THE KEY2 THE WORLD

 第一話 【微動】…(3)   おはよう、コンキスタドール



 もうこの魔剣を抜くのはやめようと何度誓っても、誓うべき相手のいない誓いは紙を引き裂くよりも簡単に破ってしまう。

「しかしフェンネル会長その剣は──」
 マグダレーナの鋭い制止が終わる前。
 フェンネルは腰を落として腕を振り切り魔の紅刃を鞘から解き放った。
 黄昏の世界よりも鮮やかな緋色が空を裂き──
「──!?」
刹那、彼の視界は真っ暗闇に落ちた。
「な!?」
 いや、失われているのは視界だけではない。剣を握っている感覚さえなかった。つまり触覚もない。
 まるで精神だけを純度の高い闇の中へ放り込まれたかの如く、思考以外が黒く塗り潰されている。
 しかし、
<──!>
<△#◆¢☆!!>
どうやら聴覚だけは残されているようで、遥か遠く頭上から人の悲鳴に似た振動を感じた。
 声にしては(いびつ)、けれど音と片付けるには痛過ぎる振動。空気を渡る波。
 彼は上を仰ぎ言葉として聞き取ろうとしたが、ソレはすぐにかき消えてしまった。
 結局、それが生命の断末魔だったのだと分かったのは、静寂の中、レーテルの魔導師たちの困惑しきったつぶやきがぽつりぽつりと降ってきてからだ。
「バレリー。貴方は、人を殺せるんですね……」
「貴方でさえもう……、その魔剣を抑えられなくなっているのですか?」
──殺したのか。
 脳裏に描いた酒場に、白目を剥いた死体が幾つも転がっている。古書の挿絵のように、白黒で、臭いもなく、淡々と広がる光景。
 剣を持った男は誰よりも正気な顔をして、それを遠巻きにする二人の魔導師は椅子や机に手をかけどうにか身体を支え。
 ……そのことに驚愕も絶望もなかった。
 彼だってテフラの住民なのだ、手を血に染めなかったわけじゃない。
 こんなワケの分からない状況でレーテルのふたりを殺さなかっただけ随分マシだ。……そう思っていた。
 幾度となく、そんな夢を見たことがあるからかもしれない。気が付けば、世界に独りだけになっている夢。命という命を、手に掛ける夢。

「フェンネル会──」
「オレは昔から、抑えられてなんてないんだよ」
 不穏な空気を振り払うように、知らない声がした。若い男の、すねたような口調。
「血が足りないうちは、どうせ出てこられなかったんだ」
「……バレリー?」
 そうか。
 彼は気付いて闇の中で手を打った。
 これは知らない声なんかじゃない。この美声は俺の声だ。自分の意志の管轄外で、自分がしゃべっている。
 自分でも驚くほど冷静に、彼は理解した。そして受け入れた。というか受け入れるしかなかった。
 身体を、誰かにのっとられたのだということを。
 だが訪れた大ピンチに悲劇のヒーローを演じる間もなく、自分ではない自分はしゃべり続けている。
「オレの力どうこうの話じゃない、世界の法則なんだ。どんなにスゴイ奴が持ってたって、来るべき時が来ればオレは身体を手に入れる。どんな弱っちい奴が持ってたって、その時がこなきゃオレはじっと待ってる。オレの力でも意志でもなく、世界の法則だ」
「世界の法則?」
 割って入り繰り返したのはマグダレーナ。彼女は、元上司の唐突かつ意味不明な言葉にも、どうしたのだと言って騒ぎはしなかった。清流に落ちた木の葉の如く、流れに乗る。
「そうさ、世界の法則さ」
 男は、自分が一番初めにこのフレーズを発見したのだとでも言いたげに、もう一度言った。
「善でも、悪でもない。罰でも救いでもない。意志でも奇跡でもない。種があって、雨が降って、芽が出た。それだけのことなんだ」
「種は、どこからきたのですか?」
「樹は、それを知っていると思うか?」
「……いいえ」
 マグダレーナがわざとらしく語尾を上げる。
 同時に、フェンネルの頭にはひとつの仮説が出来上がっていた。

──この男は。

「お嬢さんのお名前がマグダレーナ=ミリオン。君がスヴェル=エヴァンズ。合ってる?」
 ふたりはうなずくか何かしたのだろう、男が声を立てて陽気に笑う。
「良かった。いつも聞いてるだけだったけど、案外分かるもんだね。彼のところはひっきりなしに人が来るから、名前を覚えるだけでも大変で大変で」
「私たちは、貴方のお名前を聞いていません」
 おそらく、頭のきれるマグダレーナも感付いているはずだ。
 目の前の男が誰なのか。
 異様に軽いフェンネル=バレリーが何者なのか。
「キレイな人にそんな怖い顔で睨まれると傷つくな」
 軽快な靴音、椅子を引く音、腰掛ける衣擦れの音。
 フェンネルと同じ顔をした男が、一呼吸置いて新たな名を名乗る。
「オレが呼ばれ続けた名前はコンキスタドール。本当の名前は、まだ思い出せない」

仮説1:魔剣は血を呑み力を蓄え、臨界に至れば一個の自我として覚醒する。
仮説2:その意識は、覚醒時の魔剣所有者の意識に代わる形で具現化する。

それゆえに銘は主を殺す剣──征服者(コンキスタドール)

「で、物は相談」
 魔剣を名乗る男が身を乗り出す。フェンネル=バレリーの斜めな顔で、にっこり。
「世界を救いに行かない?」



「テフラがバレリーを売った」
「知っています」
 騒ぎが起きているだろう酒場とは遠く離れた街の路地。
 長刀を背負った女が屋根の上にあぐらをかき、街灯もない月明かりだけの十字路にはダークスーツに身を包んだ若い男が立っている。
「ここは“一番弟子”のお前が颯爽(さっそう)と助けに入るのが自然ではないか?」
「……分かってます。しかし、」
 男は死んだように灯の消えた街を見据えたまま、逆接を口にした。
「それが必要ですか?」
「生かしておく必要があるかという意味か?」
「そうです、エイリン」
 男が見上げた屋根の上。小さなシルエットの向こうに、淀んだ藍色の夜空が広がっている。二年前に見上げた、星降る空はどこにいったのか。
「テフラを(しず)めた彼の手腕は認めます。しかし彼は鎮めただけです。そうなるシステムを作っただけです」
 そのシステムだって、王都の小さな横槍ひとつで(もろ)く崩れ去った。誰も彼もが我先にと獲物を取り合い殺し合いが始まる。舵取り役だろうが何だろうが目の色を変えて殺しに行く。
 さっきまで尊敬語を使って平身低頭していたことなんて、忘れる。
 システムなんて、意味はなくなる。
 所詮は金だ。欲の飢えだ。
「彼は──」
「何もフェンネル=バレリーに固執する必要はない」
 星の代わりに降ってきたエイリンの声はしなやかな鋼の如く。
「あいつが消えた方がむしろコンキスタドールは手に入れやすくなるかもしれないし──、我々が必要なのは、今の不可解な世界情勢を解明し“答えに辿(たど)り着ける者”だ。それがフェンネル=バレリーだろうがディネロ=シザースだろうがシャロン=ストーンだろうが、大した違いはない」
 彼女の黒曜が、夜の中で光った。
「お前の好きにしろ、キサカ」
 そして女の姿は溶け消える。
 残された若者はただひとり、十字路の真ん中で立ち尽くす。
 前か後ろか右か左か。
 ゴールを探して考える。



「世界を、救う?」
 喰い付いたバカはスヴェルだ。
「そう。世界を壊そうとしている奴がいるんだよ。それを止めに行く」
「どこへ?」
「どこかへ」
「…………」
 会話が途切れた。
「……仕方ないだろ。オレが知ってるのは、どっかの誰かが世界を壊そうとしていて、オレはそれを止めなきゃならないってことだけなんだから」
「貴方は何故それを知っているのですか」
 マグダレーナの鋭い問いに、
「何故かってそりゃ──……」
 コンキスタドールが勢いよく続けようとして言葉を詰まらせた。そしてその()を無理矢理振り切って声のトーンを上げる。
「元々知ってるんだよ! 蝶は飛び方を教えてもらうか? 人は息の仕方を教えてもらうか? それと同じだよ。記憶に刻まれてるんだ、逃れられない」
 陰鬱で、狂信的な断定。
「広がる大地は砂上の楼閣。法則の亀裂は世界の終わり。壊れて生まれて再生する。それが世界の理」
「それも貴方の記憶ですか?」
「さぁ、どうだろうね。僕の記憶なのか、バレリーの記憶なのか、他の誰かの記憶なのか。存在自体があやふやなオレにはそれを判断することはできない」
「……それを信じろと?」
「そんなこと言ってない。信じても信じなくてもいいから付き合ってみないかって言ってるだけさ。別に断ったっていいんだ。オレは一人でも行くから」
 強がりには聞こえなかった。
「探せ、そして帰れ、世界の狭間、風の生まれる場所から」
 男が歌った。
 フレーズごと、指先でテーブルを叩きながら。
「帰れ?」
「意味は知らない。それがどこなのかも知らない。だから、探す」
「現実的ではありません」
「止めなきゃならないんだ。絶対に」
「…………」
 訴えるというより独り言に近いコンキスタドールのつぶやきに、マグダレーナが押し黙った。
「絶対に、絶対にだ」
 脅迫観念にとりつかれたように繰り返す魔剣。
「早く、帰らなきゃならない」
「……そうですね」
 マグダレーナが珍しく優しい声を出した。
「貴方はまるで、迷子の子供のようです。早く母上のもとへ帰らないと怒られる、だけど母上がどこにいるのか分からない。もどかしくて叫びだす一歩手前」
「──え?」
 コツコツと(みやび)な彼女の靴音が安酒場に反響する。
「コンキスタドール」
「何だよ」
 金髪美女に名前を呼ばれ、男が彼女を仰ぐ。
「御機嫌よう」
「?」
「──必殺、秘中!」
「ゲッ!」
 マグダレーナの短い気合とコンキスタドールのひしゃげた悲鳴を聞いた瞬間、重い衝撃がフェンネルの意識を直撃した。
 どさりと男の身体が床に崩れる音が聞こえる。
「あ、電撃成功」
 どうやら油断したコンキスタドールは至近距離から魔導を喰らったらしい。
(あのツンケン女、俺の身体に何してくれる! 必殺って何だ、必殺って!)
 ぐわんぐわんと頭蓋を打ち付ける耳鳴りがし、闇が濁流となり底へ底へと渦を巻く。せっかく繋ぎとめていた精神がどろどろ溶け出していく。
 深く深く引っ張られ沈んでゆく。
「やっぱり、全く魔導が使えないというわけでもないのか」
 呑気なスヴェルの分析に沸々(ふつふつ)と殺意が沸いた。
 だがその怒りも長続きせず意識は混濁し──
(──消える!)




「……、早く」
 誰かが呼んでいた。
「早く、戻りなさ……壊される……」
 柔らかい陽だまりを連想する、しかし有無を言わさない強さを秘めた、男の声音。
「風の……、……、待って……、……」
 何度も名前を呼ばれているようなのに、どうしても聞き取れない。
(もう一度名前を──)
 目を閉じている感覚にも関わらず、彼の眼前には美しい景色が広がっていた。
 緑の平原に林立する白い木々、ぽつぽつと見える果実の鮮やかな赤。澄んだ空気、身を透明にしてゆく風の匂い。手を伸ばせば吸い込まれそうな青い空。
 身体から力が抜け、自然と息が深くなる。
 このまま大地に(かえ)ってもいいか──そんな解き放たれた感覚に包まれてゆく。
 そしてそんな世界の底辺に、子守歌の如く流れている声。
 姿を探しても見える景色の中には誰もいない。
「あの女……邪魔をして……早く……」
(アンタは誰──)
「バレリー!」
(?)
「バレリー!」
 突然、柔らかくも美しくもない声に世界をぶち壊された。
「いい加減起きてくださいバレリー!」
 がくんがくんと視界が揺れる。木々も空も大地も消えて暗い闇に引き戻される。
「死にそうですー!」
(死にそう?)
「もうダメかも」
「ダメ?」
 フェンネルは声に出し目を開けた。
「あ、起きた」
 視界に飛び込んできたのは、薄汚い木造の天井とスヴェル=エヴァンズの締まりのない顔。
「…………」
 息を吸った途端、肺の中に生々しい血臭が入り込み彼は身体を折ってむせた。
 そこへ、
「貴方のお名前は?」
涼しい目つきのマグダレーナがこちらをのぞき込んでくる。ほんっとに図太い神経に育ったもんだ。
「フェンネル=バレリー」
 フェンネルが応えると、彼女は小さな嘆息を漏らした。
「何よりでした、死ななくて」
「そっちかよ」
 反射的に突っ込むと、
「かなりのショックを与えなくてはいけないと思ったので、急所の秘中に電撃を叩き込んでみましたの。うまく魔導が発動して良かったです」
にっこり笑われる。
「本当に良かった」
 未だピリピリする喉と胸の間をさすりながら、フェンネルは彼女をひと睨み、立ち上がった。
「で、死にそうだったのは俺か? それともお前らか?」
「両方の意味合いだったんですけど、それよりバレリー、大変ですよ」
 スヴェルがなんだか楽しそうな笑顔でにじり寄ってきた。年齢の割には愛嬌があって可愛らしい狐みたいな顔だが、時折無性にぽかんと一発殴りたくなる。
「貴方とんでもないことになってるんです。普通の人間じゃないとは思ってましたけど、やっぱり普通じゃなかったですね」
 フフフフフとイカサマ商人みたいな笑いを浮かべている魔導師。
 フェンネルはそっぽを向いて手を振った。
「それはいい、それはいい。どうせコンキスタドールのことだろ? 全部聞いてたさ。俺の意識は深いところに押しやられてたみたいだが、隔絶されてはいなかった」
 できる限り、軽く。
「……なんだ」
 こっちの気も知らないで、あからさまにつまらなそうなスヴェル。
 一度本気で首を絞めておこうか。
「いいか、理由を考えるのも明日を考えるのも、全部後回しだ。ここにいたら俺もお前らも危なすぎる。がっつり逃げるぞ」
 頭を回転させなければいけないことは山積している。
 この身体が魔剣にのっとられただ? そんな事態の対処法なんて古書にも載っていなかったし、試験にも出なかった。人生においても経験がないし、経験のある人間に出会ったこともない。
 折り合いをつけるべきものなのか、それとも徹底的に拒絶すべきものなのか、それすらも不透明。
──貴方はまるで、迷子の子供のようです。
 マグダレーナの一言が、奇妙に鮮烈だったのを覚えている。
 言葉と同時に襲ってきた孤独と安堵。
 まるで母なる海深くに呑み込まれたような。
 誰も、魚すらいない碧の海。遥か頭上できらきら輝く水面。ゆりかごのように揺られ、たゆたう身体。
 ただ限りなく広がる海をひとりだけで彷徨(さまよ)う子供。
 おそらくそれは、フェンネル自身ではなくコンキスタドールの精神が受けた衝撃だったのだろう。しかしそれが何を意味していたのか、感覚を共有しているだけだったフェンネルには知る由もない。
 知れば、どこかにある何かに向かって道が(ひら)けるのかもしれない。
 が、とりあえずは今だ。
 テフラから生き延びなくてはいけない。三人まとめて。
「がっつり逃げるって言ったって……そりゃ逃げたいのは山々ですけど、この酒場、尋常じゃなく殺気だった連中に完全包囲されてますよ。僕らの“死にそう”はそれです。一歩外に出たらもう一歩踏み出す前に死体になりそうなんですよ」
「バカだなお前、自分を何だと思ってるんだよ」
「はぁ、何だと言われても……」
 フェンネルは疑問符を量産しているスヴェルを一瞥し、足元に転がっていた男の屍から剣を取り上げた。
 濁り始めた死人の目を、正視はできないまま。
「俺たちは魔導師だろ、腐っても魔導師。連中が踏み込むか否か迷ってる間に、こっちは安全な箱の中で発動できる魔導はどれか試せるじゃねぇか」
 二、三度空を斬って手に馴染ませる。刃こぼれした(なまく)らだが、ないよりはマシ。
「デカイのをかませたら、混乱に乗じて強行突破する」
 フェンネルは剣の切っ先を扉に向けた。
「大丈夫だ。もう目が覚めた。お前らふたりくらい連れて抜けられる」
 一拍。
「貴方がそう言うんなら、そうなんでしょう。けれど、」
 マグダレーナがそれでも厳しい目で見返してきた。
「抜けた後はどうするのですか?」
「テフラから出る。お前たちをレーテルに送る」
 スヴェルが口を開きかけたが、彼は息継ぎもせずに続ける。
「だが俺はレーテルには入らない。今の状況で俺がレーテルに入れば、王都とレーテルの亀裂は決定的になっちまうだろ。そうすりゃシザースのジジィなんざ嬉々として全面対決を宣言する。それは避けたい」
「それは……そうですけど……」
 レーテル魔導学校の理事長であるディネロ=シザースという男は、大の王都嫌いだ。今はまだ“レーテル・王都の二大勢力による世界均衡”に(のっと)り表面上友好を口にしてはいるが、いつだってそれを破る決定的な理由を探している。
「俺のことも魔剣のことも後回しだ。ここから出るほうが先」
 フェンネルは扉に歩み寄ると、その油の染み付いた表面に剣で線地図を描いた。
「テフラの出入り口は東西にひとつづつ。レーテルに近いのは東だが、まぁ──西も東もお育ちの悪いのが俺たちの首を取ろうと待ち構えてるだろうな。わざわざ通ってやる必要はない」
「では?」
「地下を行く」
『地下?』
 マグダレーナが怪訝な顔をし、スヴェルが素っ頓狂な声を上げた。
「二年間でこの街の下に簡易通路を張り巡らした。それを使えば、出入り口を通らなくても街壁をよじ登らなくてもレーテル方面の砂地へ出られる。お望みとあらば王都方面へも」
「へぇ……」
「さぁ、行くぞ」
 フェンネルは扉に身を寄せた。
「えぇっ!?」
「もうですか?」
「連中にバッチリ準備させてやるつもりかよ」
 睨み付けると、ふたりともぐっと口を結ぶ。全く同じタイミングなのが可笑しい。
「おっしゃるとおりですね。では、実験を始めましょうか」
 マグダレーナがローブの合わせ目を割り、華奢な拳を肩に掲げた。
 そして、
「イルマ・オーティ」
<風よ(はし)れ!>
「狭域、滴水成氷(てきすいせいひょう)
壁の向こうを心に描き、それぞれに声を張り上げ叫ぶ。
『…………』
 耳を澄ませば、外で響く罵声、悲鳴、怒号。
「さぁ、誰の魔導が効いたのか!」
 フェンネルがくるりと振り向けば、さっと手を上げる二人。無論フェンネル自身も挙手。
「ファイナルアンサー?」
 ぐっと拳を握りうなずく二人。
「正解は──コイツだ!」
 男は剣を振りかざし、扉を蹴破る。
 瞬間目に飛び込んできたのは、氷原だった。
「正解は俺!」
 酒場を取り囲みヤル気満々だった群集は、腰まで氷漬けになり、まるで海から顔を出すアザラシの群れ。
 顔を真っ赤にして何やらわめいている者、けなげに剣の柄で氷を削っている者、拳で砕いている者、隣のアザラシと喧嘩を始める者……。
「スヴェル、後ろから来る奴を片付けろよ」
「了解!」
 唾を吐きかけ罵ってくる無法者たちを踏んずけ蹴り飛ばし、フェンネル、マグダレーナ、スヴェルの順で氷原を駆け、街を駆ける。
 団体行動に乗り遅れた輩が時折奇声をあげて路地から殴りかかってくるが、フェンネルが刃を一閃、マグダレーナがアゴを蹴り上げヒジを叩き込み、走る速度は緩めず進む。
 後ろから追ってくる輩は、ローブを棄てたスヴェルが身軽な体術で翻弄。
 かわしてかわして一撃で伸す。
「そこの角を曲がって井戸に飛び込む!」
 言いながら(うまや)を通り過ぎ、見えた石造りの四角い井戸。
「魔導を使えることを前提に作ったから梯子(はしご)はない! スヴェル! 縄だけは下まで垂らしてあるから、(つか)んで落ちろ! マグダレーナ、来い!」
 声と同時にマグダレーナが地を強く蹴り、フェンネルの足は井戸の淵にかかり、彼女の身体は抱えられ、二人の姿は地の底へと消える。
 続いたスヴェルも足跡さえ残さず疾り、飛び込んだ。

「──見失った!」
「探せ! あいつの事務所から徹底的にだ!」
「街中の家を調べろ!」
「どこかに抜け道があるかもしれねぇ!」
「東と西だけじゃダメだわ! 街壁全部取り囲むのよ!」

 面白いほど定式どおりの台詞を残して井戸の脇をバタバタ通り過ぎて行くテフラの面々。
 氷に囚われたアザラシたちが意味のない呪詛を撒き散らす夜、テフラはテフラに戻った。
 己の最大利益を奪い合う戦場へ、戻った。



◆  ◇  ◆



「出口付近で馬を連れて待っています。  キサカ」
 スヴェルが井戸の底に落ちていた紙切れを拾い上げ、小さな声で読み上げた。
「キサカって誰です?」
「俺の弟子」
「……弟子!? 痛っ」
 いちいち反応が大袈裟なスヴェルの頭をすぱこーんと小気味よく引っ叩いたのはマグダレーナだ。
「大きな声を出したら反響して上に聞こえてしまうでしょう?」
「すみませんすみません」
 麗しの会長殿には全く頭が上がらない様子の副会長殿は、ひとしきり反省すると上目遣いで再び話を蒸し返す。つまり、あまり反省していない。
「弟子だなんて、ご立派になられましたねぇ」
「悪いかよ」
「貴方は自分の生活となるととにかく杜撰(ずさん)ですから、こんな辺境に独りでどうやって生きているのかと思っていたんですが、そうですか、杞憂でしたか」
 なんだか特ダネを掴んだ近所のおばちゃんみたいな目つきをして、スヴェルがニヤニヤ笑う。
──何か勘違いしてねぇか? コイツ
 思いつつフェンネルは、
「アホは放っておいて行くぞ」
「はい」
無視して奥へと進むことにした。
「照れちゃってもう」
「照れてねェよ!」
「静かにしてください!」



 そして──

「ここが出口ですか? まだ全然歩いていませんのに」
 少しも歩かないうちに、三人の行く手を阻む大きな鉄の扉が現れた。
「あ、もしかして途中で敵の足を止めるための扉ですか? 防火扉みたいなやつ。それにしては随分手の込んだものを造ったんですね〜」
 アホ魔導師がしみじみ言うとおり、地下通路をばっちり塞いだその大きな鉄扉には、闘志みなぎる竜の絵が刻まれていた。三つの頭を持った竜。こちらを睨み、牙を剥き、人間三人くらい余裕で食えそうな巨大レリーフ。
 マグダレーナは紅唇を僅かに開いて見上げ、スヴェルは感嘆を漏らしながらペタペタと触りまくっている。
 だが、
「俺はこんなものを造った覚えはねェな」
フェンネルは腕を組んだ。
「この道は俺が地道に掘ったんだぞ。根気のない俺がひとりで、だ。こんな疲れるもん造るかよ」
 すると、
「…………」
墨色の道着に身を包んだ魔導師の目がふよふよと宙に浮く。
「スヴェル。今お前俺がツルハシ持って穴掘ってるところ想像しただろ」
「い、いいいいいえ」
「お前魔導師ナメてんのか? それとも俺をナメてんのか? 魔導で掘ったに決まってんだろ」
「違いますよ! どっちにしろ閑だったんだなぁって思っただけですよ!」
「どっちにしろってことは想像したってことだろうが!」
「細かいことにいちいちうるさ──」
 すぱこーん すぱこーん
「……大声を出すと上に聞こえると先ほどから申し上げています」
 マグダレーナがこめかみに青筋をひとつたてていた。
『も、もうしわけございません…』
 男ふたりで二、三歩退く。
「で、この扉ですが」
 改められた彼女の言葉に合わせて、見上げた。
「ここはまだテフラのはずですわね? あれしか歩いていないのに街を抜けているとは思えません」
「そうだな」
「この扉を誰が作ったのかフェンネル会長はご存知なく、この先がどうなっているのかもご存じない」
「俺が知っているものと同じ地下道なら、この先もがらんどうな道が延々続いてるはずだけどな」
「先は不明。しかし戻れば賞金稼ぎどもがうじゃうじゃうじゃ」
「…………」
 夢の欠片も希望の灯火(ともしび)もきれいさっぱり棄て去ったマグダレーナの台詞に、スヴェルの目が救いを求めてこちらに向けられた。
「脂ぎったオッサンの大群と、顔も知らない未来の女神、二者択一だな」
 フェンネルが片眉を上げると、
『女神』
二人が異口同音に返してくる。
「決まりだ」
 黒の魔剣士は指を鳴らし、誰かの気が変わらないうちにと鉄扉に手をかけた。

 ひんやりと、そこにある隔たりを伝えてくる金属。その冷たさに、これは“戻れない”決断なのだと理由はなくとも予感する。
 今歩いているのは道ではなく未来なのだ。
 踏み込んだが最後、どれだけのものが押し寄せてこようと腹を(くく)るしかない。
 コンキスタドールを父親から受け継いだ時同様に。
 レーテルを後にした時同様に。

 ガシャンと重い音を立て薄闇に光の裂け目が生まれる。そして次瞬、重苦しい灰色の空気に賑やかな喧騒がなだれ込んできた。
「わぁお」
 フェンネルの背後でスヴェルが口笛を吹く。

 扉の向こうにあったのは、レンガ積みの壁、土が剥き出しの天井、綺麗に敷き詰められた石畳。そしてそんな赤茶けた埃っぽい空間を煌々と照らすランタンの炎と、隙間なく立ち並ぶ店々。きらきら砂塵が舞う中を、喧々(けんけん)と行き交う人々。

──街だ。陽光から見放されたテフラの地下に、街が広がっているのだ。

「これは、街、ですか?」
「テフラの底にこんなところがあったなんて、僕は知りませんでしたよ」

 朱色の紋章を顔に刻んだ傭兵たちが強盗でもしそうな勢いで店主に詰め寄っているが、小人みたいなじいさんは涼しい顔で言い値を変えない。それどころか男たちが手にしていた青い小瓶をひょいと取り上げ、奥へ仕舞ってしまう。
 ますます騒ぎ立てる傭兵たちの背後を、どぎつい紫色の衣装を身にまとった女が通り過ぎ、その後ろを苔玉に足が生えた妙な生き物がいくつも小走りで付いていく。
 肉の焼ける匂いと薬の匂い、鉄の匂いと土の匂い、血の臭いと革の臭い。高い声低い声、しわがれ声、神経質な声、だみ声、静かな声。武器が触れる音、火の()ぜる音、瓶がぶつかる音、皿が詰まれる音、酒が注がれる音──。

「ここは」
 フェンネルは記憶をキリキリ締め付けられ、息を止めて眉根を寄せた。
 この光景には見覚えがある。地上よりも不気味な活気に溢れ、地上よりも華やかで、地上よりも息苦しい、五感に届くすべてが欲望に侵された街。
 昔、まだレーテルの学生だった頃に一度、迷い込んだことがあった。
 この都市は──
「アジ・ダハーカ」
彼は無意識につぶやいた。
「アジダハーカ?」
 柳眉を寄せるマグダレーナとぽかんとしているスヴェル。

 彼らが知らないのも無理はない。
 アジ・ダハーカ。
 それは、古に召喚されたという、人間には扱い得ぬ三つ頭の巨大な竜の名。
 そして同時、地上に生きる平和な者は誰も存在すら知らずに死んでゆく、王都が隠蔽し続ける地下都市の名。

 そう、ここはテフラだけではなく、シャントル・テア全域に広がる「超法規都市」だ。
 倫理を超え、法を超え、禁を超え、金が流れ命が売られ力を奪い知を求める。
 生贄密売試し斬り、実験強盗剣闘賭博に殺戮。すべてが王都によって認められている、狂人たちの聖域。
 噂にもならず、ひと欠片の文字にもならず、ただじっと幾千の月日を沈黙し続けてきた、罪と欲と力の牢獄。

「オイオイオイオイ」
 確かに地下通路は掘ったが、こんな物騒なところに繋げた覚えはない。
 フェンネルはとりあえず後ろを振り返った。つられてマグダレーナとスヴェルも振り返る。
『!?』
 そこに扉はなかった。
 彼らが振り返った先にあったのは、ただの土壁だった。
 そして朱色の筆跡で一文。

──入った者、出ること(あた)わず。




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