半分ほどの刃である短剣。
中剣の刃は怜悧で柔らかく反っていた。無駄がなく、強い。
 
「フィーネ(全ての終わり)
 
彼女が角度を変えると、切っ先に光が反射した。
 
「?」
 
「この兄弟剣の銘だ。クラディオーラ……セレシュの祖国に伝わる名剣だぞ。三代目あたりが作らせたらしい。詳しいことは知られていないと言っていたがな、あやつは」
 
(それは……結局本当か嘘か分からないってことだろうが……)
 
気勢を削がれた形でRJはそれを受け取る。
が同時、白い人形の瞳に小さな炎が灯っているのを見た。
 
「これは契約の証」
 
彼女はRJの手に剣を預けたまま、しかし自らもそれを離そうとしない。
 
「…………」
 
未来と過去との一線が、今ここにあった。
ここを越えたら本当に後には戻れない。歴史は容赦なく進む。そして彼は、その流れのど真ん中に身を投じることになる。
後悔も誇りも、全て甘んじて受けねばならなくなる。
 
ローズがもう一度繰り返した。
 
「これは契約の証だ。受け取ったからには──いいのだな?」
 
「何を今更」
 
RJは鼻で笑う。
端正な死神の氷れる微笑。
色鮮やかな遥かなる都に咲いた一輪の黒い華。
誰も気に留めない、誰も記憶しない、そこにあってそこにない、歴史の曲がり角。
 
“仮面の殺し屋”
その時代が懐かしいと言えば懐かしい。だが、もう過去に浸る気分ではなかった。
 
彼は、帰ってきたのだ。
再び……帰ってきた。
 
 
「──帝国は滅びない。俺が保障する」
 
 
 
 
それは、誰と誰の約束だったか。
今、誰が知る。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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