White Hazard

第六章 「過去を語る過去・4」

 

「…………」

「超えられない師匠を持つとロクなことにならないと思うぜ」

カースが口を結び黙っていると、ディエス=ヴァ−ミリオンが吐き捨て再び距離を取った。
カースはその場から動かない。
裏の世界に新風を吹き入れているこの派手好きな暗殺者を睨みつけたまま、彼は一歩も退かなかった。

「…………」

「俺はそれでも超えるつもりでいるけどな」

さらりと、相手が言った。

「誰かがお兄さんを超える日がきっと来る。終わりが来ないものは何一つありゃしないのさ、この世の中にはな。誰かがいつかお兄さんを超える。──その誰かは絶対に俺だ」

「……人間を辞めるつもりなのか?」

威嚇の顔を崩さないまま問えば、ディエスがフンと鼻を鳴らす。

「あの人と同じ事をしてたんじゃ、あの人を超えられるわけがなーい」

そして薄く笑ってこちらを下からのぞき込み、言った。

「だが、超える方法がないでもないわけさ」

彼は軽快な足取りで窓へ歩み寄り、枠に腰掛ける。
こちらを向いたその顔は影になってよく見えなかった。

「暗殺者が暗殺者を超える方法はひとつだけ。そして、俺は必ず超える」


雨は、降り続いていた。やむ気配もなく、永遠にやまないのではないかと思うほど均一に降っていた。
雨粒が屋根を叩く音も、路上を叩く音も、木々の葉を叩く音も、全てが一定。
時計がないこの部屋なのに、確実に時が刻まれる。
どこかにある未来へと。
方向も分からぬ次瞬へと。


「好きにしろよ」

部屋の真ん中に格好悪く立ち尽くし、カースはつぶやいた。

「超えるとか超えないとか超えられるとか超えられないとか、勝手にすりゃいいだろう」

掃除だけはしっかりされて磨きがかかっている床を凝視して、

「オレには関係ない」

つぶやく。

(──そうだ、関係ない)

そう胸中で言い直す。けれどそれはまるでディエスの言葉を無理矢理締め出しているようでもあり──。

「お前は本当の暗殺者RJを知っていて、オレは知らない。でもお前は、RJという人間のことは何一つ知らない」

「へぇ?」

(あざけ)るようなディエスの声が、ことさら大きく部屋に響いた。

「お前はRJって人間を知ってるわけ」

「少なくとも! お前よりは知ってる」

「どうだかな」

沈黙が降りた。
言葉を選ぶカースと、言葉の刺を隠そうともしないディエス。
信頼しようとする者と、超えようとする者。結局ふたりには大した違いなどないというのに、ふたりともそれには気付かない。
あたかも相反しているように睨みあっている。

信頼に足ると思うからこそ信頼したいと願う。
超える価値があると思うからこそ超えようとあがく。

ふたりとも、伝説の中にいた。暗殺者RJの、過去の栄光の中に。


「お兄さん、この帝国を護るんだって?」

「…………」

「誰も望んでないのにそんなことして何が楽しいのかね、あの人は。やっぱり殺しの味が忘れられなかったん──」

「皇帝と」

ディエスの饒舌(じょうぜつ)に口をはさんだカース。自然、語気が強まった。

「皇帝と、インペリアル・ローズは望んでる。この帝国が滅びないことを」

「……そうかい」

肩をすくめてディエスがうなづいた。

「そんなもんだろうなァ、歴史ってのは」

窓の外を見やり、その暗殺者はやけに穏かな口調で言ってくる。

「誰かと誰かが何かを望んで、歴史の流れを動かそうとする。でも、望んだとおりには流れないもんなんだよな。石ころだらけの坂道に真珠を一粒転がすようなもんか。自分ひとりの人生だって思ったとおりに流せないもんだしな」

彼の眼下には、平和な姿をした街が広がっているのだろう。
絵画のような、雨の街が。
一度壊され、そして甦ったアヴァロンの街が。

「人がいなけりゃ歴史は流れない。けれど人は、その流れに抗えない。前にお兄さんが言ってた言葉だけど、お兄さんは抗う気だったみたいだ。だから俺も抗うぜ」

黒髪が振り向き、笑う。
その笑みにあのRJと同じ死神めいた気配を感じて、カースは無意識に顔を伏せた。
が、構わず彼の声は降ってくる。

「なぁ、お兄さんに伝えておいてくれねぇか〜? “俺はアンタを超える”って。それと──“もう侵食は始まっている”ってな」

「……侵食?」

訊き返し、男を見やったカースは息を呑んだ。

「…………」

そこにはもう、誰もいなかった。
影も形も、気配もない。
黒髪も、赤いレザーコートも、ラピスラズリの鋭利な視線も、ない。

ただカーテンが揺れ、その向こうに灰色の暗雲が隙間なく空を埋めていた。
そして、雨が全てを濡らしている。

「…………」

カースは。
暗殺者RJという者を知らない。正確には、伝説の渦中にいた頃の彼を知らない。
彼は過去をあまり話したがらなかったし、カースも無理矢理聞こうとは思わなかった。
そこにその人がいるだけで充分だった。
笑って、ぼやいて、怒って、ふざけて、そういうRJという人間を見てきた。

一昨日の新聞を真剣に読んでいたり、商売屋は信用ならないと言って全財産をボロ宿に持ち込んでいたり、飲み屋の女たちからもらった派手な衣装のプレゼントを捨てられなかったり、注文したものと違う品が出てきても抗議するのが面倒くさいと言って大人しく食べていたり。

あの人は、そういう人だ。

だから考えたこともなかったのだ。
あの人が、人を殺す時のことなど。
暗殺者だということは分かっていた。前のように重要人物の暗殺は手がけなくなったとはいえ、依頼の手紙を運んだり、下見をしたり、カースだって色々と手伝った。

だが、それだけだった。
いつだって手を血に染めるのはRJだけで、彼は一度たりともその瞬間の姿を見せることはなかった。



「あー、もう!」

茶色の髪をくしゃくしゃとかきまぜ、カースはその場でうめいた。

「オレは兄貴を超えたいわけじゃないんだから、あの人が何だっていいじゃんかよ。オレの知ってる兄貴が兄貴なんだッ!」

そしてハタを手を止める。もう一度繰り返す。

「……兄貴を超えたいわけじゃない」

それだけはどこまでも明白に分かっていた。
超えたいわけではない。

だが。

(──じゃあ何がしたいんだ? オレは、あの人の傍らで何がしたくてここにいるんだ?)



若者は、ひとり部屋に立ち尽くす。






◆  ◇  ◆  ◇  ◆





焼き捨ててしまいたい過去も、すがりつきたい過去も、暖かく戻りたい過去も、全ては現在につながっている。
捨てることもできず、慰めも幻影で、戻れない。
それでも過去はそこにある。
背負わねばならず、足元にある。

過去のない者などいない。そして、誰も逃れられない。

その男は自らの栄光に関してそれを忘れていたが──、しかし彼は一度も逃げたことはなかった。
十年以上彼の深い眠りを妨げ続ける、積み重ねられた過去の呪詛。
毎夜甦る死者の記憶。

彼は、一度も逃げたことはなかった。
暗殺者が宿命として引きずらねばならぬ、“死”からは。

だが彼は……





「貴方は躊躇(ためら)いもなく姉さんを殺した」

死者の燈火塔(ランテルヌ・デ・モール)
そう呼ばれるこの建築物は、宰相イェルズ=ハティが高名な建築家に造らせたものだという。
が、ミもフタもなく言ってしまえば、ただ内部で火を焚いているだけの建物だ。
美しく緻密であることは間違いないけれど。

「貴方は姉さんを護ろうとした義兄さんも殺した」

「シュヴァリエを殺したのはセレシュ=クロードだろうが」

「建前でしょ」

ホールの真ん中に造られた祭壇で燃え盛る炎。
その橙色に照らされた女が、ぴしゃりと言った。
だが男も譲らず断言する。

「本当だ」

「…………」

「俺が受けたのはジャデス皇族親族の暗殺のみ。皇帝皇后、皇位継承者は依頼の中に入っていなかった」

「それは言い訳?」

「…………」

八つ当たりもいいところだったが、RJは押し黙る。

「貴方は姉さんを愛してた。これは本当?」

「本当だ」

「なら何でセレシュ=クロードの依頼を受けたのよ? 断ることだってできたでしょう!? 何で貴方が私たちを殺さなきゃならなかったの!」


──私たち。


「お金のため? 名声のため? それとも権力? 貴方が姉さんを裏切ったのは何故?」

アルバータの声がだんだん高くなっていった。
大きく腕を上下させて苛立たしげに歩き回る彼女は、不思議だがどこから見ても生きた人間に見えていた。
鮮やかに揺れ動く緋色の髪も、磨かれた爪も、響く靴音も、生きている。
だがそれはあり得ないのだ。あり得ない。
このアルバータ=ウィンザー=レス=ジャデスもまた、RJがその手にかけたはずの死者なのだから。


「貴方さえいなかったら私たちの帝国は滅びなかったのに」

(ジャデスだけじゃない。全ての国が滅びなかっただろうさ)

RJは心の片隅で自嘲気味に笑って、付け加える。

(何せ俺がいなければ、皇帝セレシュ=クロードそのものが存在しなかったんだからな)

義兄さん(シュヴァリエ)は姉さんを愛してた。妬けてくるくらいにね。だから義兄さんは貴方の存在を知りながら、姉さんと婚約したのよ。でも姉さんはそれほど愛されながら義兄さんを裏切り続けた。そしてその原因だった貴方は、」

「姉さんを裏切った、か」



シュヴァリエ=スクレートは、ネクロマンサーとして恐れられていた男だった。その姉シェ−ヌ=スクレートと共に。
けれどその性格は、重ねてきた名声に比べてひどく温和だったという。
死者を使い一国を陥落させれば、亡国に長く深い祈りを捧げる。そして使役した死者たちに感謝し再び大地に弔う。
声を荒げることもなく、穏かな貴族然とした物腰で人当たりもよい。
そういう男だと、聞いていた。

RJが彼とまともに対峙したのは、最初で最後ただ一回。
ジャデス陥落の前夜だった。

くすんだ銀の髪に、薄い青の帝衣。
優しいような哀しいような表情をしたその男は、夜陰に紛れて城内を滑るRJの前に不意に姿を現したのだ。
まるで待っていたかのように、回廊の影からそっと現れた。
その男がシュヴァリエだという証拠はなかったが、暗殺者の直感はそうだと告げていた。

RJの兄といっても差し支えないほどの若さで、けれどその蒼い瞳には奇妙な落ち着きがあり、なるほど大国ジャデスの次期皇帝にふさわしかったかもしれない。
平和をもたらす賢君となったかもしれない。
セレシュ=クロードではなくあの男が大陸の皇帝となっていたら──。
今更ながら、そう思うこともある。


だが、歴史は彼に天秤を傾けることはなかった。
流れは、セレシュを選んだのだ。


紫色の月光に照らされて、その男は静かに立っていた。
そこにいる。ただ、それだけの存在感で立っていた。
そしてあの時彼は──立ち止まったRJを見据えて、ぽつりとつぶやいたのだ。

“やはり、オフィーリアでも貴方を抑えることはできなかったんだね”、と。




シュヴァリエ=スクレートはオフィーリアを溺愛していた。
RJもオフィーリアを愛していた、と思う。
そしてアルバータは、オフィーリアがRJを愛していたと今でも思っている。

けれど、真実はその夜分からなくなった。
誰が誰を裏切っていたのか、分からなくなった。

ジャデスを暗殺者RJの脅威から護るため、オフィーリアが偽りの愛を持ってRJの情を動かそうとしたのかもしれない。
愛する者ならば殺しはしないだろう。愛する者の祖国ならば滅ぼすことはないだろう。
そう思われて、国ぐるみで愛の策略に出たのかもしれない。

それともただ、シュヴァリエはRJを疑心に陥れるためにその言葉を吐いたのかもしれない。
愛するオフィーリアの心から消えぬRJへの、ささやかなる復讐だったのかもしれない。

本当の愛はどこにあって、どれが策略の愛だったのか……ジャデスが滅びて数日後、RJは考えることを止めた。

セレシュ=クロードの依頼を受けたのはシュヴァリエにその言葉をかけられるずっと前だったから、それが依頼の承諾に影響を与えたということはない。
もっと別の理由があって受けたのだ、あの仕事は。
けれど、やはりどこかで疑っていたのかもしれなかった。彼女を信じていなかったのかもしれなかった。
愛しきれていなかったのかもしれなかった。

RJが彼女を裏切っていたのか。
彼女がRJを裏切っていたのか。
……始めから信頼の関係などなかったのか。
心の底から否定はできない。


(──どちらにしろ、過ぎたことだ)

もう止めたのだ、真実を探すことなど。
全ては過ぎ去った。
全ては終わった。




「俺はここに恨み言を聞きに来たわけじゃないんだがな」

子供をなだめる調子でRJが言うと、アルバータがムッと口を結んでくる。
彼は反論の閑を与えずに訊いた。

「オフィーリアをもう一度殺せと言ったな?」

「……姉さんは、ずっと前から生き返っていたのよ。蘇生術(ネクロマンシー)でね。でも不完全だからただの歩く屍状態だったわけ」

「不完全?」

「義兄さんやシェ−ヌ姉さんがやったんじゃないもの」

「それはどういう……」

言いかけた言葉は、アルバータに遮られる。

「あなたにも情があるなら姉さんをもう一度殺して。そうすればどっかの馬鹿がかけた不完全な術が解けて、今度は完全に甦ることができるのよ。義兄さんか姉さんの力によって」


と。


「それは、私からもお願いしたいですネ〜」

燈火塔の入り口で、馬鹿みたいに明るい声がした。

「!」

振り返ったと同時に、口を挟む余地のない台詞が押し寄せてくる。

「いやぁ〜、探しましたヨ、RJ。門番が見かけたって言うけれども報告が遅くてね、貴方がどの宿に行ったのかも分からないし、この雨だから目撃者もいないし……ホント困りましたヨ〜」

馴れ馴れしく近寄ってくるその男に、見覚えはなかった。
あったとしてもおそらく分からなかっただろう。
右目を中心に、藍色髪の頭は包帯でぐるぐる巻きになっているのだから。
よれた法衣の下から見える腕も、包帯巻き。
端的に言い表すなら、ひょろ長いミイラ男だ。
そんな奴は、知り合いにいない。……いて欲しくない。

「……アンタは?」

「あらぁ? ローズから聞いていませんか? まったく、あの娘もいい加減ですからネェ。私の名はアザ−=フォーマルハウト。一応アヴァロン政務長官なんぞというものをやってるんですが。ついでに──」

男は詐欺師同然の笑顔をアルバータに向けた。見えているのは顔の左半分だけだが。

「お話にあった、オフィーリア=ウィンザー=レス=ジャデスを不完全な形で甦らせたどっかの馬鹿なネクロマンサーというのも私でありまして〜。たしなみ程度にちょこっと蘇生術も使えるわけなんデス」

「なっ」

お約束のように驚くアルバータを横目に、彼はRJに向き直るとふと眼光を強めてきた。

「…………」

アヴァロン政務長官。政務の腕はどうだか知らないが、この重要拠点にセレシュが配したのだ、油断したら喰い殺されそうな蛇の目をしている。

「こちらからも正式にお願いしたいんですけどネ、RJ。オフィーリア=ウィンザー=レス=ジャデス及びその妹、アルバータ=ウィンザー=レス=ジャデスをもう一度殺して欲しいんです」

「…………」

RJはゆっくりと後ろを振り向いた。
炎をはさんだ向こう側に、アルバータが立っている。

「詳しいことはローズも交えて後でお話しますけど、RJ。もう始まっているんですヨ、ウチの陛下が“最後の大戦”と呼ぶ戦が。我々──無論貴方を含めてです──我々皇帝陛下に手を貸した者全てが逃れられない戦いですネ」

背中から、フォーマルハウトが道化の調子で言葉を紡いでいた。

「陛下率いる生者の帝国と、スクレート姉弟が率いる死者の帝国ジャデスとの、戦い。しかしこちら側には裏切り者も多くてネェ、……オフレコですが陛下が陛下ですしー? あぁ、私は忠実な部下ですよ。クラディオーラ時代からずっとお仕えしてきましたからね。えぇとそれで、そうそう裏切り者」

アルバータが口を開かないので、仕方なくRJはミイラ男に首を戻した。

藍色の髪、同じく藍色の双眸。
やんわりとした風貌に、包帯ぐるぐる。得物を帯びている様子はないが、なんとなく気配に隙がない。剣か槍かあるいは棒術か、何か体得しているに違いなかった。

その男が、こちらを見てぴらぴらと一枚の紙切れを振っている。

「まったく困ったもんですヨ、貴方が陛下側についてさえ──いや、違うナ。貴方がこちら側に付いたから、でしょう。彼は向こう側に付いたようなんですネ」

──彼。

「予告状が来たからすんごい警備にしておいたんですケド。オフィーリアさん、やっぱりさらわれちゃいました」

そしてアヴァロン政務長官殿の声と、RJの胸中の声とが重なった。

「ディエス=ヴァ−ミリオンにね」    (ディエス=ヴァ−ミリオン)

そのまま黙するRJに、やわらかな藍色の視線が突き刺さる。
それは、優しい脅迫だった。

「RJ。これは依頼ではありませんヨ。オフィーリアとアルバータ、ジャデス二皇女をすぐに葬り去ってください。命令です」


──終わったはずの過去が、再び男を蝕み始める。









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