White Hazard

第三章 「正義の味方」 後編

 

何段にも重ねられた灯のシャンデリアが中央にひとつ、囲むようにみっつ。ダイヤのようにカットされたガラスがこれでもかと装飾され、光は乱反射して柔らかな琥珀色に部屋を染め上げる。
ワイン色の壁には意匠を凝らした蔦や百合の金装飾がなされ、それらが取り巻く中心には皇家の紋章、白薔薇が美しい大輪を咲かせる。

そしてその部屋の中には磨きこまれた深色の樫テーブルに、これまた丁寧な彫りの樫椅子が三脚。
総レースのテーブルクロスは真っ白で、その上には所狭しと豪勢な料理が並び、あげく鼻腔をくすぐる楽しげな香りが部屋いっぱいに満ちている。

暗殺者RJとそのオマケであるカース。
彼らは……場違いだった。これでもかと言うほどに。



「──セレシュが最も恐れているのは何だと思う?」

ローズが白いソースのかかった白身魚にナイフを入れて、試すように黒の視線を上げてきた。

「あの皇帝に恐れているものがあるとは思えないがな」

居心地の悪さを振り払いながら、RJはロブスターのグラタンを引き寄せる。

それにしても……昼食というのは、こんなにも金をかけるものだっただろうか。
昼食というのは、わざわざレストランの奥一室を借りきって取るものだっただろうか。

「RJ。貴様ロクに考えてないだろう」

「普通に暮らしている一般庶民から見て、あの男に恐いものがあるなんて思うわけないだろーが。あいつが何か恐れるんだとしたら俺たちはそれに対してどうしたらいい? 泣くか? 喚くか? 狂うか?」

「一般庶民? 貴様が?」

「──デザートかっさらうぞ、お前」

「はしたない」

「宿屋一軒吹っ飛ばすお前よりはおしとやかなつもりだけどな?」

「女々しいな、まだ根に持ってるのか」

「全財産燃やされてさえ次の日全て水に流してる奴がいたら、そいつの精神の方がよっぽどどうかしてると思うぞ、俺は」

「あのですねぇー」

ナイフを突きつけあいながら罵りあうふたりを白い半眼で眺めながら、カースが右手を挙げてきた。RJはジロリと冷たい黒眼だけをそちらへ動かす。

決して派手なわけではないが、ひと目で上物と分かる純白ドレスを身にまとった娘。
背が高く、埃ひとつない漆黒の衣装をひるがえし、鋭利な筋が通った男。

対して、擦れたズボンに長袖シャツ、暗殺者を気取ってか長めのよれたスーツを羽織る……といった様相のカース。暗殺者というよりも裏路地の酒場を寝倉とする売れない探偵といった方が似合っている。
ここにいる誰よりもこの場に相応しくなく──けれど彼は臆しもしないで黙々と料理をたいらげていた。

「大人げないでしょう、兄貴……。ローズも」

彼は左手のフォークにソテーされたアスパラを突き刺したまま、言う。

「なんというか……そう、不毛、だと思うんですけど」

手下の思わぬ裏切りに、RJは目を細める。

「ほーぉ。俺はお前が“不毛”なんて言葉を知っているとは思わなかったぞ」

「ではカース」

RJの言を思いっきり隅に押しやり、どこか風穴の抜けている大真面目な顔をしたローズが空を斬る鮮やかさでナイフの切っ先を若者へと変える。

「貴様はどう思う? セレシュの恐れるものは何か、分かるか?」

「…………」

不良青年はしばし黙した。
RJはミネストローネを口に運びながら弟分を見やり、ローズは先の姿勢のままぴくりとも動かない。

「……神、とか」

控えめに出された答え。
だがRJは、ローズの顔に浮かんだ薄色の笑みにそれが正解であることを悟った。
大仰に両手を広げてシャンデリアを仰ぐ。

「あの男が神を恐れる? なんてこった。帝国史書には“神をも恐れぬ皇帝”なんて記される予定なのになァ?」

ローズがナイフとフォークを置き、少しの間を置いてから笑った。

「無論、セレシュは神の存在など信じていない。運命なんぞも信じていない。あやつは今までの人生全て自らの手で造ってきたのだからな。世界はあやつの台本どおりに動き、あやつは世界を台本どおりに動かした」

「そこがあの男の畏るべきところだな。良くも悪くも」

「だが、あやつは“神”の成す功績だけは未だ恐れている」

「神の成す功績?」

RJが胸中で発した問いを、手下が知らず口に出す。
彼はちらりとカースを見やり、そして途切れなくローズを見やる。彼女は相変らず色のない顔で機械的に口を動かしてきた。

「神の成す功績。──大きな勢力、あるいは圧倒的な支配に対して擁立される幻想の力のことだ。神の本体などどうでもいい。人々がすがり敬う何かひとつがあればいい。それは“神”と呼ばれ、人々を結束する鎖となる。神という幻に彼らは現状を打破する夢を投影し、神という幻の元に人々は正義を見るのだ」

「正義、ねぇ」

RJは淡白な嘲りを口の端に浮べる。
だがローズは、それには触れてこない。
嘲笑すらする価値もない、そう、鋭い目つきが語っていた。

「ひとつの絶対なる幻は人々の起こすあらゆる行動の根底となり──その幻を人々に伝える者は地位を得る。彼らが逆境に置かれれば置かれる程、幻の力も伝道者の力も増して行き……、究極、世界は“神”を中心とした巨大なシステムに包まれる」

「覇道で成すより確実で揺るがない支配を確立できる、わけか」

腕組んでRJが言えば、ローズが軽くうなづく。

「さよう。神は神の力ゆえにセレシュを恐れさせるのではない。その存在によって音もなく組み上がる対帝国感情・組織、そして帝国に取って代わろうとする新たな支配構造。……あやつはそれを神の功績と呼び、唯一恐れているのだ」

彼女がじっと真正面の壁を睨みつけた。
不動不滅の誓いの如く彫られた白薔薇の紋章。その薄い紅の口元には苦々しげな微笑が灯る。

「神の脅威を完璧に取り除くまでは“大陸平定”“帝国の完成”とは言えぬと、あやつはそう言っておった」



そんなことは不可能だ。
完璧など望むだけ愚かなのだ。
目指すことは決して無駄ではない。だが、完璧はあり得ない。
それが人ひとりの意志では動かぬ歴史ならば尚更、いかに強帝セレシュ=クロードといえども出来るわけがない。
世界を圧する神性があろうとも、所詮は──人間でしかないのだから。
だがあの男は、何が何でも完成させようとするだろう。

RJは知っていた。
過去一回だけの対峙だが、充分知っていた。
あの男は“やる”と言ったら、やるのだ。
出来るか出来ないかではなく、やるのだ。

自らの敵は唯、神だけであると公言するような男である。
あの男は、やる。



「RJ。貴様はネクロマンサーという類の者を知っているか?」

ローズがコロリと穏かに表情を変え、ココアのカップを手に口答試験を始めた。

「……表の顔は占星術者。裏の顔は死人使い、だな」

「ではシェーヌ=スクレート、シュヴァリエ=スクレートという名を聞いたことは?」

「ある」

彼女はその答えでは不満らしく、うんともすんとも返してこない。
仕方なく彼は、続けた。

「ネクロマンシー(占星術。死人使いの術)の領域では並ぶ者ないと称された姉弟だろう?どこの国も、彼らを恐れていた。手にすれば勝利、相手にすれば敗北。それが決まりごとだったからな。確か……弟のシュヴァリエはかつての大帝国ジャデスの第一皇女と結婚して次期皇帝の座を手に入れたが──」

「セレシュに滅ぼされた」

冷ややかというよりも、無感情なローズの断言。

「事実シュヴァリエ=スクレートはセレシュ自身が首を取った。だが、姉のシェーヌ=スクレートの居場所が大陸を平定した今でも分からない」

「それがそれ程大事なこと……かなぁ」

プディングをつっついていたカースがぼやくように声を上げる。
RJは冷涼な目を閉じ、嘆息交じりに講義した。

「一時とはいえ大陸を震撼させていたネクロマンサー。もしシェーヌ=スクレートが生きていたとして……彼女が死んだ弟を甦らせ神と擁立したら人々はどうなるだろうな?」

「とりあえず──驚く」

「……まぁ驚くのは構わんがな、問題はそこじゃない。一度死んだ者が甦って──しかも世に名高いシュヴァリエ=スクレートが“神”。シェーヌ=スクレートが腹心と名乗り悠然と世界に現れて……。
 それでだ、もし彼らが今までセレシュ軍に殺された者達を操り始めたらどうだ?
 もちろん大義名分は打倒セレシュ。恐怖政治と圧制からの自由獲得、そしてあいつに殺された兵士、滅ぼされた国の恨み晴らし」

──正義は確実に向こうにある。

「人心は、歴史は大いに傾くだろうな、あの姉弟へと。しかも奴等の屍軍には“死”が存在しない。“終わり”が存在しない。考えてみろ、そんなモノを相手にして人間軍の士気が持続すると思うか? おまけにあの男が今まで踏み倒してきた武人の数は軽く自軍の兵士数を越える」

「……自業自得……かぁ」

神妙な顔つきでつぶやくカースに、ローズがぴしゃりと言い放った。

「致命的だ。シェーヌ=スクレートを逃がしたこと、それが最強と誰もが疑わぬセレシュ=クロードの唯一にして最大の急所なのだよ」

「確かにあの皇帝は人間でありながら神の領域だ。何なんだろうな? あれは。存在そのものが違う。だからこそ今世界の頂点に君臨しているわけだし、俺はそれを不思議なことだとは思わない。あの男は、こうなるべき奴だった。……だが──」

「死から還ったネクロマンサー、無限の軍隊、自由、解放、報復、正義、畏怖への反逆。これらの言葉はセレシュ=クロードの神性を軽く上回るほどに……魅惑だ。愚かな民衆にとってはな」

死相ともつかぬ影が、からくり人形の白い顔に落ちていた。
セレシュの脅威は彼女の脅威。果ては、帝国の脅威。
何者なのか分からぬ彼女の──命を賭すただひとつの存在。

RJは大きく息をつき、わざとらしく笑殺した。

「だが、そんなに深刻になることでもないだろうに。ネクロマンサー・シェーヌ=スクレートはもう死んでいるかもしれない」

「生きている」

即答だった。

「何故分かる」

「先日セレシュはヴィエスタという街を焼いた。理由は土着神の信仰を何度警告しても公に止めなかったせいだが──、そこに屍軍が現れたのだ」

「げっ」

品のないこれはカース。

「旗の紋章はヴィエスタ王国近衛軍団のものだったそうだがな。向こう数百騎に対してこちら三千騎でようやく内密にカタをつけることに成功したという話だ。……死人を百以上一度に操れるネクロマンサーなどそうはいない」


スクレート姉弟。
彼らは暗殺者の間でも鬼門だった。挑戦者が何人いたか数知れない。そして皆返り討ちにされた。
仮面の殺し屋は国の重要人物──皇帝や王、裏の首領……その辺りの高額首しか相手にせず、渡り流離うネクロマンサーを狙う依頼など受けようはずがなかった。
しかし、あの姉弟を殺れるのは彼しかいないだろうとも、噂されていた。

世界の情勢がふたつの交戦を遠ざけ、時の流れと共に双方霧が晴れる如く舞台から消えていったのだが……。


「インペリアル・ローズ。お前の力なら、屍軍だろうが脅威のネクロマンサーだろうが一瞬で焼け野原に出来るんじゃないのか?」

優雅にコーヒーへと手を伸ばしながら問えば、ローズは心底馬鹿にしたような目つきでふっと息をついてくる。だがそれは、彼女自身への自嘲らしかった。
彼女は細い片手をシャンデリアにかざし、目を細めて眺めやる。
華奢な銀台に乗せられた小粒のサファイア、中指に飾られた指輪が輝く。

「私の力は大きいが、無限ではない」

「うん?」

「確かに私は人外に大きな力を有してはいる。だが金と同じく、無駄遣いすれば尽きるものなのだ。底がないわけではない」

無駄遣い。
皇帝セレシュ唯一の恐怖を消す事が、力の無駄遣い?

RJの疑念を感じたか、ローズが手をかざしたまま瞳の奥で暗に笑った。

「今世界には、私以上の力を持つ何かがいる」

他人の内緒事を密かにばらしてしまう時のように、悪戯めいた口調。
明らかに、楽しそうである。

「私以上の力、だ。あまりに茫洋としているから一体それが何なのかは判然としない。シェーヌ=スクレートと関係があるのかないのか、はたまた皇帝に害をなすものなのか否かさえ──分からない」

そして彼女は再び白薔薇に視線を釘刺し、手を降ろす。

「だがもしそれがこちらに牙を剥いた時、抗することができるのは私しかいない」

彼女のそれは、カラクリ人形の顔でも他人を小馬鹿にした化け物の顔でも、──美しい令嬢の顔でさえも、なかった。

「その時こそ、真に私があの不死皇帝を護る時なのだ、RJ。私はそれまで我が力を温存せねばならない」

賭博師。今まさに死地で最後の切り札を切ろうとしている──賭博師だ。
目は限りなく鋭利に見据え、口元は反対に余裕で笑んでいる。
背水の陣が楽しくてたまらない、ギリギリからしっぺ返しをしてやることが待ち遠しくてたまらない。

……不気味な化け物だ。下手な極悪人よりタチが悪い。
だったらどうして宿屋を吹ッ飛ばすなんてことに力を使った……などと問うても一笑に伏されるだけに違いない。
計算高くて力もある。おまけに、恐ろしく忠実だ。

インペリアル・ローズ。
彼女はセレシュ=クロードに死ねと言われれば死ぬだろう。世界そのものを消してしまえと言われれば、躊躇いなく実行するだろう。
言われた次瞬に世界は消えている。間違いなく。



「皇帝の暗殺か、それとも神を立てた大規模な反逆か、未来に訪れることはまだ分からぬ。だがRJ、帝国は貴様に任せるよ。セレシュがそれを望んだ限り、私は貴様を全て信じよう」

「セレシュが望んだ?」

「でも何かそれって思いっきり正義は向こうにあるような気がするんですけど……」

RJの疑問符とカースの異論とが重なった。

「どちらに正義があるかではない。どちらが生き残るか、だ」

ローズが嘲う(わらう)
ムスっと眉を寄せたカースが何事か反論していたが、RJは聞いていなかった。
老ウェイターが銀盆に一枚の折りたたまれた紙片を乗せてやってきて、彼に差し出したからである。

「黒の男へ渡してくれと頼まれました」

ぞんざいに四つ折られただけの手紙。
RJは首を折りながら広げた。
こんなところまで届けられる程、熱心に文通しているお相手なんぞ思い当たらないからだ。

が、書き殴られた大雑把な文字を一目見て、彼は眉間をつまむ。

「ガキがややこしくしやがって……」


『お兄さんへ

なんだか暗殺の情報を知りたがってたみたいだから親切なオレが教えてあげよう。
今夜イェルズ=ハティ宰相暗殺。
もちろんオレが。

じゃあな。ご老体お大事に。

                                  ディエス=ヴァーミリオン』

ローズとカース、ふたりが怪訝そうな視線をそろえて向けてくる中、RJは口端を引きつらせて世にも優しい声音で呪詛を吐く。

「あの礼儀知らず一回絞め殺してやろうか」








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