White Hazard

第七章 「Hopeless Dawn:2」 

──人は望んだ道を造りたがる。だが、歴史は人々が望んだ道の積み重ねであるとは言い難い。

 

夜も遅く。
酒を酌み交わして騒いでいた男たちがひとりふたりとテーブルに突っ伏し、喧騒がほのかなランプの灯に溶け消えた酒場で、RJはひとりその灯を見つめていた。
煙草は香りが致命傷になるのでやらない。
彼は店の隅で琥珀色の水を傾けながら、夢と現を彷徨う。
が、音もなくその視界をひとつの影が横切った。


「……ローズ」

つぶやきは聞こえなかったのか、二階の宿部屋から降りてきたのだろう彼女は振り向くことなく出て行った。
足音ひとつない。
気配もない。
目に映らなければ、暗殺者RJでさえ気が付かなかったかもしれない。

「寝てたんじゃないのか?」

化け物が睡眠を必要とするのかどうかは定かでなかったが、RJは常識程度にそう(いぶか)しんでみる。
そして後を追った。




「何してる」

眠りの(とばり)が降りた街では、大きな声を出す必要もない。
RJは向かいの屋根へと顔を上げた。

街全体統一された美しい赤煉瓦の屋根。
彼女はその上にすっと立ち、肌寒い夜風に髪と白装を小さく揺らして、帝都の方角をじっと見つめていた。

「……ローズ」

「セレシュが泣いている」

暗くて顔はよく見えないが、いつもの如く淡々とした台詞。

「泣いている?」

「泣いている」

説明の一片さえしようともせず、彼女はオウム返しに断定してくる。
そしてあの無表情でこちらを見下ろしてきた。

「戻っては駄目かの」

「──駄目だ」

何故だと問われれば答えられないRJだった。しかし彼は言い切った。

「…………」

ローズはしばらく無言だったが、フッと笑い、

「冗談だ。分かっておる」

そのまま視線を帝都が隠れる藍色の地平へと戻した。
彼女の動きはなんだか律儀な風見鶏を連想させて、RJは思わず吹き出す。

(本気だったくせにな)

「ローズ」

「ん?」

「戻りたいか?」

「…………」

遥か彼方を見つめた姿勢は崩さずに、彼女が複雑な顔をする。
笑っているような、苦々しいような。

「私はセレシュの意志には背かぬ」

「あいつが死ぬとしてもか?」

「…………」

空けられた間は躊躇(ちゅうちょ)だったのか、それとも愚問という意味だったのか。

「……それで例えあやつが死ぬとしても、私はあやつの命には背かぬ」

「それなら迷う必要はない」

RJはきっぱりと告げた。突き放すように。
本来なら、慰めてやるべきだったのかもしれない。しかしそうは思えなかった。

暗殺者の影と孤高不屈なる生物の影。
暗雲が去った月明かりのアヴァロンに、優しい夜風が吹き抜けた。






◆  ◇  ◆  ◇  ◆






踏み出した一歩に、ようやく相手が顔をあげた。

「……フォール」

「万事アンタの思いどおりか?」

若者は何の前置きもせずに訊く。
しかし玉座に居座った相手からは余裕ぶった答えしか返って来ない。

「何事にも例外はある」

「例外?」

「お前がそういうことを訊く、ということだ」

セレシュ=クロードの声音は穏かで、皇子時代を思い出させた。
帝位に就くまでの兄は確かに明晰な男ではあったけれど、人々皆を戦慄させるような神性を見せたことはなかったのだ。
物静かで、やけに落ち着き払っている、それだけだった。
今思えば──ただその爪を隠していただけかもしれないが。

「お前が帝国の行く末を案じるようになるとは、思いもしなかった」

「帝国なんてのはどうでもいい。俺が案じてるのは世界の──人々の行く末だ。アンタはアンタ以外の者を、野望を叶えるための駒としか思ってないだろう。何をお望みかは知らないが、世界は玩具じゃない」

「帝国の行く末か、世界の行く末か。そこに違いはない」

「ある」

「まぁ……そう思いたいのならそれでいいが」

断言されたのに腹が立って理由もなしに即噛み付けば、皇帝は奇妙な笑みを浮かべてきた。莫迦(ばか)にしているというわけでもなく──しかし人を安堵させる笑みでもない。
それは真っ暗な未来を突きつけられた時のような、ひどくフォールを落ち着かなくさせる笑みだった。

「いずれ分かる」

「アンタは何を考えてる」

形の見えない不安を振り払いたくて、彼は兄の声に重ねて言った。

「アンタのやってることは支離滅裂だ。わざわざ自分を窮地に追い込んでるだろう? 運命だの偶然だのなんて言わせない。これは全部アンタが見通して仕組んだことだ。アンタは自分の周りから味方を遠ざけて、何がしたい」

「味方がいない?」

「ローズもいない、フォーマルハウトもいない、ハストラングもいない、バジレウスはカナトスなんて辺境に飛ばされて」

「だがここにはハティがいてノクティスがいてルビーがいて、お前がいる」

「────」

フォールは詰まった。

「ハティはアザ−に劣らない。ノクティスとルビー、そしてお前を合わせればハストラングとバジレウスを足して劣らないだろう。ただし、五日後にどれだけ集まるかは知らんが」

彼の兄は、玉座の愚か者を演じている。
フォールが言いたかったのは戦力のことではなかった。それよりも根本的なもの、信頼に足るか否か、だ。
忠誠の度合いを問題にしたのだ。
兄もそれは分かっているはずだった。
けれど答えは「力」で返ってきた。

──核心をかわされた。


「フォール。お前は何を望む」

若者が言葉を探しているうちに、相手が問いかけてきた。
いつかは誰かに問われるだろうと思っていた言葉だ。
誰か……兄か、ハティか。おそらく、そのどちらかに。

「──誰も悲しまない世界が欲しい」

「それは不可能だ」

「上に立つ者のせいで人々が悲しむのは耐えられないんだっ!」

口をはさんだ兄を無視して、彼は一気に言った。

「上に立つ者のせいで人々が悲しむと、その悲しみや怒りはそのまま返ってくる。アンタが世界を悲しませれば悲しませるほど、戦争で人が死ねば死ぬほど、アンタは怨まれる。大陸はどんどん消沈していく! 見ていられないんだ、それが!」

「…………」

フォールは何もかも兄に敵わない。
全ての目は彼を素通りして兄を見る。
けれどその眼差しには──ほんの一握りを除き──、必ず悪意がちらつくのだ。
畏怖の中の恐怖。
礼節の中の打倒。
服従の中の憎悪。

世界に生まれ出る負の感情全てはこの男に向けられているのではないかと思う程、世界はセレシュ=クロードにのしかかる。
本当なら、大陸を奪ったクラディオーラのクロード皇家全体に向けられるはずものが全て、その男ひとりの肩にのっていた。

例えただひとりが走ったためとは言っても、その恨みは「家」に向けられるのが今までの戦乱。だからこそ敗北を帰した王家皇家は皆処刑されることが慣例だったのだ。
しかしセレシュは圧倒的すぎて──「家」の存在など忘れさせた。
白薔薇の紋章はもはやクロード家のものではなく、あの男個人のものなのだ。

皮肉にも顔貌(かおかたち)だけは似ている年の離れた兄と弟。……異母兄弟とは思えないと誰もが言う。
しかし全ての目はフォールを素通りする。


「それを忘れるな」

唐突に皇帝がつぶやいた。

「──は?」

「その望みは、いつか必要になる」

「…………」

その時フォールはふと思ったのだ。
兄は未来のことばかり口にする、と。
そしてそれに気がついた瞬間、何故か背筋を震わす不安に襲われた。

「この帝国に、この世界に。お前の望みは必要になるだろう」

言って、セレシュはひとつ息をつき天を仰ぐように玉座へと背をあずける。
そして小さく笑った。

「ハティの望みもまた必要になるだろうな」

「……アンタの望みはどこにある」

もう一度戻って来た核心。
フォールは噛みしめるようにして訊いた。
答えは返ってこないものとはなから諦めていたが──

「私は……」

兄の蒼い、永久凍土の双眸が彼を見た。

「私の望むまま生きている」

「嘘付け。だったら何でそんなに救いのない顔をしてるんだ」

「相反する望みを持った咎だな」

自嘲気味に兄が笑いをこぼす。

「いつもいるはずのモノがいないと、風通りが良すぎて少しばかり涼しい」

「なら呼び戻せばいいだろう」

「──ならぬ」

何で、とは訊けなかった。
それを許さない厳しい断定だった。

「アレがいればこんな周りくどいことをしなくてもよいことは私だって分かっている。誰も戦場に出向くことなく、誰も死ぬことなく、我々はスクレートに……“死”に勝てるだろう。私が命じさえすればアレはすぐにシェ−ヌとシュヴァリエを探し出し、片をつけてしまう。──だがそれではならぬのだ。手元に置いておきたいのも我が望み。だがそれは許されぬ」

この人は、足元が崩れ落ちて味方と呼べる者が皆彼を裏切ったとしても、彼が現在の先に見ている望みへと向かって前に進み続けるだろう。
フォールは漠然とそう感じた。
そしてもうひとつ。

「アレとの約束を……我が最大の望みを果たすには、アレを傍に置いておくわけにはいかない。まして力を借り受けるわけにはいかないのだ」

そう言って瞳を閉ざす兄は苦々しく、けれどどこか満足げでもあった。

「──約束?」

「あぁ」

この人がこれだけ強いのは、一点の曇りなく横に立つ者がいるからなのか。
どれだけ遠い地にいようと、横にいる者が。

インペリアル・ローズは日頃から、“私はセレシュそのものだ”、と言って(はばか)らなかった。しかしそれは彼女だけのことではないのかもしれない。
この無敗の皇帝もまた、彼女の存在によってこそ今この玉座に立っていられるのではないか──?

「約束って?」

訊き直しても、兄は再び目を開き微かに笑っただけだった。

と、そこへ

「お呼びですか? 陛下」

鈴を転がす声音がした。
歌姫、ロベリア・キャプシームである。

「なっ……!」

面食らって声を失くすフォールに一礼して、彼女は横を通り過ぎて行く。
長い金色の髪を揺らして、若葉色のグラデーションがかかったドレスをまとって、優雅にけれど機械的に進み出る。

「体の具合はどうだ?」

「もう何も問題はございません」

「それは良かった」

型どおりの挨拶が交わされ、セレシュがロベリアに歌を催促する。

「──では」

彼女は余計な会話ひとつすることなく、玉座の間の中央に立ち、朗々と歌い始めた。
城館全てに響き渡ってゆく、力強く透明な歌声。

“生か死か”

問われ夜空を見上げていた者たちが、耳を澄ましていることだろう。

ラフィ・デールの言葉で綴られるその歌の意味は分からなかったが、ゆったりと語りかけるように流れる音は身体を包み、心地良く溺れさせられる。
全てを忘れてこの美しい旋律に身を沈めてしまいたくなる。

「兄上……」

フォール=クロードは怒りも忘れて顔をしかめた。

玉座の皇帝は、遥か遠くに思いを馳せるように視界を閉ざしている。
それは彫刻のように整い、絵画のように柔らかい。

もはやその男には、歌声だけしか届いていなかった。





◆  ◇  ◆  ◇  ◆





シグリッド。
それは帝都の東にある、帝領第三の都市の名前である。
アヴァロンほどの繁栄はないが、“勝利”の意を冠するこの街はそれなりに大きく、東から帝都に入る荷はほとんどここを通過する。
そう言った意味ではアヴァロンや帝都と同じ商都とも言えるがしかし、それらの都とはやや違った様相であるのがシグリッドなのだ。
高い城壁で囲まれた“都”の外には低めの壁で護られた“(むら)”という部分が数多く点在していて、邑の中には何枚かの畑があり、いくつかの家族が農業を生業として生活している。
その邑までを含めて“シグリッド”と呼ぶのだから、面積だけで言えばかなり大きな都市だということになる。もちろん、邑人の警備やら管理やらもシグリッドの管轄だ。

その執政長官という席に座っているのが──アヴァロンのアザ−=フォーマルハウトと対をなす男、ネイザー=ハストラングだった。




<ですからネ、商人にはお気をつけなさいヨ。イェルズ=ハティが動くとしたらあの切れ者のこと、帝都の獅子を使わないはずがありまセン>

そのハストラングが前にしている通信水晶からは、耳慣れた軽い声が途切れることなく続いていた。
映像は伝えられないが声だけは運ぶ貴重な魔導の産物、通信水晶。
執務の時間はとっくに過ぎた夜中であるから、私用の通信をしていても係の官吏から小言をもらうことなどないだろう。相手がアヴァロンの政務長官であれば尚更だ。

「帝都の獅子……レオ=カイザースか」

<あれだけ陛下に進言して釘刺してからアヴァロンに来たのに、陛下ってば未だに何もしていないんですヨ! 昔からよく人のこと無視してくれるお方でしたケド、今回のは致命傷になりかねないんですカラ、あなたからも言っておいてくださいヨ。レオ=カイザースをしっかり手なずけておくようにって!>

「分かった」

<ホントに分かってるんデスか〜?>

「あぁ」

ハストラングは顔が見えない相手の嘆息に、笑う。

痩身で法衣をまとっているアザ−に対し、彼は対照的に大柄で武人然とした風体。
ネイザ−=ハストラングという実直な男は、知将ではなく武将なのだ。だからこそ執政長官なんぞという地位にいても、政治の類は文官に頼りきり。その代わり、シグリッドの軍は帝国軍本体に劣らないと評判であったが。

<大陸有数の流通ルートはほぼ全てあの男の──レオ=カイザースの掌中にあると言っても過言ではないようデス。彼は表向き“護衛屋”をやっていましてネ。荷を都市から都市に運ぶ道中で、賊から商人と荷を護るための傭兵を斡旋してるんですヨ。そして摩訶不思議なことに、彼の所に護衛を頼んだ隊商はほとんど十割の確率で無事に運べマスが、護衛を頼まなかった隊商は──、これまたほぼ十割の確率で賊に襲われるんデス。不思議でショ?>

「賊もカイザースの手先だな」

<証拠はありませんがネ。まぁそんなのは序の口で、本当に手広くやっているようデスよ、あの男は。商人を見たらカイザースの息がかかっていると思っていいくらいなのデス。敵にするのはお利巧とは言えまセン>

「分かった」

<あなたが“分かった”って言っても、ちっとも分かっているように聞こえないのはどうしてでしょうネ〜>

ハストラングは大剣を手入れする手を止め、水晶に問い掛けた。

「それは莫迦にしているのか?」

<イイエ〜〜! 滅相もない!>

シグリッド長官室にアザ−の底が抜けたような声が響く。

……長官室と言っても、飾り気のないハストラングの使う部屋。葡萄酒の海みたいな絨毯も、蹴ったら足の方が壊れそうなデスク(ハストラングが蹴ればデスクの方が壊れるのは必至であるが)、そして頭痛のする書物が収められた書棚に素っ気ないランプも全ては始めからの備え付けであり、彼が後から持ち込んだものと言えば壁にずらりと並べられた刀剣、槍の類だけだ。

──文官たちからの評判はやや悪いが。なんだか殺伐としすぎているらしい。


<そういえば……>

突然相手のトーンが変わって、反射的にハストラングは水晶を見やった。
ランプの炎が映り込む、ダークブラウンの双眸。

<姫に会いましたよ。それから、“仮面の殺し屋”にも>

「西へ行かされるんだったな」

<えぇ>

声の調子で、彼がどんな顔をしているのかが分かる。
それほど長い間友人をやってきた。

<仮面の殺し屋は私が思っていたとおり──、陛下そっくりでしたヨ>

先代のミノラ=クロードに拾われる前は、ふたりで孤児をしていた。
両親は戦争で亡くしたのだ。ふたりとも。

<今はまだ道を決めかねているようでしたけどネ、人に戻るか人を捨てるか。しかしどちらにしろ行くべき道を見つけた時、あの人は誰にも屈しませんヨ、絶対デス>

「だから陛下は彼にローズを預けたんだろう」

<いえ──>

藍色のあの目が、(かげ)った。そう感じた。

<陛下は以前、陛下とシュヴァリエとRJは同じ根底を持つ者だとおっしゃっていました。そして三者は決して並び立ち得ないとも、ネ。その陛下が何よりも大事にしていた花をRJに手渡した──>

「…………」

アザ−の言わんとしていることは理解出来た。
だがそれを伝える前に、向こうからボソボソとしたつぶやきが続いてくる。

<──ハストラング。私はもともと戦い向きじゃないんですヨ。地図を広げてあーだこーだ頭を使っているのが性に合っているんデス>

「そうだろうな」

<だから……時々無性に恐ろしくなるんですヨ。私が、あなたが、陛下が、死ぬという未来の可能性が>

「それを恐れなければ、我々が生きる意味はないだろう」

ハストラングはいつものぶっきらぼうな調子のままでそう答えた。
綺麗に磨き上げられた剣身を炎にかざす。

「その恐れを現実のものとしないこと。それが我々の望みだ。──違うか?」







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