White Hazard

第六章 「過去を語る過去:3」

 


「オフィーリア=ウィンザー=レス=ジャデス。亡国ジャデスの第一皇女にしてネクロマンサー・シュヴァリエ=スクレートの妻」

言って、緋色の女──アルバータが肩をすくめた。

「それが私のお馬鹿なお姉さん」

「……それが?」

RJが投げやりに返せば、女は小さく笑う。

「そうよね、やっぱり貴方はそういう人間よね。全然変わってない」

「…………」

RJは己の身体が冷えてくるのを感じていた。
雨のせいかもしれない。そうでないかもしれない。

「貴方は昔のとおり、人でなしのまま」

「……それで?」

「変わってなくて良かったわ。お願いしたいコトがあるのよ」

──依頼。
RJの目に力が入った。

「報酬は」

「…………内容は訊かないの」

「選ばない」

本当は、選んでいるほど余裕がない。
だがそれは、言わない。

「さすがね。ことごとく断られてきた依頼なんだけど」

「俺に出来ないものはないな」

「…………」

アルバータが紅唇を僅かに結んだ。
彼女も第ニとはいえジャデスの皇女。酒場の踊り子のような格好をしてはいるが、彫りの深い顔立ちからもひと筋とおった鼻梁からも、普通の女ではない何かが漂う。
男たちが放っておかない、危険な香りだ。
きっと彼女は母国が滅びてからずっと、その器量を生かして華やかに裏の世界を渡ってきたのだろう。
こんな憂い顔など一度もせずに。

「報酬は──」

「金だ。それか、金に準ずる物」

「え?」

彼女が一瞬怪訝な顔をし──、

「……分かったわ」

小さくうなづいてくる。

「金貨百でどう?」

「いいだろう」

「交渉成立ね」

言って、彼女が肩に落ちた薄織布を引き上げた。
極彩色の糸で織られた高原民族の模様。かつてはジャデス東部の名産だった。
美しいそれは近隣の国々との間で高値を付けられ取り引きされ、街の娘たちを明るく彩ったものだった。
今でももちろん作られてはいる。しかし、昔ほどの繁栄はない。

「このままじゃ貴方が風邪ひくわ。場所を変えましょう」

前置き無く彼女が手を伸ばし、RJの前髪を払ってきた。
透明な飛沫がふたりの間に散る。
彼は黒曜の目を見開きかけ──、留めた。
アルバータもまた一瞬手を虚空に止め、戻す。

「もっと語るに相応しい場所があるわ」

「相応しい場所?」

「そう」

彼女が通りへと足を踏み出し、見上げた先。
雨音響く街に一際高くそびえている石造りの塔。絶やされぬ火をその内部に抱く、通称
──死者の燈火塔(ランテルヌ・デ・モール)

大戦で死した魂を慰めるための、塔。

RJに背を向けた彼女。しかしその声は、彼の耳にはっきりと聞こえた。


「もう一度、貴方が愛する私の姉さんを殺して欲しいの」






◆  ◇  ◆  ◇  ◆






「お前は私を放った」

雨がうつ宿屋の屋根。
何故か濡れない白の女が、街を見渡すようにして立っていた。

「もはや、この手を汚してならないなどとは言わせぬぞ」

その底知れぬ黒い瞳はすぐ下の通りに佇む一組の男女を捕え、

「お前は私に自由を与え、そしてあの男に託した」

つぶやく。
雨に煙る街は何も応えず、彼女の言葉を聞いているのかさえ分からない。
女はつまらなそうに視線を上げる。

「私には……結局お前が何を望んでいるのか見えんよ、セレシュ」

地上で何事か交わしていた緋色の女と黒衣の男が動いた。
女が走り、男が追いかけてゆく。
地平を臨んだまま、彼女はそれをずっと見ていた・・・・
視界には映っていない。だが、見ていた。

「お前はあの男に何かをさせたがっているのだろう? 私を守らせるだけでなく……。だから私は、この瞳を動かさずとも見ようと思えばあの男の動き全てが見える。聞こうと思えば声も、聞こえる。……だが一体何をさせたいのだ? お前はあの殺し屋に何をさせたい?」

冷たく湿った風が吹き、彼女の白装束と黒髪を揺らした。
青い硝子の髪飾りが音をたてる。

「私があの男に望むのは──お前とこの帝国を(まも)る力なのだ、セレシュ」

広げた細い両腕。
その右手には長い刃の白き刀。鞘もなく虚空から現れた破壊の象徴。

「だがおそらく、それはお前の望みとは違うのであろうな」

表情らしい表情の欠片も映していなかった彼女の顔が、わずかに(かげ)る。

「……お前の目指している未来の方向も見えず、真に何を望まれているのかも読めず、あの殺し屋をどこへ導けばいいのかも分からず、あやつの本性も過去も闇も知らず」

どれかひとつでも答えが欲しいと声に出せど、もちろん街は沈黙を守り続け。
眼下城壁を越えて彼方まで広がる大陸も、黙して語らない。
初めから答えなど期待していなかった。
だが、つのる苛立ちを内に留めておくこともできなかった。

「私はどうしたらよいのだ?」

アヴァロンという街は、皇帝セレシュ=クロードの膝元(ひざもと)で栄えに栄えている──それが人々をここに向かわせる理由だ。
重要拠点として皇帝が格別の便宜を図っている、隅から隅まで監視の目を光らせている、真偽の程はともかく、そんな噂は後を断たない。官吏達が運ばれる荷に勝手な税金をかけぬよう、盗み殺し恐喝の横行により治安が悪化せぬよう、貧富の差によるスラム街が広がらぬよう、明日をも知れぬ物乞いの子ども達が雨に打たれぬよう……、ここはまるで皇帝の箱庭のようだとさえ揶揄(やゆ)された。
アヴァロン政務長官などただの飾り物。
ここは帝都の延長線上にあり、帝都に次いで皇帝に近い場所。

「……お前の姿がどこにも見えぬ」

だが彼女には遠過ぎた。
帝都もセレシュも遠過ぎた。

「…………」

雨粒を落とす天を仰ぎ、インペリアル・ローズは軽く息を吐く。

「忌々しい。……見えるのは金ナシの暗殺者だけだとは!」

再び飄々(ひょうひょう)とした色に戻り、口を結ぶ白の女。
そして次瞬、彼女は黒衣の男が消えた方向目指して踏み込んだ。
誰も見上げる者のいない屋根の群れを駆けるのだ。
見なくとも見える、あの男の姿を追って。






◆  ◇  ◆  ◇  ◆






カースは部屋にひとり取り残され、手持ち無沙汰にもう一度、床に広げた地図をのぞいた。
古めかしいそれは、十年前、セレシュ=クロードが大陸制覇を掲げた頃のものなのだそうだ。それを表すとおり、色褪せた古紙には多数の戦術や駒の移動を示す矢印が書き込まれている。そして朱色で訂正された地図の下には、滅びた国々の境界線が黒くかすれて残っていた。

「今こんな風になってるなんて知らなかったな〜」

七つに割られた大陸図。
カースはローズにこれを見せてもらって初めて、大陸の現在を知った。

長々と歴史を紡いだ王国帝国共和国、様々な国が都市が村が灰塵と消えた今、大陸の正確な状況を知る者はあまりいないのだ。
“大陸はセレシュ=クロードによって支配されている” それは戦慄の記憶と共に誰もが知っているのだが、そこから先を知る者がいない。

──いや……。

「……兄貴は知ってたかもな」

ため息と同時に扉を見やる。
彼の師匠が出て行ってから少し経つが、未だ開きそうな気配はない。

「あの人は大抵何でも知ってる」

四六時中一緒にいてもなお、カースは彼が師と仰ぐ男──RJと同じにはなれなかった。
格が違うと言ってしまえばそれまでだが、どうにも()に落ちない。
RJがカースを邪険にしているわけでも、ワザと秘密を量産しているわけでもないのだ。訊けばほとんどのことは答えてくれるし、どうしても来るなと釘を刺されて置いていかれるようなことだってあまりない。
なのに、彼と自分との差は開いていく一方だという気がするのだ。
隣りを走っているのに、置いていかれている錯覚が眼の前をよぎる。

「憧れなんだけど」

「あんな奴、憧れるとヒドイ目に合うぜ」

「──!」

「お前ホントに何も知らないのなァ」

誰もいなかったはずの部屋に、その男はいた。
RJが座っていたベッドの同じ場所。手品の如く現れた赤いレザーコートの暗殺者は、笑いながらあぐらをかいている。

「ディエス=ヴァ−ミリオン!」

「よう」

「どこから来たんだよ!」

「窓から」

立ち上がって詰め寄るが、あっさりかわされる。
指差された窓は普通に開いていて、カーテンが寒気のする風に揺れていた。
部屋に漂う、雨の匂い。浮き足立つ心を落ち着かせてくる、大きくなった雨音。

「お前みたいな素人さんに悟られるようじゃオレも生きてけないからさァ。これくらい朝飯前よ。ところで──」

ディエスのピンピンした黒い頭が部屋をぐるりと見回す。

「お兄さんはご不在?」

「見りゃ分かるだろ!」

「分かるかよ」

心底馬鹿にしたような顔で、若い同業者が己のあごに手をやった。

「お前ホンットーに何も知らないのな、お兄さんのこと」

「なん……っ」

「あの人が本気になったら誰にも見つけられないの。悔しいけどさ、オレじゃ無理だね。今だってもしかしたらお兄さん、この部屋のどこかでオレたちを見てるかもしれないんだぜ」

「そんなわけ……」

「それがあの人なんだよ」

帝都の飲み屋では散々悪態をついていた気鋭の殺し屋が、遠い目をする。
人懐こいラピスラズリの双眸が、ここではないどこかを見ていた。

「怖い人さ。憧れるなんてことが出来ないくらいにな」

「怖い?」

ディエスの一単語がひっかかり、彼は思わず聞き返す。
カースはRJを“凄い”とは思っても“怖い”と思ったことなんてほとんどないのだ。
もちろん彼は時々シビアだが──笑うし飲むし冗談も言う。人並みに愚痴をこぼし、疲れた疲れたとげんなり顔だってする。子供っぽいくらいにムキになってみたりもする。
そりゃ一撃で標的を葬り去る技術やら、死を意に介さない強靭な精神やらを怖いと思うことがないわけではない。
しかし、かと言って彼は感情を失った冷徹漢というわけでもなく──、世間で言われているよりずっと人間っぽい人なのだ、暗殺者RJは。

「お前はお兄さんが“仮面の殺し屋”って言われてたことくらいは知ってるよな〜?」

「だから弟子になったんだろうが!」

「オレだったら絶対ならないね」

「そんなことはどうでも……」

「どうでもいいか?」

「…………」

有無を言わさない視線に、カースは言葉を繋げない。

「お前は相当甘やかされてるみたいだから教えといてやるよ」

気付けば、軽い台詞だけをベッドに残してディエス=ヴァ−ミリオンが眼の前に立っていた。

「お兄さんは、──お前を殺すのだって一瞬も躊躇(ためら)わないぜ」

冷たい光沢を放つナイフが眉間の寸前に止められている。
その持ち主も鋭い目でカースを見据えている。
単なる頭の軽い無法者たちとは一線を画す、不気味な圧力。

「“仮面の殺し屋”、それが何なのかお前は知らない。だが暗殺者は皆知ってるんだぜ。この名前は畏怖でつけられたんでも賞賛でつけられたんでもない。ただ──恐怖だけでつけられた。そのことをな」

──恐怖。

どこかで同じようなことを聞いた。
どこだったか……。

「お兄さんは完璧な暗殺者なんだ。人を捨てた代わりに伝説を手にした」

「でもそんな風には!」

「見えねぇさ。だから怖いんだろうが! 二重人格でも豹変するんでもない! あのままの人間味溢れる兄さんが誰も彼も一瞬で殺しちまうから怖いんだよ!」

怒鳴られて、カースは思い出した。
──恐怖。
その代名詞で呼ばれる男が、この大陸にはもうひとりいた。
皇帝、セレシュ=クロード。


「俺はヤだね。師匠に何の葛藤も無く殺されるのは。何の葛藤もしてもらえないってのは」

「…………」

ディエスが何故か怒っていた。
カースに対して怒っているのか、それとも別の何かに怒っているのかは、分からない。
それでも、カースは彼の語気に圧されて一歩退かざるを得なかった。
それほどにディエス=ヴァ−ミリオンは荒れていたのだ。


「あの人は人間だけど人間じゃない。だから誰もあの人に追いつけないんだよ!」








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