THE KEY2 THE WORLD


 第二話 【二人】…(3)  神+女神=大魔王



「どうして俺の名前を知っている、そう訊いて欲しいか?」
 緋色の男が鼻で笑ってくる。
「訊くか訊かないかは貴方の自由。答えるか答えないかは私の自由」
 レベッカは一歩、男と間合いを取った。
 ゆったりとした大布を袈裟懸(けさが)けにまとい、腰には無造作に結んだだけの帯。どこにも得物らしきものは見えない。
 それでも、間合いを取る必要があった。
 この男は危ない。
「そうでしょ?」
「そうだ」
 豪快な美人ではあるが謙虚さのカケラもない、剣呑な顔貌。
 こちらをじっと見下ろしてくる緋色の双眸は重く、血統とは別に生まれながらの君主がいるとすれば──もしこの世界にそういう地位は存在していないとしても──この男はそれに当てはまるに違いない。
 王の子でなく、帝の子でなく、だがすべてを圧し君臨する資質を持つ者。
「それで──」
 ミラ=インフェルノが白林に向かって目を細めた。
「俺が殺す予定の新参者はどこにやった」
「…………」
 ほら、この男は知ってることを黙っておくようなセコイことはしない。これくらいの札はただの捨て札であって、切り札ではないというのだ。
 ならば、セコイ言葉を返しても意味が無い。
「彼女はノーリス=ダラスの館に行ったわ」
 インフェルノが眉を上げ、部下を一瞥した。
「オリヴィエ、行け」
 ではお前がダラスを殺す神か──などという無駄な詰問は飛んでこない。
「待って。少しだけ時間を頂戴」
 レベッカの台詞に、敬礼のみで身体を反転させていた剣士が足を止めた。
 隻眼は肩越しに自分の主へ。
 その主、インフェルノは腕組みをして薄い笑みを浮かべてくる。
「何故お前が見知らぬ神をかばう」
「私が理を変えるまで待ってよ」
 答えないことが答えになることもある。
 それを察したのだろう、インフェルノは同じ愚問を繰り返しはしなかった。代わりに、問いの駒をひとつ進めてくる。
「……どうやって変えるつもりだ?」
「これからその答えを探すのよ。私がそれを知ってたら、貴方の面目丸潰れじゃない」
「花が咲いて散り、種を残し、芽吹き、新たな花が咲く。お前が変えようとしているのはその営みと同じものだ。それを変えるだと?」
「そうよ」
 神が消え、新たな神がやってくる。
 ランデルトゥース。この無表情な白い林が、神々の揺りかごとなり墓標となる。
 それが宿命。それが摂理。
「変えられると思うのか」
「なせばなる」
「例えばお前がこれから消えるだろう何人もの命を救ったとして、それがこれからこの世界に生まれ来るだろう何人もの神々の未来を殺すことにはならないか?」
「なるかもね」
「理をひとつ壊せば他の理も次々連鎖で崩れるかもない。その行き着く先はアヴァルースそのものの崩壊ではないか?」
「そうかもねぇ」
 彼女は気付いていた。
 男の口から出てくる質問は、かつて彼が彼自身に問うたものなのだと。
 そして彼はもう、己に答えた後なのだと。
「本当に変えてはいけない理なら、正義の味方が私を討つわ」
 レベッカは一瞬だけ両の口端を吊り上げ、元に戻す。
「私はね、小さい頃学校で将来なりたいものは“魔王”って書いたことがあるの」
「覚えているのか?」
「覚えてないけど絶対にそうよ」
 根拠は無い。だが、自分のことくらい自分で分かる。
 彼女は一方的に言い切ってから、背後の眼下に広がる白亜の街をちらりと振り返った。
「貴方は、このアヴァルースについてどれだけ知ってるの?」
「…………」
 男は虚空を見据え、
「おそらく、お前が求めているほどには分かってはいまい」
低く、平坦に告げてくる。
 だが、嘘だ。
 答えに迷いの間を入れる理由はひとつ。何を教え何を隠すかを定めるため。
 しかし男の声にはそれ以上の追跡を許さない響きがあった。
「そう」
 彼女は引き退がり、主従に背を向ける。
 ベルカナという名の与えられた街を一望できる際まで歩いて行き、見下ろす。
 彼女のワイン色のローブをさらいはためかせる風は透明、街を吹き抜けさわさわと緑の葉を揺らして行く風は極彩。
「フォース=リダーから、この街は四方を丘に囲まれていると聞いたわ」
 今見えるのは、彼女が立っているランデルトゥースの丘と、右手左手の丘。向こう正面にあるはずの丘は、たなびく白霞の奥で稜線も見えない。
「それぞれの丘の向こうには何があるの。街? 森? 山また山? それとも不毛の砂漠? 海?」
「何も無い」
 センスのカケラもない答えはオリヴィエの口から。
「無い?」
「無い」
 ……埒が明かない。
「具体的に聞くわ。あっちの端まで行ったらどうなるの?」
 レベッカは真っ直ぐ対岸を指差した。
「この、ランデルトゥースに出る」
 それはまた明快なご返答で。
「じゃあもしかして、右の丘を越えたら左の丘のふもとに出る?」
 オリヴィエがうなずく。
「ランデルトゥースを越えたら向こうの丘のふもとに出る?」
 再びの首肯(しゅこう)
 あ、そう。
 彼女は問いの方向を変えた。
「さっき、イオン=ヴァーレルセルが言ってたわ。この世界には雨が降る、嵐も来る。それは本当?」
「御仁の言葉に間違いはない」
 会ったのかとは訊き返されなかった。台詞から読み取れることは聞かない。どうやら主従そろって省エネ主義らしい。
「だとすると──おかしいわね」
 彼女があごに手をやると、「何が」とインフェルノの声がする。
「世界はおとぎ話じゃないのよ。いくら大きいって言ったってね、これっぽっちの盆地の中で水が循環して空模様が変わって嵐が来るだの来ないだの、おかしいに決まってるでしょ」
 もちろん、彼女の“決まってるでしょ”に、裏打ちされた根拠は無い。
 強いて言えば、“自信がある”という根拠だけがある。
「天気っていうものは、もっと大きな空気の流れの中で生まれるものよ」
「それはお前の偏見だろう。アヴァルースではこの小さなベルカナですべてが生まれがすべてが終わる」
「肉体と精神の衰退は、目の前で起こるすべてを受け入れてしまうことから始まるの。知ってた?」
 刻々と変わる環境に抗い進化したものだけが生き残る。
 あきらめ、時に流されたものたちは死に絶える。
「決めた。私はアヴァルースを探しに行く。この世界は、きっともっと広いはずよ。どこかにこの平和な箱庭から出て行く道があるに違いないわ」
 “私は答案用紙を探しに行く。職員室にあるのは間違いないわ”くらいのノリで宣言してから、彼女はくるりと振り返った。
「ミラ=インフェルノ。私は魔導師のレベッカ=ジェラルディ。死にたくなかったら手を貸して」
 そして片手を突き出し握手を求める。
 この世界にそんな習慣があるのかなんてことはどうでもいい。
「ただし。中途半端な応援はいらないからね」
 ダークブラウンの髪の下、緋色の男神をその目に映し、彼女はニヤリと笑った。
「この企みがアヴァルースの摂理にとって不可侵の領域なら、アヴァルースは何としてでも私を排除しようとするでしょうね。俺は強いって自負心とそれに見合う実力がなきゃ殺されるわよ」
「世界にか?」
「そう、世界に。人の身体は風邪菌が入れば熱が出る。それと同じよ。世界にだって防衛本能はあるもの」
「──お前の言い分はよく分かった」
 インフェルノが近付いてきてレベッカの手を取った。
 しかも両手。
 さすが生まれながらの王は違う。自分の意見をのたまう前にはきちんと他人の意見を聞くというこの姿勢。
「レベッカ=ジェラルディ。新神にしてはなかなか勇ましい」
 しかし何故か彼女の手首はぐるぐる縄が巻かれている。
「…………」
 レベッカは白い目で自分の手を見つめた。
 ぎゅっと複雑な固結びをしてから、インフェルノが冷めた顔で剣士に言った。
「連行」
「やっぱり!」
 世の中けっこう甘くない。



 オリヴィエ=ディーンの引く巨大な鳥の背に乗せられ、丘を下り、白い石畳を少し行く。そこでレベッカは、リダーと自分の表現の間違いに気付いた。
 今向かおうとしているのは、ランデルトゥースから見て左手の丘。リダーの親玉、ノーリス=ダラスが住んでいるのが右丘だというのだから、方角はちょうど反対になる。
 だが、“丘”という言い方は正しくなかった。
──これは山だ。
 ランデルトゥースと同じくらいの高さに見えていたのは、その位置から上が雲に隠れているからに他ならない。それは、下から見れば一目瞭然だった。
 石畳が途切れたその場所から、背を反らして仰ぐほどの大木が乱立している。こちらは街、あちらは山、緩衝地帯などなく、街はいきなり終わり、山はいきなり始まっていた。
 その、下草の生い茂る道なき道へと巨鳥は足を進めて行く。神ひとり簡単に蹴り殺せそうな鍵爪が、バキバキと枝を踏み折り薙ぎ倒す。
 獣道すらないのか、ここには。
「……毎回同じ道通らないわけ?」
 容赦なく顔をひっかいてくる枝葉に我慢できなくなり、レベッカはうめいた。
「ランデルトゥースに行く用事など、数えるほどもない」
 剣で己の行く手を払いながら歩いているオリヴィエ=ディーンが、つっけんどんに答えてくれる。
 自分の境遇に疑問も持たずもくもくと巨鳥の手綱を引くその姿は、なんというか不憫だ。
「貴方たちは、イオン=ヴァーレルセルみたいに瞬間移動できないの?」
「あの御仁は特別だ」
「ふーん」
 レベッカが鼻で了解すると、
「今お前“何だその程度か”とか思っただろう」
陰湿な片目がじろりとこちらに向けられる。
「別にぃ」
「いいかお前、何も分かっとらんようだからこの際しっかり叩き込んでやるがな、ミラ=インフェルノと言ったら……」
「──オリヴィエ」
 剣士の口上は、後ろから聞こえてきたミラ=インフェルノ当人の声に遮られた。
「余計なことは言わなくていい」
「……申し訳ありません」
 インフェルノの声音に含まれていたのは言葉どおりの意味だけで、怒りはない。対するオリヴィエ=ディーンの謝罪に圧縮されているのも、主への畏敬だけ。恐怖はおろか、不満すらない。
「…………」
 レベッカは最後尾を来る緋色の神をちらりと見た。
 赤、黄色、緑、派手すぎる色の羽で覆われた飛べない鳥にまたがり、悠然と揺られている男。まさしくお高貴でいらっしゃる神様そのものだ。先程の、風を黒く染めてしまうような威圧感は全く感じられない。ひたすら優雅に、柔和に、余裕綽々(しゃくしゃく)
 目を閉じれば、着飾った娘たちが大きな孔雀の羽の扇を持ち、左右からこの男を扇いでいる様子が目に浮かぶ。
 もちろん主役の男は金銀財宝をバックに、酒を浴びるように呑んでいるのだ。
「…………」
 彼女はわずかに眉をひそめ、とりあえずオリヴィエを励ますことにした。
「やーい、怒られたー」
「黙れ小娘。着いたぞ」
 無愛想剣士が足を止め視線を送った場所に目をやると、そこには遺跡の残骸がぽっかり口を開けていた。
 黒い土と積もった枯葉と暗緑の雑草に囲まれた──石を這うムカデっぽいのやナメクジっぽいのは見なかったことにする──地下へと降りて行く、灰色の石階段。
 鳥上からのぞいてみれば、無論、光の届かないお先は真っ暗だ。
「これ何」
「何って、インフェルノ公のお屋敷に決まってるだろう、お前バカか?」
 オリヴィエの答えを受けて、レベッカはそろそろと後ろを見やった。驚愕の眼差しで。
「インフェルノ……貴方って地底人だったの……」
 しかし、
「さっさとオリヴィエに付いて行け」
冗談は通じず冷たく言い放たれる。
「……分かったわよ分かったわよ。行けばいいんでしょ行けば」
 一応紳士的なたしなみはあるらしいオリヴィエが、鳥から降りるため手を貸してくれた。
 硬く骨ばった手。顔には似合っているが、これまでの苦労がしのばれる。
「へえ〜」
 石の淵に足をかけ奥に目を凝らすと、湿った風が遥か底から吹き上がってきた。ひんやりと冷たく、かすかに混じる土の匂い。
「後から付いて来い」
 どこに用意してあったのか、居丈高に命令してくるオリヴィエの手には小さな松明。
 下からの風に煽られ炎が大きくしなり伸び上がり、ボボッと心臓に悪い音を出してくる。
「鳥は?」
「ここに置いておけば妖精たちが世話をする」
「…………?」
 よく分からないが、推測するに問題はないらしい。
 彼女は疑問顔をしたまま、しかし誰もそれに答えてくれないまま、古代遺跡まがいのインフェルノ邸に足を突っ込んだ。

 そして。オリヴィエとインフェルノに挟まれながら地下へ地下へと降りて行き、もはや入り口の光の点さえ見えなくなり、そこから更に大地の腹底へと足を踏み入れ、どこかで水の滴る音を聞きながら、辿り着いた先。

「インフェルノ、……貴方実は魔王志願者でしょ」
「くだらないこと言ってないでさっさとオリヴィエに付いて行け」

 ぶちあたった岩盤に造られていたのは、轟音を立てて左右に割れる石の扉だった。
 その扉に刻まれているのは、牙の生えた大口をカッと開き、立ち入る者を威嚇してくる怪物が二匹。
 巨大な翼鳥と巨大な魚竜。
 ひとつ。爬虫類の名残を残した鋭い歯、広げた翼にまで爪を持つ、奇声が山を揺るがさんばかりの怪鳥。
 ひとつ。全身を覆う細かい(うろこ)、4つのヒレ脚と長い尾、見開いた小さな目が獲物のみを凝視する、獰猛な古海の覇者。
 そして、彼らを照らし不気味な陰影を付けているのは、扉の両脇に()かれた篝火(かがりび)
 明るい火の粉が暗闇に舞い上がっては消えてゆく。

「だって、これは悪趣味が過ぎてるわよ」

 主人の帰りを知ってゆっくり開かれてゆく石扉。
 石の擦れあう音と共に見えてくる向こう側。
 それはレベッカの後ろに立っている男神と同じ、強烈な緋色に彩られた地下宮殿だった。
 目の前にぽかりと広がる空間。そこには数多の篝火が煌々と(とも)され、見上げる遥か頭上から見下ろす遥か底まで、いくつもの太い岩の円柱が林立している。そしてそれらの奥には、連なる大きな石扉。
「…………」
 そのひとつを開けたなら、魔王の手下どもが声を合わせ銅鑼(どら)に合わせ、火を焚き(つち)を振り降ろし赤く熱した鉄を打つ。
 そんな舞台設定が似合いのインフェルノ邸。
 どこからも太鼓の響きが聞こえてこないのが不思議なくらいだ。

「これがお住まいだなんて、貴方何様」
「ミラ=インフェルノ様だ」
 答えてきたのは、冗談の通じない剣士の方だった。



◇  ◆  ◇



「殺さなかったのね」
 インフェルノが私室に入ると、客がいた。
「あの娘が貴方を殺すんでしょう?」
 女神だ。名をグラナーテという。
 褐色の肌は異国めいた匂いを漂わせ、高く結った長い黒髪には珊瑚と白蝶貝で彩られた金櫛がよく映える。手足はすらりと長く、それが動くたび白い紗の衣に身体の線が美しく浮かび上がる。
 彼女は壁際でスッと背筋を伸ばし、立っていた。
「──いや、あれではない」
「……そう、違うの」
 彼女の気のない嘆息が漏らされた部屋は、インフェルノのまとう緋色と同じ、燃え上がる炎の色で照らされていた。
 赤い敷物も、寝台にかかる白い天蓋も、無造作に立て掛けられ転がっている剣だの槍だの盾だの──それらすべては金銀宝玉で装飾が成された装飾品だ──、金杯や真珠の首飾り、ワケがわからない動物の置物まで、本来の色の上から黄昏色のヴェールをかけられたようだ。
 金に輝く砂漠の水面。
「俺を殺す神はアレではなかったんだが、面白そうだったから連れてきた」
 インフェルノは水差しの水をグラスに注ぎ、一気に飲み干した。
「面白い?」
 扉の近くに立ったままのグラナーテが柳眉を寄せてくる。
 興味を持ったというよりは、ただ不安が顔に出ただけのようだ。
 平穏の崩壊、目の前にいる男の未来、そして自分の末路。
 顔に落ちる(かげ)はひとつでも、混じる色は数多い。それが繊細な表情となり、一層美が際立つ。
「あの女は、俺とアヴァルースに挑戦状を叩き付けた」
 インフェルノは言ってグラスを置き、女神の反応を見た。
 彼女は先を続けろと深い瞬きで応じてくる。
「アレは──我々を縛る摂理そのものを変えると言い張った」
「何のために?」
「?」
「消えゆく運命の貴方を助けるために摂理を変えるの?」
「まさか」
「じゃあ、簡単に裏切るわね」
「信用もしてないのに裏切られるわけがない。本気で相手を信用した奴だけが“裏切られた”と言えるんだ、違うか?」
「貴方が他人を信用したことなんてあった?」
 意識して造られたグラナーテの無表情。
 部屋の対極でそれをやられると、言葉以上に咎められた気分になるから不思議だ。
「…………」
 彼は答えの代わりに背を向けて、もう一杯を(あお)る。
「それより──」
 彼が再びグラナーテに目を向けた時、やはり彼女は扉の脇に立ったままだった。
 ある一線以上、彼女が自らインフェルノに歩み寄ってくることはない。それでも、ある一定の距離を持って付いて来る。
 矜持(きょうじ)が高く、堅く、冷たく、面白味のない女。
 しかしそれだけ地に足がついていて、からかいがいがあるとも言える。
「グラナーテ、皆に伝えろ。各自大事なものを持って地上に集合」
「……は?」
「いいな」
 インフェルノが語気を強めると、彼女は軽く息を吐いた。
 この女神の花唇は、いつでも必要最低限しか開かない。極端な省エネ家だ。
「分かりました。すぐに伝えます」
 彼が見越したとおり、疑問も質問も飛んではこなかった。
 それが彼女の美徳であり欠点でもある。
 グラナーテが去った扉を見やりほんのわずかの苦笑をこぼした緋色の神は、
「さてと」
自分が持っていく物の品定めを始めた。



◇  ◆  ◇



「あいつ絶対何事も形から入る奴よ」
 岩盤むき出しの壁にもたれ、視界に並ぶ鉄格子を眺め、レベッカはつぶやいた。
「神様しかいないのになんで牢獄が必要なの」
 牢は──彼女がいるのは普通に考えて牢と呼ぶべき場所だった──、岩の壁を削って穴を作り、その入り口に鉄の棒をはめただけのものだった。
 それがいくつも並んでいる。
 だがそのどれもが空だ。
 囚われているのは彼女しかいない。
「誰かいませんかぁーーーー」
 鉄の棒を掴み大声で叫んでみても、
「うるさい黙ってろ小娘」
入り口の石扉の前で腕を組んでいる痩せぎす剣士が無駄口を叩いてくるだけだ。
「なんで貴方がいるの」
 格子の間に顔半分をねじ込む。玉のお肌が心配だが、こうしなければオリヴィエの様子は分からない。というかどうせ山登りで擦り傷だらけだ。
「いたくているわけじゃない」
 そんなこと分かっている。どうせインフェルノにいろと言われたからいるに決まっている。
「ねぇ聞きたいんだけど」
「…………」
 あからさまにそっぽを向くイイ歳を召したオジサマ。
「貴方がここに来た時も、誰かが消えちゃったの?」
 その態度を無視して訊くと、
「──消えた」
一言返って来る。
 それで会話が途切れるかと思いきや、
「アヴァルースの定員は一定だ。今ここにいる神々は、必ず誰かを殺している。俺も、ノーリス=ダラスも、フォース=リダーも、インフェルノ公も」
ぶつぶつと独り言のような言葉は続いた。
「だから、我々は群れたがる」
 小さな声も岩壁に反響し、必要以上に聞こえてくる。
「リダーがノーリス=ダラスに、貴方がインフェルノにくっついてるみたいに?」
「そうだ」
「ふーん」
 レベッカは鉄格子の間から顔を抜き、身体を反転させた。今度は格子に背を預け、赤茶けた岩盤と向き合う。
 よく観察すれば、白や赤、橙に錆びた褐色、小石の混じるいくつもの層が美しく重なり、縞模様を描いている壁。
 色は炎、流れは肥沃の河。
 とりあえず大人しく捕まってはいるが、こんなもの、上と下を魔導で壊せば出られないことはない。幸い、両手は解放されている。
「神様って心優しいのね。群れるのは、独りじゃ罪悪感に耐えられないからでしょ?」
「さぁ、どうだかな」
 オリヴィエのやや掠れた声には自嘲の色。
「もちろんそういう奴もいるだろうし、誰かから非難されるのが怖くて共犯者に混じっていたいだけの奴もいるだろう」
 つまりひと括りにするな、と。
「だが大半はそんな可愛らしい精神の持ち主じゃあない」
「…………」
 レベッカの独断と偏見による神様像は、ひと括り否定どころか少数派にされてしまった。
「今お前の神を見る基準はフォース=リダーになってるんだろうが、それだとかなり痛い目を見るぞ」
「どんな風に?」
「泣きたくなる」
 まさに凝縮された一言。
 レベッカは吹き出した。
「それだけ思い知ってる貴方がインフェルノにくっついてるんだから、あの男の近辺はそれよりちょっとだけマシってことよね」
「……いや──」
「貴方はインフェルノがいなくなったら困る?」
 レベッカはオリヴィエの発した二文字を聞き逃した。
 問いを重ねてしまっていた。
「……かもしれないな」
 オリヴィエも、敢えて続けてはこなかった。
「悲しい?」
「あぁ、たぶん」
「だったら、明るい未来のために私の牢の鍵を開けた方がいいと思うわよ。それも早急に」
「何を言って──」
 ふいに剣士の台詞が途切れた。
「言ったでしょ。世界に殺されるって」
 レベッカは鉄格子から背を離し、牢の真ん中でくるりと身を翻した。
 そのままじっと微動だにせず周囲に目を走らせる。
「知らなくていいものを知ってしまった奴を生かしておく理由なんてないんだから」
 そうつぶやく彼女のすぐ横を、ぱらぱらと細かい土片が落ちていく。
──遠い、地鳴りだ。
「やっぱり私の言ってることは正しくて、アヴァルースは広いのよ。貴方たちが知ってるよりずっとね。でもそれを知られちゃ困るから、私を殺しにかかってるのよ」
 どこからか、この地下のどこからか、濁流の渦巻く音が轟いてくる。
 大地の細かい振動に、足元から身体が震える。
 視界がブレる。
「地下水脈が切れたのかもな」
 いつの間にか牢の前まで来ていた剣士が、白けた顔で肩をすくめた。
 だがその手はしっかり格子を握っている。バランスを崩さないように。
「そんなこと今まであったの?」
「ない」
 次第に大きくなる不気味な轟音。亀裂の走る赤茶の壁。
 押し寄せる水流が土を飲み込み岩にぶつかり、地層の脆い部分から崩れ落ち、どこかへ向かって突き進んでいる。
 どこかへ?
──違う、ここへ、だ。
「早く鍵開けて」
「何故」
「教えなきゃわかんないの!?」
「何だアレ」
 レベッカの罵声とオリヴィエの間の抜けたつぶやきが重なった。
「…………」
 剣士の素の顔に、魔導師も視線を横に──牢獄の最奥にやる。
 そして彼女は口を開けた。
「……何アレ」
 視線の先の赤い壁が、どろどろと溶けていた。
 まるで、チョコレートで出来た家が暑さによって上から溶け崩れていくように。
「水は……壁をぶち破るんじゃなく、壁を懐柔するテに出たようだな」
 オリヴィエがしみじみ無駄な分析をしてくる。
「それって、あの壁が陥落したら水じゃなくて泥水が流れ込んでくるってことでしょ」
 半眼で言うと
「そうなる」
剣士は大きくうなずいた。
「余計タチ悪いじゃない!」
 彼女が勢いで叫んだ瞬間、
『!?』
二人がたたらを踏むほど牢獄が揺れた。
 何かが“熱射病のチョコレート壁”にぶつかった──あるいは、体当たりした衝撃。
「…………」
「…………」
 息を止め、決壊寸前の震源地を見やる。
 故意なのか、それとも事故なのか──。
「……というか……」
ぎょっとした顔で牢獄の奥を見つめたまま、剣士が言う。
「お前魔導師なんだろ? 魔導師ってやつはあーゆーのを凍らせたり、こんな牢なんかぶち破ったりできるんだろ?」
「──あ、そっか」
 レベッカはぽんっと手を打った。
 そういえばそうだった。さっきそう思ったばかりだった。
「そうよねー。なんだか忘れてたわ」
 自分では“どんと来い”な心持ちで落ち着いているつもりでも、実は新天地で舞い上がっていたらしい。飛び込んでくる情報量に処理能力がついていかないのだ。
 だがそれは恥じるほどのことではない。
 慣れればどうにでもなるのだから。
「じゃあまずはあの壁を強化してしんぜましょう」
 彼女はコホンと咳払いをひとつ、壁を見据え手を構え──…………
「…………どうやるんだっけ」
底の抜けた声で両手を腰に戻した。
「はぁ!?」
「忘れたわ」
「何を忘れたんだ、呪文か!?」
「呪文も忘れたけど、もっと根本的なところよ。どうやって呪文に魔力を乗せるのか。魔力を乗せたらどうするのか。だいたい魔力ってどの辺にある力よ。腕? 手? 心? でもこれは腕力だし、これは握力だし、気合ってのはただの気力よねぇ?」
 くいっと力こぶを作り、手を開いては握り、開いては握り、レベッカはかくんと首を傾げた。
「忘れたくせに何でそんなにエラソーなんだ」
「だって、魔導ってのは魔力と言葉を使って法則を捻じ曲げる技術のことなんだから、もし仮に私が何もかも覚えていたって、私が元いた場所とアヴァルースの法則が違えば無意味なわけよ。ふたつの世界の法則が全く同じだなんて、ありえると思う?」
「つまり、お前は魔導が使えないわけだな?」
「今はね。でも魔導が何かは覚えてるらしいんだから、糸口はバッチリじゃない」
「いつになったら使えるようになるんだ」
「そのうち」
「お前──」
 二の句が継げず空転したオリヴィエを他所に、レベッカは自らの牢に掛けられた錠をがちゃがちゃと揺すった。
「非生産的なこと並べたてる前にさっさと鍵でここを開けてくださいまし」
「……俺はいつかお前の辞書に“謙虚”と“低姿勢”を付け加えてやる」
「バカにしないでほしいわね、私の優秀な辞書にないのは定価だけよ。非売品なの」
「じゃあそこだけ破れてるな、直してやる」
「本当に才ある者は努力を怠らないものよ。私の辞書は凡人よりずっと酷使してるんだから、一枚や二枚は破れてて当然よね」
「──!」
 片方しか(さら)されていない剣士の目が大きく見開いた。
 が、
『!』
出かかった説教は、牢獄を揺るがす再度の衝撃にかき消される。
 どおんと腹の底を突き抜ける重い波動。
 上から泥だか土の塊だかが降ってくる中、二人は転ばぬように鉄の棒で身体を支え、そろりと奥の壁へ視線をずらした。
 まだ大丈夫。
 だが時間の問題だ。
 今ので、かなりの泥が壁の役目を解任されて飛び散った。
「…………」
「…………」
 二人は鉄格子を挟んで顔を見合わせる。
 次瞬、オリヴィエが鍵束を取り出した。
「早く。早くね」
 水流と共にやってきたらしい訪問者は、自らを阻む壁をどうにか破ろうと躍起になっているようだ。
 牢獄ごと揺れるたび、泥が飛び、地面までがごぼごぼと不気味な音を立てて底なし沼化してゆく。
 そして──
「外へ逃げるぞ」
「了解!」
走り出した二人の後ろで、ついに泥壁が崩壊した。
 思わず振り返ったレベッカの視界に迫る、濁った水流と激しい白飛沫。
 ぐいっと腕を引っ張られ、ワイン色のローブは翻った間一髪で第一波を回避する。
 彼女が足を止めずに顔を前に戻す、その半瞬。
 彼女と剣士は見た。
 濁流の中から踊り出る、巨大な魚竜の一端。
 (よろい)のような鱗、鋭くびっしり並んだ歯、無感情に丸く開かれた目──それは、入り口を護っていた怪物の一方。
 自分が押し流されていることに怒り狂っているのか、流れに逆らい大きく身を跳ね上げる。
 巨体が天井にぶつかって大地そのものを揺らした。
「あれを閉めれば時間が稼げる」
 オリヴィエが叫び指したのは、さっきまで彼が陣取っていた、各部屋を仕切る大きな石の扉。
「だが閉め方が分からん!」
「だったら提案しない!」
 後ろから第二波の予感がする。
 足元が暗くなり、水のアーチの影だと知れる。
 水壁に混じる獰猛な殺気は複数。
 魔導の使える魔導師ならば凍らせるだけ。魔導の使えない魔導師は逃げるだけ。
 能なし神様二人はものすごい形相で扉を抜け、階段へと直角に曲がる。
 熱狂した人波の如く追いかけてきた奔流は、彼らが階段を駆け登った背後で、曲がりきれずに壁に激突。
 突進してきた水の怪物も頭から壁に突っ込む。
 インフェルノ邸が震え、気を抜けば舌を噛みそうなほど足元がぐらつく。
 そのうえ──
「……ん?」
肩で聞こえたべちゃべちゃという不快な音に、レベッカとオリヴィエは足を止めて頭上を仰いだ。
 見上げた岩盤の空から、泥の雨が降ってくる。
 土埃ではなく、泥。
 見上げている間にも、茶色の塊がぼたぼたと肩に髪に降りかかる。
「…………」
 こめかみに青筋を浮かべたレベッカが横の壁に手を触れれば、白い手袋はたちまち泥水を吸った。
「…………」
 オリヴィエが足を持ち上げれば、泥化した階段がブーツにねっちょり絡みつく。
「誰かがインフェルノのおうちに水くれ過ぎたみたいね」
 魔導師の嫌味にあわせて、二人の間にぼとりと魚が落ちた。
「…………」
 オリヴィエがつまみあげると、それは魚ではなく小さな怪物。
 手の平サイズだが、造りはさっきの縮小版だ。
 彼は無言で放り捨てた。
「……上の方は水族館みたいになってるのかしら」
「いや、全体的に溶けてるんだろう。もともとこの竜魚は、壁の中に埋まってる」
「水をかけると生き返る?」
 オリヴィエが無言でうなずてきた。
「じゃあ、この壁の中にもいたりする?」
 レベッカは明るくにっこり自分の隣の壁を指差した。
「いるさ。だってほら見ろ」
 オリヴィエが指した上の方、前だか後ろだかのヒレがひとつ、びよんと壁から突き出していた。鋼鉄色の、ヒレ。
 時折びちびちと壁を叩くそれは、覚醒しつつあるのだろう。
「…………」
 見つめるレベッカの眼差しが平らになった。
「泥に埋まって窒息するのも、魚のお化けに食い殺されるのも絶対イヤ」
「右に同じ」
 二人は大きくひとつ深呼吸、全力で走り出した。
 その背後で天井が崩れ、なだれ落ちる大量の泥水に混じり竜魚の牙がぎらりと光る。
 牢屋を沈めた水流が溢れ出し、出口を探して階段を呑み込み、二人を追う。
 まるで、傾斜のある泥田を走る力技。
 魔導が使えないならばこのくらいできろ──自分のプライドの声がして、レベッカはひたすら足を前に出した。
 通路を照らす篝火の多くは降り注ぐ土砂に炎を失い、向かう先にも竜魚は次々落ちてくる。あるいは壁から躍り出る。
 オリヴィエが剣を抜き、牙を剥き襲い来る巨大な魚の目玉を突いた。
 レベッカは通りがかりの銅像からありがたそうな錫杖を拝借し、落ちてきた小さな竜魚目掛けて大きく振り切る。
 かっとばされた怪物は、のたうちまわる大きな怪物の喉奥へ。
 思わず口を閉じた古代魚を踏みつけ、黒の剣士と赤の魔導師は駆け抜ける。
 魚の生臭さとむせ返るほど濃い大地の匂い、それらが充満した洞窟。
 水を吸った衣服は重く、泥に塗れた身体は急速に冷えてゆく。
 泥に混じる小石が肌を裂き、錫杖を振り回す手は次第に上がらなくなる。
 足を取られ、何度も転ぶ。
 そのたび剣士に引き上げられ、剣士を引き上げ、無我夢中で出口へ走る。
「見えた!」
「インフェルノ公!」
 二人の目に、始まりの石扉とその奥に佇む緋色の男が映った。
 扉は、水をせき止めるため閉まろうとしている。
 迫り来る濁流を正面から見ているはずの男は、眉ひとつ動かさない。
「オリヴィエ、早くしろ」
 男の薄情な応援と同時、狭くなってゆく隙間目掛けて二人で飛び込む。
 下からレベッカ、上からオリヴィエ。
 彼女がインフェルノの足元に転がり、剣士が横に膝を着く。その瞬間に石扉は閉まった。
 だが──
「来たか」
インフェルノが足元を見下ろした刹那、その大地に亀裂が走った。
 腹に響く、怒れる怪物の体当たり。
 レベッカは跳ね起き地上を目指し、オリヴィエは剣を構えながら亀裂の範囲の外に身をずらす。
 インフェルノだけが、無表情でその場に突っ立っていた。
「公!」
 コマ送りでオリヴィエが叫び、レベッカが振り向き、岩を割り大口を開けた怪魚が姿を現す。
 泥と石が噴火の如く飛び散る中、緋色が地を蹴り、洞窟に鮮やかな衣が翻った。
 瞬間、男の手には一振りの長剣。
 地を突き破った竜魚が、獲物を定めて宙で身をよじる。
 しかしその時にはもう、怪物は口腔から脳天へと貫かれていた。
「…………」
「…………」
 一拍後。
 ずうんと地響きをたてて巨体が落ちる。
「行くぞ。上は安全だ」
 まだびくびくと痙攣している竜魚を背に、緋色の神が淡々と言った。
 そして、
「たぶんな」
付け加えて静かな笑みを吊り上げた。



 どういう仕掛けか、とりあえず上は無事なようだった。
 立ち並ぶ木々の隙間からちらちら輝く空。何事も無く黙している地面。山を下りる風に吹かれてカサカサ転がってゆく落ち葉。
 レベッカが一歩地上に出ると、聞こえていたざわめきが一気に引き、代わりに探るような無数の目がこちらを向いた。
 皆、このインフェルノ邸に間借りしていた神様なのだろうか。彼女が品定めする要領で見回せば、目を逸らす者、対抗して視線を強くしてくる者、様々だ。
 やはりインフェルノが女好きだというのは当たっていたようで、ひらひらと華やかな衣装をまとった女神の姿が目立つ。そんなたおやかな姿と周りの無骨な風景とがひどく不似合いで、滑稽だった。
「──ったく」
 レベッカは泥だらけになった手袋を取り、とりあえずはマシな手の甲で顔をぬぐった。
 かすかに血の味がしたのは、唇の端でも切れているからだろう。
 どうせなら、重くなりすぎて首を絞めるほどになっているこのローブも放り投げたかったが、
「合格」
背後からかけられた声に手を止める。
 首だけ返した先には、近付いてくるミラ=インフェルノ。
 どこへ隠したのか、もうその手に剣はない。腰にも、だ。
「合格って?」
 突っぱねるように訊くと、緋色の神は薄い笑みを横切らせて腰を折り、わざわざ耳元に口を寄せてくる。
 そして吹き込まれる低い囁き。
「俺は何もしていない。お前を(かくま)った以外はな。そして俺の家は勝手に水浸しになり、勝手に竜魚が目覚めて暴れまわった。でもってこの通り、崩壊した」
「弁償しろって言われても」
「世界はお前を殺そうとした」
 本日何度目か、冗談は軽く殺される。
「お前の言葉は証明されて、そのうえお前は生き延びた。俺が新しい神を殺すと公言しても何も起きなかったのに、だ」
「……だから何?」
「だから合格だ」
「…………」
「俺はお前に手を貸す」
 それを確かめるためだけに家ひとつ潰したのなら、大した男だ。
 手を借りる価値はある。
「俺もアヴァルースが見てみたい。わくわくするだろう? 女に絡まった布を剥ぐ時みたいだ」
「貴方の企んでることを暴いてやる時みたいよ」
 この男は、誰かに追従するようなタマではない。
 手伝う──つまり“手を貸す”なんてあり得ない。
 レベッカの投獄にこの意味があったように、手を貸すのにも更なる目的があるはずだ。
「いいの? 私と組んでたら、きっと貴方の思い通りには事が運ばないけど」
「万民にとっては、魔王の思い通りにはならない方がいいだろう」
 やっぱり何か裏があるらしい。
「そりゃそうでしょうけど、ちょっと待って。貴方も魔王で私も魔王なら、世界はものっすごい勢いで滅びに向かってることになるわよね」
 レベッカは覗き込むようにして緋色の男を見上げた。
「…………」
 見上げた先のインフェルノはあごに手をやり、斜め上の虚空へ目をやる。
 そしてそのポーズのまま数歩レベッカの横を過ぎると、思い思いの場所に腰を下ろしている神々に向かって大きく手を振った。
「おーい、みんな集合ー」
──無責任大魔王。
 色とりどりの華々が彼のまわりに集まってくるのを眺めながら、レベッカは握っていた手袋を捨てた。
「どーなってもしーらない」
「…………」
 女神の楽しげな宣告を聞いていたのは、地面に腰を下ろし岩に背を預け息を整えていたオジサマ剣士──オリヴィエ=ディーンのみ。
 その表情は例えるまでもなかった。

 魔導師を名乗るも魔導が使えず、しかし結局インフェルノに手を貸させ、首尾よく用心棒を得た女神。
 そしてそんな女神を利用する気でいる緋色の荒神。

「はぁ……」
 中間管理職の胃が軋まないわけがなかった。



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インフェルノ:Inferno(伊)→地獄

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