White Hazard

 第六章 「過去を語る過去 ・ 1」



自由を追う者よ。
お前を縛っているものは一体何であろうか?
何から逃れようとしている? その裳裾(もすそ)を留める(くさび)は何だと思う?
お前が……自身が閉じ込められている檻の名を知っているか?

お前が自由を求めれば求めるほど、高き所を目指せば目指すほど、お前は孤独になってゆくだろう。
その手に掴んだものが朝露に輝く白百合であっても、人々はそれを枯れ草だと言うのだ。
ようやく辿り着いたそこが天に届く頂であっても、人々はお前を見下ろすに違いない。
そして誰もお前を振り返る者はいなくなるのだよ。

世界の真なる自由へと戦いもがくお前を、誰も誉め称えはしない。
お前はやがて知るだろう。
お前の行いは人々にとって無意味なものであると。──いや、むしろ彼らにとって忌避(きひ)すべきものなのであると。
お前が自由へと近づけば近づくほど、人々は蔑み、笑う。

お前は孤独なのだ、自由を追う者よ。
人々は奥底でその自由を求めているが故に、お前を孤独たらしめる。
彼らは先駆者を許さない。
人々は自由と平等とは相容れないものであると分かっているが故に、自由への一歩を踏み出せないまま見ないふりをしている。
彼らは自分が孤独に陥ることを恐れている。

自由を追う者よ。黄金を手にしても、白鳥の翼を身にまとっても、お前は孤独なのだ。無意味なのだ。
彼らはその黄金を砂漠の砂だと嘲笑い、その白き翼は悪魔のものだと顔を背ける。


──だがしかし、自由を追う者よ。唯一その孤独を意義あるものとする方法があることを知っているだろうか?


真なる自由を見つけ、その身を沈めること。
それだけですべては報われる。私はそうお前に教えよう。
人々の思惑に屈せず、己の羞恥に折れず、孤独を恐れず、真なる自由を見つけるのだ。
そうすれば、自由を追う者よ、すべての無意味は意味を成す。
すべての孤独はお前への賛歌となる。
暗闇に閉ざされていた凍れる世界は唐突に開け、神々しい夜明けが訪れるのだ。
人々はお前の偉業を口々に称え、崇めるだろう。


ある者達は、私を死の説教者と呼ぶ。
人生を(うとみ、生きることを愚かしく思い、この大地から逃避する者だと言う賢者がいる。
私はただ、死という自由の幻想に憧れているだけなのだ、と。
だからあいつの言葉に耳を傾けてはならない。彼らはあの鷹のような目でそう言うのだ。
だが私は、それで構わない。
人とは白百合を枯れ草というものであり、高みにいる者を見下ろす生き物であるからだ。
賢者とて人間。そういうことなのだ。


自由を追う者よ。
私の後に続け。そうすれば、(おの)ずと世の暁を見ることができるであろう。



──そう、その時こそ、この大陸がお前たちの描いた自由の大地となる時なのだ。
さぁ、あの男がこの世を完全なる牢獄としてしまう前に、我らが地を解き放て!






◆  ◇  ◆  ◇  ◆






みっつの影が、広大な大地を駆けていた。
背の低いまばらな木々の間を抜け、無造作に転がる石を横目、陽光が照りつける白の大地をひたすら前へと走る。
吸い込まれそうに高く青い空には、円を描く鳥の影。

黒馬と栗毛。
ふたつの四肢が地を蹴るたびに白い砂塵が舞い、荒野に煙の線を描いてゆく。

「兄貴〜! どこまで行くんですかーっ!」

栗毛に乗った若者が後方から大声を上げてきた。

「この先に街がある! そこまでだ!」

RJが前を見据えたまま応えると、即座に疑わしげな反論が響いてくる。

「本当ですか〜〜っ!?」

「カース! 信じろッ!」

くわっと後ろを振り向いて怒鳴れば、カースが笑いながら、だって何も見えないんですもん、と笑った。

「確かに、な」

砂漠っぽい荒野というこの地だから、生き物の姿が時折視界の端を横切ることはある。
遊牧して生活する人々のテントも点々と見える。犬や、馬や、羊。そしてその羊の群れをのんびりと追う子ども達。
だが「街」を囲むはずの城壁は、帝都を出てから数時間、未だ見えなかった。

「アヴァロン、か?」

会話が途切れて数瞬、横から涼やかで平坦な声がする。

「──そういうことだ」

RJの乗る黒い馬。その横を駆けているのは、およそ通常の動物ではなかった。
頭は鷲、胴は獅子。まだ子どもだと言うが大きさは馬より大きく、翼を有し鋭い鍵爪。
ほとんどの人間が死ぬまでお目にかかることなどできないだろう、太古の生物、獰猛な妖獣グリフォンだ。今紛れもなくそれが、彼の横、地上より少し上を走っていた。
流れる黒髪の下からおどけた顔をこちらに向けている、ひとりの女を乗せて。

「ローズ、お前、行ったことあるか?」

「遊びに行ったことは、ない」

「壊しに行ったことは」

「ある」

物騒な会話だ。
帝都の宰相あたりが聞いたら憤慨して熱を出すかもしれない。

「だがこの辺はもともとクラディオーラの国土に接していたから、壊されるのが早かったのだよ。故に復興も早く、今では皇帝の直轄地だからアヴァロンは大陸有数の潤った街になった」

「……皇帝が復興させる気があったのが幸いってところだな。廃墟になった街はどれだけある? この大陸は一度地図を描き直す必要があるだろ」

半眼でRJがつぶやけば、

「まだだ」

「あん?」

「まだ描き直す時期ではない」

前方を見据えたローズがきっぱりと否定してくる。
貴族のじゃじゃ馬娘が狩りにでも行くような格好をして、しかしやはり全てを白という色でそろえ、──本気なんだか冗談なんだか区別のつかない表情をした女。

「セレシュはまだ全てを終えてはおらんよ」

だが彼女の物言いは楽しそうでもあった。
虚無を突き抜けた先にある楽観。
そして彼女は短く付け加えてきた。

「まだ街は滅びる」

「お前は皇帝と一心同体。だからあいつの考えていることが分かるってわけか?」

「…………」

RJの意地悪い揶揄(やゆ)に、彼女はただ小さく口元を吊り上げてきただけだった。
そして彼女を乗せたグリフォンが、命令されたわけでもないのに横へ退く。
会話はもう終わりだと、これ以上この男の側には置いておけないとでも言わんばかりに離れてゆく。

それを横目で見送りながら、いささか──過ぎた皮肉だったかもしれない。そう、RJは嘆息した。
砂避けのマントがばさばさと翻る中、目を細める。

(──大人げない)


RJとて、皇帝セレシュ=クロードの大陸制覇を手を叩いて誉め称えるわけではない。
あの男が起こした戦乱の中、かつて張り合った多くの同業者が死んでいった。かつて睦言(むつごと)を交わした女も、死んでいった。
戦乱は数え切れぬほどの命を大地から奪い、人々から奪い、そして代わりに虚無をもたらした。
RJでさえ何度、見知った人間の(むくろ)に白い花冠を投げただろう。
いや──常人よりも死線に近いところで生きてきたのだ、喪失の無情さと無残さは誰よりも知っている。人が死ぬということがどれだけの重みをもっているか、教会で偉そうに説教している神父なんぞよりも身をもって知っている。
だからこそ、皇帝に従えど、どこかで彼を怨んでいる。個人としてではなく、世界そのものとして。
けれど理性では分かっているのだ。
歴史の転機とはこういうものである、と。人が死ぬ、大地が怨みと嘆きで溢れる、覇者はいつでも英雄であり、同時悪である、と。


(ローズに当たっても仕方ないだろうに)

反省と同時に苦笑が漏れる。
だが、後悔の念はなかった。

咄嗟に口をついた皮肉とはいえ、意味がないわけではないのだ。
あの男──セレシュ=クロードとこのインペリアル・ローズとの強すぎる絆をいつか断たなければならないということを、RJは知っていた。
最果ての地へ墓守に行く──実質的には帝都を追放された──人外魔境インペリアル・ローズの護衛。
誰だってそんなものが必要ないことくらい分かる。
グリフォンなど持たないふたりを供にするより、彼女ひとりで蒼空を突っ切った方がどれだけ早くかの地に着くだろう。万が一彼女が何かに襲われたとして、心配すべきなのは彼女の安否ではなくその無謀な相手の生死だと、誰もが思っていることだろう。

それなのにあの男は、暗殺者RJとその手下とを彼女にくっつけた。

(……セレシュ=クロード、最大の裏切り)

荒野に浮かぶ幻影のように、あの城の一室が脳裏によみがえる。
緑色をした涼風が過ぎ行く青白い吹き抜けの間。
寒気がするほど静謐で、恐怖するほど汚れがなく。
そしてそこに立っていた孤高不興の男は、彼がこれから成すであろうその裏切りからインペリアル・ローズを守れ、と言ったのだ。

(裏切りに耐えるには、──決別しかないな)

伊達(だて)に人生を暗闇に堕としてきたわけではない。伊達に“仮面”と呼ばれたわけでもない。
RJは、非道になる方法も、自分に嘘をつく方法も、心を凍らせる方法も、分かっていた。
そうやって、暗殺者の高みにまで上りつめたのだ。

(あの男もそれは──)

「兄貴ー! やっと見えましたよーッ!」

無邪気な大歓声とでも言うべきカースの声が、思考を遮った。

「……あぁ、良かったな」

RJは口元を緩めて地平を見やる。
砂埃で霞みがかった向こう。街を囲む大きな壁が、ようやく姿を現し始めていた。蜃気楼のように、揺れている。

「今日はもうあの街に泊まるんでしょう〜? オレはもうクタクタですよー」

「ただ馬に乗ってただけだろうが」

「兄貴ほど旅慣れてないんです!」

目を凝らせば高く積まれた石壁の上から木々の緑が見え、門のまわりには駱駝(ラクダ)や馬、荷物を背負った人々などがひとつの群れとなってうごめいていた。
と。

「──雨が来る」

空中を滑るようにして前に出てきたローズが、ニヤリと笑って後方を指差してくる。
RJが示されたとおりに首をまわせば、

「げ」

どんよりと重い暗雲が反対の地平から迫っていた。輝く蒼空を刻一刻と飲み込み、魔の手の如く近づいてくる。

「お前、知ってて黙ってたな」

「貴様なら知っておろうが……砂漠めいた荒野の雨は性質が悪い。砂混じりで降ってきよるからな。雨とは名ばかりの美しき恵み、事実は頭からかぶる泥水」

「……詩的文章とミもフタもない現実を同じ一文に並べるのはやめなさい」

「急がねば取り返しのつかぬ格好になろうぞ」

注意を無視して言葉を重ねてくるローズ。
RJは忌々しげに息をつき、叫んだ。

「カース! 全速前進!」

その男の横。
これ見よがしな目をしたグリフォンが滑り抜けていった。





◆  ◇  ◆  ◇  ◆





「大きい街ですねぇ」

帝都を見慣れているカースでさえ、感嘆の声を漏らした。
しかしそれも人々の喧騒にかき消され気味だ。

「ここは西の産物が集約される商都だからな」

RJは黒馬を引き、頭上の堅牢な門を仰ぎながら言う。

「大陸の西から帝都へと流通するものは、全て一度この街、アヴァロンを通る」

「運河や港のある街は海上交通を使うが、この先にあるバステイドやモレノ、それからエスパダなんかは、皆陸上交通を使うと聞いたことがある。港に持っていって運んでもらうより、陸上を運んでこの街を通る方が安く帝都に入るのだと。アヴァロンはセレシュの直轄だから税金にも目がギラギラ光っておるしな。ここの長官は絶対に不正できん」

ローズが黒馬に揺られながら、他人事のように笑った。

「お前さん、詳しいんだな」

「私は据えられ愛でられるためにいる姫ではないからの。宰相と互角に物を言うには、これくらい知らねば」

「…………」

RJの脳裏には、いかにもキレ者な顔をした怜悧な宰相が浮かんでいた。たいして言葉を交わしたわけではないが、なんとなく人となりは想像がつく。
負けがこんでいるのはローズの方だろう。

「そういえば、グリフォンはどうしたんだよ、ローズ」

馬から降りて手綱を引いているRJ、そして優雅に乗っているローズ。ふたりを見比べてカースが首を傾げた。ローズが眉間にシワを刻む。

「お主も馬鹿よの。ハナ(←グリフォンの名前)をこんな街に入れたら大騒ぎになってしまうであろ。あの子を預けられる(うまや)だってあるわけがなし。ハナには街の外、その辺にいろと申し付けてある。女の子だからってか弱く育ててもおらぬし、呼べばすぐ来る」

「ふーん。……下僕みたいですよ、兄貴」

「ウルサイ」

軽口を叩くカースをねめつけ、RJは嘆息しながら街を見やった。
商都アヴァロン。

(二度と来る気はなかったんだがな)

見える大通りには色取り取りの露天商が並び、大声で客引きをやっている。赤や緑、黄色の果物が籠からあふれんばかり。きらきらした精巧な銀細工の露店やら、屑宝玉を見目良く整えた装飾品の露店、鮮やかな糸で織られた絨毯を所狭しと広げる輩もいて、道を開けろと怒鳴られている。
並べられた美しい竹籠の中で声良き小鳥がさえずり、大小様々な陶器の前では、目利きらしい老翁がじっと手にした皿をにらんでいる。
大きな荷物を積んだロバが行き交い、商人どうしが取り引きでもめていて、屋台からは何やら香ばしい匂いが漂う。

ここは、変わらない。
一度壊されたはずなのに、以前と同じ風景が今眼の前に広がっていた。

(変わらない。──だが、完璧には戻り得ない)

「RJ、どうした? 早く宿を決めねば雨が来てしまうであろうが。街に入ったからといって雨を逃れたわけではないよ、屋根がなければ」

「……あぁ」

RJは我知らず足を止めていたらしかった。
相変らずネジが外れたような顔で見下ろしてくるローズに応え、彼は再び馬の手綱を引いた。だが石畳を一歩踏むたびに、焦燥に似た情動が足元から湧いてくる。
肩越しに振り返った門は、黒い雨雲を背景にあの頃と変わらぬ無言で立っていた。

(戻される)

黒衣の男は唇の端を噛み、胸中で舌打ちする。

(このままだと“仮面の殺し屋”に戻される)

西への旅の定石だからといって、この街を経由したのが間違いだったか。
彼は静かに黒の双眸を険しくした。

(苦労して眠らせたはずの感覚が、──起こされる……)








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ちょこっとネタバレ
アヴァロン [Avalon] 円卓の騎士として名を馳せるアーサー王とその部下が死後運ばれたという島。



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