THE KEY2 THE WORLD

 第一話 【微動】…(1)   もし、世界が林檎のようなものだったとしたら



「…………」
 地下に作られた薄暗い部屋の中、男は椅子に身体を預けデスクに両脚をのせ、手にした紙束に目を通していた。
 左から右へ淡々と文字を狩ってゆく鋭角の双眸。

『高価買い取り! あなたの魔剣売りませんか? 今なら無料査定中!! 出張買い取りもOK♪』
『魔剣リサイクル☆ あなたの魔剣があの名剣に生まれ変わる!? 別途料金でお好きな剣匠・刀匠の名前を入れられマス』
『この魔剣の所有者は地獄に落ちる! リストはこちら! 該当の方は今すぐこちらへ!』
『魔剣研ぎます磨きます。普通の鍛冶屋では心配! そんな声にお応えして、魔剣専門店始めました。信頼と安心の冬眠堂』
『魔剣お預りします。高価な魔剣の保管、お宅の金庫で大丈夫ですか? 王都並み厳重保管保証。専属メンテナンス係一名付』
『それは本当に魔剣? もしかしたら悪霊が憑いているだけかも! 単なる贋作かも! 現在春期キャンペーン中、鑑定、お祓い、どちらも70%オフ!!』

「…………」
 彼はため息もつかずに紙束を放り出した。紙はデスクの上を滑り、止まりきれなかった数枚が向こう側に落ちていく。
「……裏が白い。メモ用紙にするか」
 散らばったゴミを拾おうとすらせず、灰色の天井を仰ぎ男は独りごちた。
 黒のツンツン頭、目つきが悪くあごのとがった鋭利な顔、耳元ではオニキスが揺れ、身を包むのは影を織ったクローク。そして腰には二本の剣。
 親からもらった名前はフェンネル=バレリー。
 彼がそのままボーッとしていると、
「──バレリー」
ふいに扉が叩かれた。
「……何だ?」
 緩慢に視線を降ろして応えると、間を置かず扉が開く。
 組んだ脚の向こう側に見えたのは、黒の高級スーツが嫌味なくらい板に付いている、ひとりの青年だった。フェンネルよりも若く、フェンネルよりも背が高い。全体の線は繊細だが、薄い眼鏡をのせた顔の造りは強気だ。
 見かけで判断すれば、やり手の賭博屋支配人か公式な数には入っていない社長秘書。だが暴力沙汰にも平然と乗り込んでいける力の持ち主ではある。

「キサカ。何か用か?」
 フェンネルは青年の来訪に、ほんの少しだけ眉を寄せた。
 キサカは彼の部下だ。もう少し一般受けする言い方に直せば、一番弟子だ。剣術と体術と魔導の。
「上の郵便受けに……」
 戸口のキサカが言いかけて言葉をしぼませた。青年の目は床に散乱した紙に落とされている。青年の手はカラフルなチラシを大量に掴んでいる。
「……いえ、もう入りきらない状態になっていたものですからお持ちしたんですが……すでに第一波が届いた後でしたか」
 苦笑混じりのため息を洩らし、キサカが両眼の間に指をかざして眼鏡を上げた。剃刀めいた目の奥がキラリと光る。
「言ってもよろしいですか?」
 苦言を呈する前に眼鏡をいじるのは、この青年のクセだ。
 身構えながら訊き返す。
「あん?」
「このところ多くありませんか? この変な勧誘」
「多いなんてもんじゃねぇよ」
 フェンネルは乾いた笑い声を上げた。
「こんなチラシなんざ序の口だ。外を歩いてると三歩歩くごとに怪しい奴に絡まれるんだよ。“お兄さん魔剣売りませんか?”、“そこのお兄サン、ローヤルゼリーのアクリョーに憑かれてマース。その魔剣が原因ネ”、“お願いです、この子のミルクを買うためにそのお腰の剣をめぐんでください”だって。よくもまぁあれだけ色々台本があるもんだ」
「……笑い事ではありません」
 スネたように、キサカが怖い顔をしてくる。
 クールを気取りたがるわりには、クルクルとよく表情が変わる青年だ。
「そんなこと言われたってな」
 フェンネルは彼から視線を外し、かろうじてデスクに踏みとどまっていた一枚のチラシに目を落とす。そして腕を伸ばしてつまみあげた。

 確かに最近、この手の勧誘が薄気味悪い程増えていた。チラシは朝夕を問わずゴッソリ郵便受けに突っ込まれているし(というかはみ出して山になっている)、道を歩けばとっかえひっかえネタを変え、見知らぬ輩につきまとわれる。
 だがそれだけのことなら、キサカが眉を吊り上げることもない。
 問題は、それらのすべてが“魔剣”絡みだということだ。
 ミもフタもなく暴露してしまえば、フェンネル=バレリーは札付きの魔剣を持っている。と言っても、「いくら斬っても刃こぼれが起きない」とか、「火竜の息吹が剣身を覆う」とか、そんな風流な魔剣ではない。彼が持っているのは、相手の血を飲み、所有者の意志と命を喰うという、トンデモ魔剣だ。けれどそのことを知っている者は少ない。王都でさえその魔剣の行方を血眼になって捜しているところで、彼が持ち主だとは知らない。
 それなのに、この連日の攻勢。イマイチ危機感の薄い迫られ方だが、フェンネル=バレリーが魔剣所持者だと知っている何者かが、その線から何かしようとしたがっていることは明らかだ。

「…………」
 センスのない色が踊る紙の上、やたらとポップな紫色の“魔剣”という文字を凝視していると、
「バレリー。“スヴェル=エヴァンズ”という名前に聞き覚えはおありですか?」
突然青年が話題を変えてきた。
「大いにある」
 フェンネルは表情を変えずに即答する。
「その男が我々に接触してきました。貴方とお話がしたいそうです。今夜、北通りの“ネムノ木”で待っていると伝言がありました」
「…………」

──スヴェル=エヴァンズ。

 懐かしい名前だ。埃に埋もれるほど昔に呼んだ名前ではないはずだったが、遥か遠くに置いてきた気がする。現に、“懐かしい”と思うほど色褪せているのだ。
「行かれますか?」
 キサカが尋ねてきた。
「行く」
「貴方が?」
「そうだ」
「ですが──」
 “代理を立てておけ”そう言わない限りキサカが異を唱えてくるのは、もはや分かりきっていることだ。
 この青年には、フェンネルに近付く者すべてが“魔剣を狙う者”、あるいは“フェンネル=バレリーを狙う者”に感じられるのだろう。
「スヴェルってのは、学生時代の仲間さ」
 途中で放棄した学生時代。やけに空疎(くうそ) な響きなのは何故だろう。
「酒が全く飲めネェ奴でな」
「……そうですか」
 まだ納得してはいないキサカの不満顔。本当に顔に出る奴だ。
「もし相手がスヴェルを(かた) った刺客だとしても、そう簡単に首を取られるような俺じゃない。お前も分かってるだろ」
「……そうですね。そうでなきゃここにはいられませんよね」
「他に用事は?」
「いいえ。──失礼しました」
 派手なチラシを掴んだまま、青年が背を向ける。そのまま出て行くかと思いきや、
「その人の持ってきた話って何でしょう」
立ち止まって肩越しに言ってくる。
「まだ聞いてもいないのに知るか」
「この街から出て行くんですか?」
「知らねぇよ。場合によるだろうが」
「貴方は出て行く」
 キサカが身体ごとこちらを向いた。
「そんな気がします」
 青年の口元が笑っている。
「…………」
 フェンネルは自分のつま先の延長線上にある彼の顔を見据えた。
 何を返して欲しいんだ、このガキは。
 後継者はお前だと言えって? それとも出て行かないという確約をしろと?
 だがキサカが続けた言葉は、そのどれでもなかった。
「ただ安穏と魔剣に殺されるなんて、貴方には似合いませんよ」
「…………」

──若造が、言ってくれる。

「安穏としてるつもりはないんだがなァ」
 言葉に苦味が混じる。
 男はデスクから脚を下ろし、組んだ腕を解いて肘掛けに置いた。


 “テフラ”
 その単語にどんな由緒正しい意味があるのかは誰も知らないが、それでも街の名前はテフラと言った。どうしようもなく治安の悪い街だ。外の人間だけでなく住んでいる本人たちもうなずくのだから、言い切っても差し支えないだろう。
 そしてフェンネル=バレリーは、今、この街の闇の部分を牛耳っていた。
 一年半前にバレリーがこの街に流れ着き、剣の腕を買われて色々な派閥のお偉いサンを護衛したのが始まり。元々他人より回りのいい頭だ。半回転ほどさせて彼があちこちに軽く助言をすれば、微妙な緊張を持って縄張り争いは回避され、利潤はギリギリの妥協点で保証された。
 そうして、ほどなくテフラに存在する総ての裏組織が彼の名を知ることになった。
 彼がどこの派閥にも属さなかったこと、彼のもたらす利益が損失よりも大きかったこと、刺客がことごとく返り討ちにあったことなどが重なり、彼はテフラの舵取り役として暗黙のうちに了解され今に至る。
 事務所は街の南外れにある建物の地下(つまりココ)。一階から上には近所の不良どもが集められ、強制的に魔導教室が行なわれている。

 このテフラ。地理的には、世界を総べる王都からは遠く、王都が水面下で問題視する魔導都市レーテルには近い。とはいえ、レーテルは今のところ王都と陣取り合戦をする気はないらしく、この街を取り込もうだとか自分たちの味方にしておこうという動きはない。つまり、レーテルからは何の恩恵もない。
 王都がレーテルに眉をひそめる理由も、大きな魔導学校が中心にあるため魔導師が集まっている──つまり王都が看過できない大きさの“力”が集まっている──というものであり、反逆や独立だのといった疲れる理由はまだそれほど大きくない。
 それに、もしレーテルが王都に反旗を翻すとしても、その時は周辺の都市など巻き込まず単独でやるはずだ、王都はそう思っている。
 そしてきっとそのとおりだ。
 王都の騎士とレーテルの魔導師のプライドというものは似通っていて、どちらも相当な意地っ張りだ。付ける薬はない。
 そして一方その王都だが、そうは言っても、もし陣取り合戦が始まった場合、テフラが富んでいることはレーテルに有利に働くと計算しているらしい。テフラの存在は公式な政治の場に置いてほとんど無視されていて、多少の予算をまわし、数人の国家警察官を派遣してくるだけだ。ここ数十年、テフラで国家的な公共事業が行なわれた形跡はない。
 それでもここに人が住んでいるのは、その無視されっぷりが利点と変わる商売があるからだ。
 いわゆる、非合法な商売。
 だから治安が悪くなり裏組織が力を持つ。悪循環だ。
 麻薬に武器(魔剣)の密売、人身売買、売春、盗品売買、高利貸し、賭博、殺し請負、……王律(法律)に触れることなら何でもやっている。懸賞金のかけられている犯罪者がごろごろしていて、けれどどこかの派閥に属していれば通報されることはない。上から保護してもらえるのだ。しかもたとえ通報されたとしても警察官は動かない。ひとり調べれば数珠繋ぎに調べなくてはならなくなるし、そうしているうちに自分の命が露と消えているだろうからだ。
 世界で起こる犯罪の七割がテフラと絡んでいるのだと、ササヤカに警鐘を鳴らしている学者もいるという。
 “テフラに住んでいる子どもは、まず自分のものを() られないようにすることを覚えて、次に他人のものを盗ることを覚えるんだって”
 王都にはそんな噂まである。しかしあながち間違ってはいない。
 やられたくなきゃやれ。親も子もない。愛も友情もない。
 確かに、それがテフラの不文律だ。

 そんな街の釣り合いを取っていくのは、そう簡単なことではない。フェンネルでさえ押さえるのに一年かかった。
 だが。


「貴方は一生僕らの保父さんやってるつもりですか? それで最期はこの地下で自分の魔剣に喰われてめでたしめでたしですか?」
「お前そういうのを“恩を仇で返す”って言うんだよ。路頭に迷ってたお前らを拾ってやった俺を追い出す気かコラ」
「そんなつもりは全然」
 そう言って笑う青年の顔は、いつものしかめっ面よりずっと年相応だ。人間はとんでもなく頭の悪い生き物だから、あまりに笑わないと笑い方すら忘れてしまう。
 だからなのかもしれない。普段笑わない奴が笑うと妙に安堵するのは。
「でも出て行くにはいい機会だと思うんですよ、僕は」
 彼はそんな台詞を残して今度こそ退出して行った。
「──扉はちゃんと閉める!」
 フェンネルは叫んだ。しかし勢い足らず小指一本分開いている扉が閉め直される気配はなかった。
「ったく」
 舌打ちをして立ち上がる。と、触れ合った二振りの剣が腰元で鳴った。
「…………」
 ひとつは普通の剣。ひとつは銀を上塗りした魔剣。
 彼は見下ろしたまま、動きを止めた。
「…………」
 デスクの上に置かれたランタンの炎もじっと息を潜めている。
 窓のない閉塞感溢れる部屋の中で、彼はじっと自分の影を見つめていた。

 いつからだろう。何かに追い立てられるような気分に悩まされるようになったのは。見えない期限に怯えるようになったのは。
 この漠然とした焦燥故に、レーテルの魔導学校も辞めたのだ。あの守られた牙城の中で安穏としているわけにはいかないという自己脅迫があった。
 魔剣への怖れじゃない。もっと見えない、もっと根源的な、もっと大きな……。

 彼は、柔らかな琥珀色の光に浮かび上がる自分の手に視線を落とし、ゆっくりと握った。

 何をしたいのか分からない。何をすればいいのか分からない。だが何かをしなければいけない気はする。それが今の仕事でないことだけは確かだ。

 麻薬をひったくり逃げていたキサカをたまたま捕まえた。そうしなきゃ生きてもいかれない奴らがうようよしていることを知った。だから奴らがまっとうに生きられる場所を作ってやって、自分の持っている魔導や剣の技術を教えてやろうと思った。それを実行するには噛み付いてくる腐った連中の首根っこを押さえて黙らせるしかなかった。
 全部遂行してみたらこういう結果になっていた。
 それだけのことだ。

 何かが足りない。世界が空虚だ。未来には今日の次という意味しかないように思えてくる。何をやっても、未来の自分が見えない。未来が視えない。
 まるで思春期のガキみたいなつぶやきだ。
 しかし子どもと大人との境にあった倦怠な嘆きとは圧倒的に規模が違う。何から何まで敵にして、あらゆる暗澹(あんたん) を剣で斬り裂こうとしていたあの頃とは違う。
 世の中の人間と真正面を向いて話せるくらいの度胸はついたし、大声で口論できるくらいの鋼は背骨に通した。はずだ。
 それなのに、独りになるたび──この部屋にいてもだ──突然岩と砂だらけの荒野に放り出されたようなどうしようもない無力感に襲われる。周りには誰もいない。見渡す限り何も無い。
 いっそのことここで大の字になって寝転んで、風化するにまかせて砂にでもなっとくか……そんな戯言を思ってその荒野に腰を下ろそうとすると、いつでも決まって声が聞こえてくる。
 荒野のどこかで、誰かが泣いているのだ。
 しかしいつでもそれは途中から罵声に変わる。ものすごい勢いで怒り始める。その勘気で乾いた大気全体がびりびりと震える。頬が痛い。

──何をそんなに怒ってるんだよ。

 そう言ってやりたくて再び背筋を伸ばすと、途端に世界は静まる。
 彼は寒々しい荒野にひとり残される。
 無力感と焦燥感だけが友達だ。我ながら、情けない。

「…………」
 フェンネルはデスクの上に置かれていた王都の土産物を手にとった。ガラス玉の中にはやけに細かく作りこまれた王城が建っていて、ひっくり返すと水の動きに任せて白い雪が舞う。雪がちらちらと光を反射して輝く。

「出て行く機会だってよ。ガキが」
 キサカには分からないと行ったが、スヴェル=エヴァンズが持ち込む用件くらい見当がついていた。
 レーテルと王都のことに決まっている。
 フェンネルが在籍していた頃から王都はなんとかレーテル魔導学校を自分たちの直轄にしたいと仕掛けてきていたし、対する魔導学校理事長のディネロ=シザースはその攻撃をあの手この手ですり抜けていた。
 だが一年半ほど前。ちょうどフェンネルがここに居座り始めた頃だ。
 レーテルが切り札にしようとしていた男があっけなく王都側についた。
 それがすべてだった。
 均衡が崩れたのだ。
 そして当時慌ててやってきたエヴァンズは(まだキサカを部下にはしていなかった)、友達でしょと言いながら王都の高官十数名を再起不能にしてくれなんて無茶苦茶なことを頼んできたのだ。
 大罪人になって追い回される人生を選ぶほど余生短くはなかったので断ったが。

「出て行くどころか、ココから出て行かれなくなるような話を持ってきやがるんだ、アイツは」
 笑い、ふと力を抜いた彼の手からガラス玉が落ちた。
 しかし落下点が毛足の長い絨毯だったこともあってか、幸い割れずに済んだ。
 重い音を立てた後、義務感を前面に押し出して面倒くさそうに転がるガラス玉。

「…………」
 見ていてふと林檎(リンゴ) を連想した。
 何故かは知らない。
 ただ、浮かんだだけだ。
 樹から落ち、緑の雑草に覆われた大地に転がる赤い林檎。
 そんな映像の中に、突然どこからともなく新たな言葉が流れ込んでくる。

── もし、世界が林檎のようなものだとしたら。枝を伸ばしたリンゴの樹になるたくさんの実のうちのひとつに過ぎないのだとしたら。自重に引かれ大地に惹かれ樹から落ちた林檎は──世界は、どうなるのだろう。

「って、メランコリーな乙女か俺は!」

 自分で自分にツッコミを入れ、男は思いっきりガラス玉を蹴っ飛ばした。
 くだらない言葉遊びを吹っ切るように。
 そして次瞬、彼は身体を反転させながら抜剣する。
 剣光一閃。
 ガラス玉が砕けた重い音と、刃のぶつかる鈍い音はほぼ同時。
『…………』
 フェンネル=バレリーの剣は、標的の眼前で止められていた。
 デスクの上に片膝で降り立った女がかざした、短剣に。
 肩より上で切りそろえられた黒髪、職業はドロボーだと主張しているタイトな黒装束、やや小柄な身体には酷なんじゃないかと思うほどの長刀を背負っている。
『…………』
 互いに、しばしの沈黙。
 しかし、人生、女と無言で睨みあっていていいことがあった試しがない。
 とりあえず彼は言った。
「おネェさん、受付通った?」





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