White Hazard

第三章 「正義の味方」中編  ─邂逅─

 

十年前のあの日。仮面の殺し屋は、とあるひとつの仕事をした。
弱冠十七にしてすでに名の知られた暗殺者と成功していた彼にとって、それはいつもと何ら変わりない仕事だった。
小さな隣国同士の小競り合い。
その応酬の一巻として、彼はクラディオーラの皇帝、ミノラ=クロードの暗殺を請け負ったのだ。
無論、彼にとって国々の動向がどうなろうと知ったことではない。
国が滅びようが王が死のうが民が苦しもうが、関係ないのだ。
 
それはただの金払いのいい仕事だった。
 
 
 
◇◆◇◆◇
 
 
 
青白い夜半の月が眠りに落ちた世界を照らし、昼に渦巻いたあらゆる喧騒が、静かに浄化されてゆく。
そんな絵の中、黒いシルエットとなる帝城。
 
(──小さな国ってのはこうも警備が手薄なもんかね)
 
音もなく滑る烏の影があった。
街を巡回していた警備兵になりすまし、昼間のうちから城に入り込んでいた『仮面の殺し屋』RJである。
 
もちろん彼の行動は行き当たりばったりではない。
交代もなく、もう一度仕事に呼ばれることもない最終巡回の時を狙って警備兵を昏倒させた。向こうだって馬鹿ではないから四人一組で巡回していたが──場数を踏んだ暗殺者の前には片手に入る人数などハンデにはならない。
パトロンから入手した睡眠薬のおかげで、彼らは未だぐっすりおやすみ中に違いなかった。ただし、まだこの街にいるかどうかは分からない。なにせ何も考えず、その辺に止まっていた荷馬車の中に放り込んでしまったのだ。……あんな裏路地に止まっていたのだから、どう考えてもまっとうな荷馬車には思えないが……まぁ、彼らの幸運を祈ろう。
 
 
奥へと立ち並ぶ石造りの太い柱とそこから放射線状に広がるアーチ。それらが連結した骨組みの、天井高く荘厳な聖堂のような主廊。
絨毯の敷かれたそこを走りながら、彼は全く悪びれず前だけを見据えた。
いつ見つかってもいいように、警備兵制服のままではある。長かった灰色の髪は邪魔なのでばっさり切った。まわりの女は色々言ったが──結局彼にとっては仕事が一番なのだ、未練も何もあったもんじゃない。
この名とこの腕、それだけがあればいい。
それだけがあれば──上手くいく。
 
小さい国だとはいえ、ここは大陸でも有数に続く由緒正しき皇家であった。クーデターも革命も起きた事はなく、また、直系が途絶えて他から薄い血を据えることもなく……実に珍しい国だ。
国民は皆皇家を慕っている。国民は皆、皇家の紋章『白薔薇』を誇りにしている。
小さくこそならないが、大きくもならないこの国、それで国民は満足しているというのだろうか? 常に隣国から攻められ続け、経済はいつでも底にある。 国民は新しき者を求めないのだろうか?
 
 
(……そんなことはどうでもいい)
 
 
皇帝の寝所へと続くその主廊を彩る赤と青そして緋色と緑。冴えた月光が浮かび上がらせる原色のステンドグラス・高窓(クリアストーリ)。皇家の歴史を語るが如くの光絵巻。走る影を照らし出す光の帯。
そこは教会を血で濡らすような、寒気のする罪悪感が浮かんでくる城だった。
しかしあるいは──全てを聖戦と化してしまえるような城でもあった。
一歩足を踏み込む度、高く高い天井に手を伸ばして祈りを捧げたい衝動に駆られる。だが、彼に祈る事など何もない。
 
 
 
 
 
「皇帝陛下に至急お伝えせねばならないことがあります! ディネロ王国からの密使を捕らえ、ファルソ共和国と共に我が国に攻めてくるとの情報を得ました!」
 
目深にかぶった警帽。黒地に金糸の制服。妙にしっくりくるこの格好で敬礼し、RJは朗々と告げた。
王の寝所。
首を直角にそらさなければ上が見えない大きな白の扉。そしてその前で厳重に警護する兵士が右に五人、左に五人。
 
「何!? それは確かか!?」
 
「ここに奪った書状が」
 
勢いに任せてずいっと差し出す。
 
──分かっている。ここに眠っているのは皇帝ではない。皇帝はこの横の部屋……。表立っては扉のない部屋に隠されている。
しかし。
 
「……こ、これが本当だとすれば……、お前、どこで捕らえた、その者は!」
 
「そんなことを言っている場合ではありません! 外をご覧下さい!」
 
声を荒げて両手を大きく振れば、何人かがステンドグラスではない窓へと走った。
 
「ランタンの光が森に! かすかだが多いぞ!」
 
「帝都が……囲まれている!」
 
「二カ国分の軍勢がいつの間に!!」
 
窓に張り付いた彼らは、口々に慌てふためき実況中継を繰り広げた。
 
「──早く、早く皇帝陛下にお伝えせねば!」
 
(そうだ、伝えろ。皇帝陛下に伝えろ。不良どもも時にゃ使えるもんだ)
 
上官ふたりがばたばたと扉の中へと入って行った。
残りの下官は転がりながら将軍級の者へと通達に散る。
 
帽子の影。その下で鷹の黒眼が含み笑いと共に細まり、空気を切る気配もなく、その両手には無機質な銀色の刃が閃く。
そして彼は、仮面の笑みのまま強く地を蹴った。
 
 
そう。今この中で、あの上官と話している人物こそが『標的』なのだ。
 
 
 
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
 
 
 
 
 
(なんて楽な仕事だ)
 
RJは降り立ったバルコニーの隅、洒落た柱で月光の影となった闇に身を潜ませ、独りごちていた。
 
全ては瞬きするほどの時間で片がついた。
背を低くして部屋に滑り、一気に定めた喉へとダガーを一閃する。
驚愕している官を尻目に身を躍らせ、ツメに影武者も殺る。
 
一撃必殺でなければ暗殺稼業は務まらない。
彼は彼の腕を誰よりも信用していた。
標的の生死も見ずに窓を割り、夜へと身を投じる。
強引に降りたすぐ下のバルコニー。
すぐさま制服を脱いで囮と落とし、自らは昼間のうちに用意しておいた黒の外套を身にまとい──じっと闇と同化する。
 
(面白くもない)
 
上ではあの上官が落ちてゆく制服を首尾よく見つけたらしく、『下だー! 下へ行けー!』などと怒鳴っている。
 
(こんな小国ではな、暗殺に疎くても無理はあるまい)
 
目立つ白皙を隠しつつ、彼は冷ややかな眼差しのまま遠くを見やった。
大国ともなれば大変なものなのだ。
どんな大事でも上が知らぬ兵士であればきっちり身元確認をされてしまうし、部屋がやけに複雑だったり、窓がなかったり。キレる将軍、あるいは参謀官が必ず交代で付いていたり。……要するに、こんな計画は使えない。
 
「我が父を殺したか」
 
(──!?)
 
突然聞こえた声に、息が詰まった。
 
「…………」
 
視線だけを動かせば、ひとりの若い男がそこに立っていた。
無情に白い月を背中に背負い、静かにこちらを見据えている。
 
「咎めているのではない。ただ問うているのだ」
 
「……あぁ、殺った」
 
声が低くなったのは、見つかった焦燥からではなかった。
こんな状態など窮地でも何でもないのだ。仮面の殺し屋、RJにとっては。
だがその彼が──圧倒されていた。
 
「不思議か? 私がここにいるのが。確かにここは第三皇妃の部屋だったよ、田舎に帰っていて今日はいるはずのないあの女の部屋だった。数時間前までは」
 
「…………」
 
白。そこに薄い青で彩られたゆるやかな長衣。少しだけ強くなった夜風にひるがえり、闇を幻想に照らす。
年はそれほど離れていないように見えた。上だとしても、歳だけでかしこまるほどではないだろう。しかし、何かがRJと決定的に違っていたのだ。
 
「ここへ入るお前を見た。置いてあった外套も見た。だから部屋を変えた」
 
言ってしまえば──そこにある重み自体が違う。
その男は、人間の存在の持つ圧力を遥かに超えていた。
 
「捕まる気はない」
 
「待て」
 
「…………」
 
思わず身を固めてしまったのは、待たなければいけない気がしたから。
 
(名犬じゃあるまいし……)
 
多少情けなさを感じつつ、彼はバルコニーの白鉄柵にかけた手を離す。
しかし暗殺者の名にかけて、臆することなく男の蒼い双眸を見返した。
 
「名は」
 
「──RJ」
 
馬鹿だ。素直に名乗るなんて。
 
「仮面の?」
 
「あぁ」
 
(きっとこの男を殺ったとしても、どれだけ切ったとしても、白いままなんだろうな)
 
我ながら危険なつぶやきではあったが、RJはふとそう思った。
この男には、白以外あり得ない。
自分が黒以外あり得ないとの同じだ。
RJはどんなに血を浴びても、手を染めても黒いまま。その黒が、深淵に沈んでさらに濃くなってゆくだけ。
そしてこの男もまた。
剣でその身体を薙がれようが、弓で胸を射抜かれようが、この男は血に染まらない。紅の鮮血は決して彼に近づかない。
白。……白薔薇。
 
「お前は──流れに逆らうことができると思うか?」
 
男の意図は分からなかった。
だがRJは躊躇せず言い切る。
 
「できる」
 
「誰も望んでいなくとも」
 
「まずは、俺の望みだ」
 
白い男のそれこそ仮面のような顔の口元が、ふと軽く笑んだように見えた。
ほんの一瞬だけ。
 
「お前の望みは何だ?」
 
「ない」
 
「今は、だな?」
 
奇妙な念押しだった。
 
「今は、ない」
 
変化のない男の顔。この大陸中、これ以上ないと思われる銀糸の流れる髪が、風に梳かれていた。柔らかく、揺れている。
だが対峙するRJの顔にも、驚愕はおろか戸惑いの一片も浮かんではいない。
私事と仕事の顔は全くの別物。それがRJの仮面たる所以。
それは自らさえ恐怖するほどの、怜悧で非情な人間。
 
 
「望みを叶えるには力と──流れに逆らう意志がいる」
 
 
何故この男はそんなことを言うのか、まだ若きRJには理解できなかった。
いや、人の心など誰も分かりえない。
どんなに愛する者でも、どんなに近くにいた者でも、深くに漂う声は聞こえないのだ。
彼に分からずとも無理はなかった。
 
「……あんたは」
 
背負いきれるはずのない運命を引き受ける覚悟。決して手に届かぬはずのものを身を投じて掴みに行く覚悟。
そんな目をしたこの男。
そいつは言った。
 
「待っている」、と。
 
RJは返した。
 
「あんたは何者だ」、と。
 
 
 
それが彼らの邂逅だった。
原点とも言える極の邂逅。白と黒。光と闇。表と裏。
 
 
 
白の男は氷った月のような声音で静かに名乗った。
 
「皇帝、セレシュ=クロード」
 
 
 
 
 
 
 
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